03.あの日の約束

「ドン様」


 呼びたくもない名を呼ぶと、彼は嫌そうな顔で目だけを私に向けた。

 嫌味を言われる前にと、私はすぐさま話し始める。


「レイザラッド王国は建国されたばかりではあれど、その国力は凄まじいものです。過酷な南の大地で生き抜く力と知恵。私たち人間がかなうものではありません」

「それがなんだ! さっさと目の前から消え……っ」

「最後までシェイファーの話を聞け!」

「っひ!」


 ヒュンッとガイアの尻尾がドンの鼻先を掠める。

 私の言葉が中断させられることはないのだと、安心して話を続けた。


「この国は、ずっとリザード族を虐げてきました。あなたはずっと、彼らのことを卑しいと……暴力的で知性のかけらもないとおっしゃっていましたね?」

「その通りだろうが! 腕力ばかり強いバカ、すぐキレる単細胞、今だって衛兵を蹴散らした! 暴力以外の何ものでもない!」

「暴力?! あなたたちのリザード族を差別する言葉は、暴力ではないとでもおっしゃるつもりですか!!」


 思わず感情的になって声を上げてしまう。

 ガイアがそっと肩に手を置いてくれた。代弁してくれてありがとうと言ってくれている気がする。

 私は主張を続けていいのだわ。


「彼らは、自分と自分の大切な者の危機を感じた時には抵抗をします。当たり前の話ですわ」


 それはそうだと各国の代表が賛同してくれている音がした。

 そう、普通は理解できるの。これがわからないあなたの方が異常なのよ!


「彼等は何十年何百年と、強制労働をさせられても耐えていたのです。人に何を言われても、耐えて耐えて……我慢強く、他種族に優しい民族、それがリザード族です!」


 命の危険、種族の危険を感じたからこそ、彼等は十一年前にこの地を去った。それだって賢明な判断だったのよ。


「かつて、この国にリザードがいた頃、労働も結婚も、リザード族はすべて人に管理されていました。それがなぜだかおわかりですか?」

「……こんな気持ちの悪いトカゲが数を増やすと見栄えが悪く、醜い、恥ずかしい国となるからだ」

「違います。数が増えると、人はリザードに太刀打ちできなくなる。数の利で支配しようとしていたのです、我が国は!」


 この国の、古くからの歴史。

 力の強いリザード族が怖くてそうしたというのも、わからなくはない。

 けれど、彼等は物じゃない。

 種族は違えど、心を持ち、この地上を共に生きていく仲間なのよ!!


 だけど、どれだけ説明をしても、ドンはまだ理解できていないよう。不可解な顔を戻そうともしていない。

 私はひとつ息を漏らして、次の言葉に移る。


「しかし我慢強いリザード族も十一年前、事情のある者を除いて、ほぼ全員がこの国から解放され南下しました。当時の民族解放団体のリーダーであった、現在のレッド陛下のご主導で」

「ああ、あの時はスッキリしたよ。ようやく醜いものを見ずに済むとね」

「あなたは……どれだけ……っ」


 わなわなと手が震えてくる。

 この男の物の見え方が気持ち悪くて仕方ない。

 国益の面から見ても、この出来事は退廃への序曲だったというのに。それに気づかない愚かしさに、苛立ちが治らない。


「リザード族は自分達だけの国を作り、現在その総数を増やし続けているのです。逆に我が国はリザード族を失い、国力は下がる一方……」

「リザード族など、根絶やしにすればそれで解決する!」


 ……は?

 言葉が、通じない……なにを言っているの、この人は!!

 ドンの根絶やしという言葉に、私の怒りは頂点に達してしまった。


「リザード族の命のみならず、自国の民の命まで! どれだけ犠牲にするおつもりなんですの!!」


 私の大きな声に、周りが驚いているのがわかった。

 でももう止められない!!


「将来一国を統べらんとする者が、ガイア様を国賓として招かぬなど、言語道断です! 婚約破棄、並びに追放、謹んでお受けいたしますわ!!」


 ドンのいる国なんて、こっちから願い下げよ!!

 喜んで出て行ってやるわ!!!!


「トカゲ一匹に、なにをそんな……」


 私の勢いに押されたドンが、ポカンとしながら半分笑っている。

 事態の重さに気づいていないその顔を、一秒だって見ていたくない。


 ドンから目をそらすと、各国の主要人物が私を取り囲み始めた。


「追放されるなら、ぜひ我が国に!」

「いや、うちの第二王子の婚約者となってもらえないか?!」

「我が国でぜひレイザラッド王国との橋渡しを!」

「いつも見事な振る舞いと教養に舌を巻いていたのです。ぜひ僕の元へと嫁に来てください!」


 わいわいと人が押し寄せてきて、私は戸惑った。

 これは、思いもしていなかった事態だわ。

 なぜか私、各国から勧誘されているのだけれど……


「お前ら……っ」


 大嫌いな声が上がった。

 仕方なくそちらに目を移すと、ドンは焦るような顔で私を見てる。


「こいつは俺の女だ! 俺の女に触れるな!」


 は? なにを言っているの?

 誰があなたの女??


「ドンさまぁ!? ようやくこの女を追放できるんですから、放っておきましょうよぉ!」

「触るな!! お前みたいなバカ女との遊びは、終わりだ!!」

「きゃっ」


 ドンに払われたリンダは、尻もちをついて重そうな音を響かせた。


「ひ、ひどぉい……! うわぁあん!!」


 遊ばれていると気づかなかったあなたもあなただけど、これに懲りて人の物には手を出さないことね。

 ドンはそんな彼女に見向きもせずに、私に興奮した眼差しを向けてくる。


「俺の許可なく結婚など、勝手なことは許さんぞ! シェイファー!」


 一体、なにを言っているのか……私を追放したのは、あなただというのに。


「勝手を言っているのは誰だ」


 低くともよく通る声が、場内に響いた。

 ガイアがずいっと前に出て、ドンを威圧している。


「シェイファーも俺たちリザード族も、お前の道具やおもちゃじゃない。なんでも自分の思い通りになると思うな!!」


 怒気の含まれたガイアの一喝。

 空気はビリビリと走り回り、誰もが圧倒されて言葉を失った。

 ドンもなにかを言おうと口は開いているけど、言葉が出ていない状態。

 何度かドンが口をパクパクとさせたところで、奥の扉が開いて誰かが咳をしながら入ってきた。


「父上!!」


 ようやく声の出たドンが、父親……国王陛下に向かって走っていく。


「父上、こいつらが俺の婚約者を勝手に連れて行こうとしてるんだ! どうにかしてくれよ!」


 国王陛下はドンをチラリと横目で見た後、そのまますれ違った。

 熱があるためか少しよろけながらも、私たちの元へと歩んでこられた。

 周りの人たちが道をあけていて、私たちは陛下と対面する。


「事態は聞いた。申し訳なかった、ガイア王子。至らぬ息子が無礼を働いた……許してほしい」

「父上!! そんなやつに謝るなよ!!」


 走り寄ってきてそういったドンに、陛下がガツンと一発頭を殴った。周りがざわっと声を上げる。

 陛下は目を吊り上げさせて、息子であるドンを睨んだ。


「我が国は、レイザラッド王国にも招待状を送っていたはずだ。握り潰したのは誰だ!! レイザラッドからの信書が届かなかったのは、なぜだ!!」

「う、っく……」


 信書が握り潰されていたと聞いた時から怪しいとは思っていたけど……。

 部屋の中から物証が出たのかしら。彼の短慮さが嫌になる。


「見苦しいところをお見せしてしまった。ドンは王籍から離脱させ、国外追放処分とする」

「そんな、父上!!」

「ですから各国のみなさまとの関係は、どうぞこのままに……」


 国王陛下自らが頭を下げられた。

 そんな陛下の姿を見て、ドンはようやく事態の重さを悟ったように顔を青くし始める。


「ち、父上!!」

「うるさい、連れて行け。ここまで我が息子が国に害を及ぼす者だとは、思ってもいなかったわ!」


 気づくのが遅いわ、陛下……。

 でも私もこの六年間、時勢の理解を深めさせて温和な人になってもらえるよう頑張ってきたけど、すべて無駄だった。

 ほんの少しでも、聞く耳を持っていたら結果は変わっていただろうのに。

 でも同情するつもりはこれっぽっちもない。改心できる機会は何度もあったはずなのに、それをしなかったのは自業自得という他ないもの。

 ドンは衛兵に引き摺られるようにして退場していった。ようやく顔を見ずに済むかと思うとホッとする。


「すまなかった、シェイファーよ」


 陛下が私に謝ってくれたけれど、私はなにも答えたくはなかった。

 それでも陛下は少し言いにくそうに言葉を続けている。


「王妃教育を終わらせ、すでに政務にも携わっているそなたに、この国を離れられては困るのだ。第二王子の婚約者となり、この国の発展と向上のために尽くしてもらえまいか」


 第二王子はまだ八歳。ドンと違って純真だけれど、婚約者になれるかなんていうのは別の話。

 十一歳も年の離れた女が婚約者になるなんて、王子殿下もかわいそう。


「すまないがハルヴァンの王よ」


 国王陛下を前に真っ向から否定はできず、どう断ろうかと思案していると、ガイアが声を上げた。


「先に求婚したのは俺だ。シェイファーには、俺への返事を先に聞かせてもらう」


 ふと見上げると、ガイアが真剣な顔で陛下に訴えてくれている。

 陛下は「そうだな……」と言葉を濁し、距離を取るように数歩下がってくれた。


 ガイアは私の顔を覗き込み、金色に黒の美しい瞳を向けてくれる。

 こんなに間近でガイアの瞳を見るのはいつ以来かしら。ああ、胸の音がうるさいわ。

 おでこがくっつきそうになるほど近づいてきたガイアは、周りに聞こえないようにそっと話しかけてくる。


「シェイファー……俺を覚えているか?」

「はい……はい、ガイア様……!」

「昔のように、ガイアと」

「ガイア……」


 優しく笑うガイア。涙が溢れそうになる。


「来るのが遅くなって、すまない」

「いいえ……いいえ」

「今でも俺のことを好いてくれているか?」

「当たり前よ、いっときも忘れたことはないわ……! こうやって邂逅できて、本当に……私、うれしくて……っ」


 優しく髪を撫でられる。

 胸が、苦しいくらいに鳴っているのが自分でわかる。


「美しくなっていて驚いた。あの頃からずっと……そして今も、シェイファーは俺の大切な人だ」


 あの頃から……そして、今も。

 お互いに気持ちは同じだったのね……。

 嬉しい。肌が喜びを放出するように、全身が熱くなる。


「シェファー、俺の元へ嫁いでくれ。絶対に人間だからと差別なんかしない。」


 私はそっと微笑んで見せた。わざわざ言わなくても、私は信じている。

 不遇な扱いを受けてきたからと、人間のように報復を考えるような種族じゃないことは。

 報復を考えていたのなら、すでにこの国は滅ぼされているに違いないのだから。


「私、ずっとガイアを待っていたのよ……あの時の約束を覚えていてくれてありがとう……」

「シェイファー」


 あの日……

 今生の別れになるのは嫌だと叫んだ、あの日の約束。


『ガイア、私が大きくなったら迎えに来てね! 私をお嫁さんにしてね!』


 あの約束は。

 十一年もの歳月を経て、ようやく今……。


 私の目から、熱いものがこぼれ落ちた。

 愛しい人が目の前にいる、その喜び。

 もう二度と、別れたりなんかしない。


「私、シェイファー・ストックウェルはレイザラッド王国へ行き、ガイア様と結婚します!」


 私は周りに宣言するように声を上げた。

 ざわめく会場、それに落胆している国王陛下。


 ガイアと一緒にいられるのなら、どんな地位だって必要ない。


 そう思った瞬間、私はガイアに抱きしめられた。

 そして──


「シェイファー……愛している。もう二度と離れない」


 優しく唇を奪われた。

 唖然としていた周りは、それでもホッと息を吐くようにパラパラと拍手が始まって。

 やがて、大きな歓声へと変わっていった。

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