05.そして二人は


「ここだ」


 ガイアの目の前には、この国では一般的であろう大きさの、小さな四角い家。

 ノックをしたガイアは、その扉の前で待っている。私は家を見上げるララの背中をそっとさすった。


「ここは……誰のお家なの、ガイアお兄ちゃん」

「ペトゥララ、君のお母さんが住んでいる家だ」

「……え?」

「君の母親は、この国に入る際にハルヴァンの憲兵に見つかり、右足を失った。尻尾と左足でなんとか歩行はできるが、早くは歩けない」


 一度にたくさんの情報を詰められたララは、脳の処理が追いつかないというようにぼうっとしている。

 私は、もっと早くララの母親を探し出してあげたいと思っていた。

 あんな、傷つけられるだけの国でいるよりはよっぽどいいと思ったから。

 でもララ自身は積極的じゃなかったし、母親の名前を聞いていなかった私には、レイザラッドで人探しなんて不可能だった。もし亡くなっていたら、ララを傷つけてしまうんじゃないかという思いもあった。

 ガイアなら彼女の情報を手に入れられるかも……と思って頼んでみたのだけど。


「ララのお母さんのお名前は、なんとおっしゃるの?」

「イザルルだ」


 ずっと聞いておけばよかったと後悔し続けた、ララの母親の名前。

 ようやく知ることができたわ。

 その名を胸に刻みつけていると、ガチャリとドアノブが回った。


「遅くなってすみません。どちら様……」


 澄んだ優しい声に、ララの肩がびくりと動く。


「先日伺ったガイアだ。あなたの娘さんを連れてきた」


 そう言ってガイアは、イザルルさんにララが見えるように移動した。

 イザルルさんはララを見た瞬間、息を止めるようにして涙を溜めている。


「ペトゥララ……?」

「……うん……」


 ララが肯定した瞬間、ぶわりと溢れるイザルルさんの涙。

 だけど伸ばした手は、遠慮がちに戻される。


「ごめんなさいね……すぐに迎えに行こうと思っていたのに……っ」


 言葉を詰まらせるイザルルさん。

 片足を失っていなくても、ハルヴァン王国はリザードへのあたりが厳しくなっていたから、うちまでは辿り着けなかっただろうと思う。


「シェイファー姉様……ほ、本当に私のお母さんなの……?」


 隣にいたララが、不安そうに私の服を引っ張って見上げてきた。

 間違いなく、ペトゥララを私に頼んでいったのは、この女性。私はララに向かって、こくりと頷いてあげる。

 するとララは、イザルルさんの顔に視線を移した瞬間、ポロポロと涙を流し始めた。


「お、おかあ、さん……っ」

「ペトゥララ……!」


 ララが母と呼ぶと同時に、イザルルさんが我慢しきれなくなったようにララを包み込む。


「ペトゥララ……ペトゥララ……! 今までつらかったでしょう……迎えに行けなくて、本当にごめんなさい……!」

「ううん、大丈夫……私、姉様のおかげで幸せに暮らしてたから……っ」


 ララの、母親を慕う涙。

 やっぱりララは、実の母親のことを恋しく思っていたのね……

 二人が会えて、本当によかった──


 ひとしきり泣き終えて話し終えたところで、ガイアが「そろそろ行こうか」と帰る姿勢を見せた。


「ペトゥララ、いつでも遊びにいらっしゃいね」

「お母さん……」


 イザルルの言葉に、ララは意を決したように私を見る。


「シェイファー姉様……私、お母さんとここで暮らしたい……! お母さんの、足になりたいの!」


 ずくん、と心臓が重くなる。

 どちらと暮らすかは、ララが決めることだと思ってた。

 私と暮らしたいと言えばもちろん受け入れるつもりだったし、母親の方がいいと言えばそうしなさいと笑顔で言うつもりだった。

 ──ちゃんと、笑いなさい、私!

 私はぐっとなにかを飲み込むと、人生最高の演技でララに微笑んで見せる。


「ええ、もちろん。母娘なんだもの、それがいいわ」

「いいのですか、シェイファーさん……!」

「ララが望んでいることですもの、当然です」

「ありがとうございます!」


 イザルルさんは信じられないといった様子で喜んでいる。ララも嬉しそう。

 ……これでよかったんだわ。あるべきものが、あるべきところに戻っただけ。


 私とガイアは、ララを置いて二人だけで家を出た。

 いつも隣にいるはずの、かわいいララがいない。

 あの子の家は、私と同じ家じゃなくなるんだわ……。

 そう思うと、ララの前では我慢していた涙が溢れ出してきた。


「シェイファー」

「う……っ、ごめ……なさい……」

「家まで急ごう」


 そう言ってガイアは私を抱き上げて、家まで連れて行ってくれた。

 今日からはここが私の家。ガイアはいるけど……ララはいない家。


「シェイファー、ここでは我慢しなくていい。言いたいことがあるならぶちまけてしまえ」


 ガイアが私の気持ちを外に出そうとしてくれる。婚約破棄の時だってそうだった。

 彼の前では、本音を言ってもいいんだわ。

 私は溢れ出る気持ちを言葉に紡いだ。


「さみしいの……ララが……ララと一緒に暮らせなくて……!」

「ああ」


 ガイアは私の話を否定せず聞いてくれる。その安心感で、私は心の奥底に押し込めた感情を一気に爆発させた。


「ララは、あの子は、生まれた時から私が面倒を見てきたのよ! 生まれたてなんて、なにをどうすればいいのかわからなくて! でもリザード族は周りにいないから、どう育てていいのかも聞けなくて手探りだった! 私だってあの時八歳だったのよ!! 死なせてなるものかって、毎日必死で……!!」

「そうか……がんばったんだな」


 ガイアがぎゅっと抱きしめてくれる。涙と想いが、ボロボロと溢れてくる。

 ララが熱を出しては寝ずに看病をした。笑ってくれるたび、頬にキスをした。

 立った、歩いた、しゃべった、そのひとつひとつが本当に嬉しくて幸せだった。


「でも、ララはリザード族であることで、何度も何度も言葉の暴力を受けていたの……私は、ララを守りきれなかった……たくさん傷つけて……母親代わりすら失格なのよ!」

「そんなことはない、ペトゥララを見ていればわかる。シェイファーから、たくさんの愛情を受けて育ったのだということは」

「う、ひっく……んく……」

「シェイファー」

「私が……ひっく、選ばれなかったことが……か、悲しいの……っ」


 心の叫びを吐露すると、ガイアは私のこめかみにキスをしてくれる。

 ああ、でも全部吐き出してスッキリした。

 私はどこかで、イザルルさん本当の母親よりも私の方が、ペトゥララへの愛情が優っているとおごっていたんだわ。

 愛する我が子を置いていかなければならなかった悔しさ、探しに行きたくてもいけなかった悲しさ……それらと私の愛情は、比べられるものじゃなかったっていうのに。


「……落ち着いたか?」

「ええ、ごめんなさい……もう大丈夫」


 そう言うと、ガイアは〝よしよし〟とでもいうように、私の頭をぽんぽんと撫でてくれる。すると私はようやくホッとして、ガイアから離れることができた。

 よく見ると、必要最低限の物しか置いてない、シンプルなお部屋。

 離れている間にガイアはお茶を用意して、カップを渡してくれた。

 ガイアはしゃべるタイプじゃないけど、こうして見守ってくれるところは昔と変わらない。


「ペトゥララとは同じ町に住んでいるんだ。いつでも会えるし、きっとあの子は会いにくる。シェイファーのことが、大好きだからな」

「……そうね。ふふ」


 〝姉様!〟と言いながら元気に家に飛び込んでくるララの姿が、容易に想像できた。

 私はララが大好きで、ララも私を大好きでいてくれる。これはずっと変わらないわ。

 そこに思考がたどり着くと、驚くほどに悲しかった気持ちが抜けていた。

 温かいお茶が、心を温めてくれる。


「ありがとう、ガイア」

「俺は、なにも?」


 私は目の前の愛しい人に笑みを向けた。

 やっぱり、昔からこの人が大好き。

 常に安心感を与えてくれる、ガイアが。


「私の初恋が、あなたでよかった」

「俺の初恋もシェイファーだ」

「本当に?」

「本当だ」


 お茶を飲み終えたガイアが、私のそばに来て……


「ひゃん?!」

「かわいいな、シェイファーは」


 耳を、耳をチロチロ……!

 もう、本当に毎回いきなりすぎるわ……!


「大好きだ。早くなにもかもを手に入れたい」


 なにもかも? それって……もしかして、あのこと?

 嬉しいけれど、心の準備がまったくできていなくて、心臓がばくばく音を立てる。


「あの、でも結婚もまだだし……」

「そんな人の作ったシステムなんか、ここでは気にしなくていい。けど、心が決まらないなら待つ」

「んんっ」


 そんな、チロチロしながら言われても、説得力が……!


「好きだ、シェイファー。愛してる」

「あ、私も……」

「だったら、俺にもしてくれないか……?」


 ガイアの切なそうな顔。

 そうだわ、顔にチロチロするのは婚約者や夫婦の特権……つまり、単なる挨拶ではなくて愛情表現ということ。

 私がされるばかりじゃ、ガイアが不安になるのも当然よね。

 私は自分からガイアの頬に近づいて、舌を……



 ……




 …………




 ……………




 え、無理ッッ!!!!

 ハードル高すぎじゃない?! なんなのチロチロって!!


「……して、くれないんだな」


 待って、すっごく悲しそうな顔してる。

 落ち込ませてしまったけれど、チロチロは……慣れるまで、やれそうにないのよ。文化の違い。


「あの、それはまだ今の私には無理だけど……キスなら……」


 キスも自分からするだなんて恥ずかしいけど、チロチロよりはまだできるはず。

 喜んでくれるかと思ったら、ガイアは目を広げて驚いている。え、どうして?


「キスをするだなんて、シェイファーはエッチだな」


 真顔で言われた!


 いえ、ガイアしてたわよね?!

 ハルヴァン王国で、各国の主要が見ている中で!!

 というか、チロチロの方がよっぽどエッチだと思うのだけど?! 価値観!!


「し、しない方がいい?」

「いや、されたい」


 意外と欲望に忠実なのね、ガイアって……

 うう、恥ずかしいけれど……


「じゃあ……」


 正面から見ると、ガイアの嬉しそうな顔が目に入る。


「す、するわね?」

「ああ」

「は、恥ずかしいから、目を瞑ってくれる?」

「エッチだな」

「も、もう、違うったら!」


 ガイアはクスクス笑いながらも目を瞑ってくれた。

 私はその唇の上に、そっと自分の唇を重ねる。


 すべすべしてて、柔らかい。


 秒にも満たない、一瞬の触れ合い。

 だけど、脳は痺れて溶けてしまいそうになる。

 ガイアは輝く金色の虹彩と黒く美しい瞳で、嬉しそうに笑っていた。


 異種族同士でも、お互いに文化を理解しようという気持ちさえあれば、きっとうまくやっていける。

 私は、ガイアの本気のチロチロを受け入れながら、そう思った。



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婚約破棄されたリザード大好き侯爵令嬢、追放直前に初恋の君が隣国の王子になって迎えにきたようです。 長岡更紗 @tukimisounohana

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