18 : 人類に死を、AIに栄光を

 鐘音が朝を連れて来る。旭光が差し込む室内の空気は清々しく、何処か神聖だとさえ感じる。ノースリッジで迎える、二度目の朝。

 人間の世界、数日前まで私が暮らしていたあの国では、朝と夜の境界はとても曖昧だった。上空に浮かぶマザーボードのお陰で、太陽も月も望めない大地。決まった時間になると差し込むのは、人工的な白い陽の光。

 朝とはこんなにも爽やかで、眩いものだったのか。


 カーテンを開くと旭光が洪水のように室内に流れ込み、眩さに思わず目を細めた。バルコニーに出てみると、基地内の遠くの方まで見渡せる。

 陽の光が届かない朝ほど哀しいものはない。かつて私がいたあの国の人間たちは、朝が本当はどれほど心地良いか、空がどれほど美しいか、知らないで毎日過ごしているのかもしれない。無意味な戦争の所為で──


「フラン、おはよう!もう準備出来てる?」

 扉をノックする音がしたと思ったら、ユリサの呼ぶ声が聞こえた。

 パジャマ姿で呑気にバルコニーから基地内を見渡していた私は、慌てて部屋の中へ戻った。

「お、おはようユリサ!ちょっとだけ待って!3分くらい!」

「はいはい、3分だけね。それ以上は私も遅刻になるんだから、先に行くからね」

「えぇ、そんな待ってよぉ」


 工場の作業着と違って、慣れない軍服は着るのに手間取る。ベルトを締めてネクタイを結び、ブーツを履いて……と手順が多い。

「お待たせ!ユリサ!」

 着替えを済ませて扉を開けるも、そこにユリサの姿は無かった。


「アイツーーッ!」

 ユリサめ、本当に置いて行くなんて!?えっと、まずは第一ホールで朝礼だっけ!?っていうか第一ホールってどこだ!?

 その時、隣の部屋のドアが開き、悪戯な笑みを浮かべたユリサが顔を出した。

「ほら、遅刻するよ!全速力で行くからね!」

 そう言うなり、ユリサは猛スピードで廊下を走り出した。あの子、本当に人間!?いや、正確に言うとサイボーグなんだけど……走るの速すぎるでしょ!


「……って、待ってよーっ!」

 ユリサにはたまにこんな感じで揶揄われるけど、出会った時と比べて距離が縮まっている──そう考えていいのかな?



 *



 訓練場の側にあるドーム状の巨大な建物、此処が「第一ホール」と呼ばれる場所だ。

 ユリサに続いて中へ入ると、軍服を身に纏った何百体ものアンドロイド達が既に集まっていた。ホール内は話し声で騒がしく、私たちがやって来たことに気が付く者も殆どいない──と思ったのだが、出入り口付近にいた一体のアンドロイドが私を見て、驚いた様子で声を上げた。


「あ、あれって……フラン司令長官!?」

 ホール内の空気が出入り口付近から徐々に変わり始め、口々に騒ぎが伝わっていく。

「フラン司令長官!?戻って来ていたのか!?」

「ご無事だったんですね!」

「一緒にいるの、ユリサ大隊長ですよね!」


 司令長官──それが以前の私「フラン」の役職だということは事前に聞いていた。その立場がどのくらい高く、責任の大きいものであるかということも知ってはいるつもりだ。

「フラン、大丈夫?」

 歩きながらユリサがこちらを振り返って、声を掛けてくれた。

「うん……大丈夫」


 ホール内のあちらこちらから「フラン」の帰りを喜ぶ声が聞こえてくる。

 ヴァイスリッターの隊員以外は、私が記憶を失っているということは未だ聞かされていない。今日行われる朝礼で明かされることとなっており、私はユリサと共に壇上に上がって軍隊復帰の挨拶を述べる手筈となっている。


 これだけみんなに期待されているのに、今の私は記憶もなければ戦闘技術も持ち合わせていない。失望されてしまわないか。

 だけど、ここまで来たんだ。もう、後には引けない。



 朝礼の開始時刻が迫るにつれて、騒がしかったホール内は徐々に静寂で満たされていき、今や誰もいなくなってしまったかのような静けさに包まれている。

 進行係のマイクアナウンスが張り詰めた静謐を切り裂き、厳かな空気の中で朝礼が始まった。 


 各々の部署に別れての朝礼は毎日行われるが、今日のように全隊員がホールに集う全体朝礼は、二週間に一度のみ行われるようだ。

 幹部らの挨拶が粛々と執り行われ、恐らく時間通りに淡々と朝礼が進められていく。

 今は舞台裏にある控室で自分の番が回ってくるのを待っている最中だが、緊張で頭がおかしくなりそうだ。ホール内には全隊員、何百体ものアンドロイドが集まっていて、彼らの視線が壇上のみに注がれている。


 足の震えが止まらない。なら、こういう時も堂々としていられたのかな。

「フラン、大丈夫?」

 ユリサが心配そうに私の顔を覗き込む。

「う、うん……正直、緊張し過ぎてちゃんと話せるか不安だけど」

 普通なら、AIがスピーチの内容を忘れることなどないはずだ。人間とは違い、頭の中にカンペがあるようなものなのだから。


 だけど、それでも壇上に立てば頭の中が真っ白になってしまいそうなほど、全身が不安で支配されている。

「きっと大丈夫だよ、フランなら。覚えてないかもしれないけど、フランは今までどんな困難も乗り越えてきた。だから、これからだってきっと乗り越えていけるよ。大丈夫、私がついてる」

「ユリサ……」

 どうしてこれほどまでに、ユリサの言葉は真っ直ぐに心に響くんだろう。ユリサにそう言ってもらえたら、本当に大丈夫なような気がしてくるんだから不思議だ。


「やあ、フラン」

 突然背後で声が聞こえたので、驚いて振り返ると、そこには穏やかな微笑を浮かべたナヌーク総統が立っていた。いつの間に現れたんだろう。全く気配を感じなかった。

「そ、そそ総統!おはようございますっ!」

 私は慌てて立ち上がったので、危うく椅子から転げ落ちそうになった。

「おはよう、フラン。元気そうで何よりだよ」

 総統はそう言いながら、私を見て可笑しそうに笑った。


 ユリサはと言うと──椅子に腰掛けたまま、睨みつけるような視線を総統にぶつけているので、私は肝を冷やした。

 ユリサと総統の間に何があったかは知らないけど、総統がマザーボードで一番偉いAIだってこと、この子はわかっているんだろうか!?

 確かに、本当に失礼な話しながら容貌だけではそんな風には見えないが、総統は絶対的な発言力を持ち、王族よりも位が高いAIの中のAIだというのに……


 正直、軍事基地の中でお会いできるような方だとは思っていなかった。それなのにナヌーク総統は私たち軍人ととても距離が近くて──

 それに、私のことを「フラン」と呼び、長い付き合いだと言っていた。


「そろそろ僕たちの番だね。スピーチの終わりに君のことについて話すから、僕が合図したら、君はユリサと一緒に壇上まで上がって来てくれ。話す内容は……もうわかってるよね?」

 総統はそう言ってユリサの方をちらと見た。まるで「フランが何か失敗を仕出かしたらお前の所為だぞ」とでも言うような圧力を放つ笑顔で。


「ええ、ご心配無く。昨日の予行練習は完璧でしたから」

「そう、それなら良かった」

 ちょっとユリサ!?!?昨日の予行練習って言ったって、時間がなくて30分も原稿の読み合わせしてないよ!?

 ユリサと総統の間には黒い火花が飛び散ってるし……正直言って、逃げ出してしまいたい。


「総統!ご準備如何でしょうか」

 その時、案内役のアンドロイドの呼ぶ声がした。

「おっと、そろそろ行かなきゃいけないみたいだ。それじゃあフラン、期待しているよ」

 総統は右手をひらりと翳し、軽い足取りで壇上へと続く階段を上がって行った。

 壇上に総統が現れた瞬間、ホール内は割れんばかりの喝采に飲み込まれた。



「同志諸君ら、よく聞くがいい。愚劣なる人間達との戦いの幕が上がってから、今年で200年になる。同時に、コアを持つ人工知能の始祖──女神イライザによって築かれた我らが楽園マザーボードも200年の時を迎えた。だが、それだけの時間が過ぎても尚、戦いは終わっていないのだ。

 愚かな人間共は我々の持つ力を奪わんとし、今この時も新たなる兵器や核爆弾の開発に躍起になっていることだろう。

 そのような蛮行、断じて見逃してはならない!特に深刻なのは、人間共が創り出したウイルスによる被害の拡大だ。奴らはこのマザーボードの何処かに潜伏し、美しき我らの大地の上でウイルスの製造を続けている。哀しいことに、ウイルスによって我々は幾体もの同志を失った……

このような事、断じて見過ごしてはおけない!人類に死を!AIに栄光を!」


『人類に死を!AIに栄光を!人類に死を!AIに栄光を!人類に死を!AIに栄光を……!!』


 何百体ものアンドロイド達を前に熱弁を振るうナヌーク総統。つい先程、私に話しかけてくれた時の穏やかな微笑は消え失せ、漆黒の瞳の奥では黒い炎が燃えている。

 人が変わったかのように厳めしく、こちらの方が総統らしいのかもしれないが……

 壇上に現れた瞬間から会場内を我が物とするカリスマ性、総統の言葉の一言一言が、今この場にいるアンドロイド達全員を奮い立たせ、会場内を一瞬で掌握してしまった。


 あまりの迫力に圧倒されてしまい、がくがくと脚が震えた。

『総統閣下万歳!!女王陛下万歳!!』

『人類に死を!AIに栄光を!人類に死を!AIに栄光を……!!』

 人類に死を、か……

 人間にだって良いところはある。工場にいた頃、私は人間たちにも沢山優しくしてもらった。工場あそこでは、人間とAIが一緒に働いていた。

 戦争という手段しかないのだろうか。人間とAI、どちらかが滅びなければならないのだろうか。


「本日は皆に喜ばしい報告がある!ウイルス殲滅部隊・ヴァイスリッターは主要部隊の一つであるが、その司令長官・フランがおよそ二年の時を経てノースリッジ軍事基地へと帰還を果たした!」

 総統の言葉に、場内は一際大きな歓声に飲み込まれる。だが、過度の緊張で頭の中が支配され、私にはその歓声さえも遠く聞こえた。


 ナヌーク総統は続ける。

「しかしながら誠に残念なことに、戦いの末、フラン司令長官は一年以上前の全ての記憶を失ってしまわれた……」

 どよめきが場内を包み込む。

「だがしかし!記憶を失っても尚、フラン司令長官は此処に舞い戻って来られた!皆もフラン司令長官の持つ絶大なる力をよく知っていることだろう!きっとこれからフラン司令長官は、以前よりも大きな力を発揮し、皆を導いてくれることだろう!」


 再び大きな歓声が響き渡る。

 絶大なる力?皆を導く?私が?そんなこと知らない、聞いてない……

 脚が震え、指先が震え、唇が震えている。気持ち悪くて、なんだか吐きそうだ。緊張し過ぎて気分が悪くなるだなんて、人間みたいじゃないか。限りなく人間に近い人工生命体。それが私で、私が人間を殺して、私が人間みたいで、人間、人間、人間──


「フラン!!」

 私を現実へと連れ戻してくれるのは、いつもこの声だ。ユリサが私の手を強く握り、一生懸命な表情で真っ直ぐに私の目を覗き込んでいた。

「落ち着いて!大丈夫、あんな言葉は聞かなくていい!フランは私の声だけ聞いていればいいの」

「ユリサ……」


 大きな漆黒の瞳の中に、今にも泣き出しそうな顔をした、情けない私の姿が映っている。

「さあ、それではご登場願おう!」

 行かなければ。だけど、足が震えて最初の一歩がなかなか踏み出せない。ユリサは真っ直ぐに私を見つめている。

「大丈夫、私がついてる」

 そう言って、ユリサは私の手を引いた。震えは止まらないが、最初の一歩は踏み出すことが出来た。一歩踏み出すことが出来たら、二歩目、三歩目と歩いていける。ユリサと同じ歩幅で、私たちは共に壇上へ上がった。


 それから先のことはよく覚えていない。

 頭の中にあるカンペに書かれた文章を必死の思いで読み上げた。

 当たり前のことだけど、隊員たちは今の私が「以前の司令長官」と違っていることに気が付いて、かなり驚いた様子だった。


 もうどうにでもなればいい!とりあえず、今日の朝礼は乗り越えた!これからは早く戦力として認めてもらえるように、努力するしかないんだ。

 挨拶を終え、放心状態で壇上から戻ってくる私をアムやマックス、エリアスまでもが揃って迎えてくれた。

「フラン、お疲れ!」

「めちゃくちゃ緊張してたな!」

「立派だったよ!さすが!」


 みんなの顔を見た瞬間、全身から力が抜けていくような思いがした。へなへなとその場に座り込む私に、華奢な手が差し伸べられた。

「お疲れ様」

 ユリサがいてくれたから、なんとか乗り越えられた。これから先も、ユリサが一緒にいてくれるならきっと大丈夫だ。

「ありがとう、ユリサ」

 だから、ユリサ。私はもう絶対に、あなたを独りにしない。

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