16 : 心臓の駆動音

 マザーボード唯一の軍事基地であるノースリッジ軍事基地は、基地そのものが一つの街であるかのように規模が大きく、外に出ずとも生活に必要なものは大抵揃えることが出来る。

 知らないで訪れると此処が軍事基地だとはわからないくらい、内部は花と緑に溢れていて、自然公園と見間違えてしまいそうなほどだ。


 正門を潜ると、正面に大きな噴水が見える。その奥に建つ西洋建築とマザーボードの最先端技術を織り交ぜたかのような荘厳な建物、ここが司令部だ。

 軍隊の重鎮たちが職務を執り行う場所であり、来客があればまずここに通される。重要な会議なども、全てここで行われる。

 その更に奥には、全面ガラス張りの超高層ビルがある。ここは訓練場と呼ばれる施設で、中には射撃場や道場、ジムなどの他に、プールや球技場などまであるらしい。


 訓練場を挟んだ所に男性寮と女性寮がある。建物の外観は、どちらも中世ヨーロッパの建築を思わせる。

 マザーボード内にある建物は西洋建築を彷彿とさせるものが非常に多く、そこに高度な最先端テクノロジーが織り交ぜられて、マザーボード独特の世界観が形成されている。ここ、ノースリッジ軍事基地内も例外ではない。


 司令部、訓練場、男性・女性寮の他に、飛行場や整備場、化学兵器などを製造する研究所、火薬庫など、軍事設備は万全に整えられている。

 その他にも、基地内には大型のショッピングモールがあり、衣服や日用品など、生活に必要なものはここで十分に揃えることが出来る。──と言っても、AIが生活するに当たっての必需品など、そう多くはないのだけれど。


 ……というような事を、ユリサは私に教えてくれた。

 ノースリッジ軍事基地は1日じゃとても回り切れないほど広大で、ユリサに連れられて基地内の施設を見て回っているとあっという間に時間が過ぎていき、気付けば外は暗くなっていた。


 女性寮は5階建てで、男性寮と同様に階級の高いアンドロイドほど上層階の個室を宛がわれる。

 以前の私が使っていた部屋は5階にあり、隣室はユリサで、同階にはアムやカノンの部屋もあるそうだ。


「ここがフランの部屋よ」

 ユリサはそう言って、私の部屋の扉を開けた。

 私──「フラン」が戻ってくることを信じて、部屋はなるべくそのままの状態で残されていた。掃除ロボットが毎日清掃を行なっているようで、室内は綺麗な状態に保たれている。


 木製の簡素なシングルベッド、チェストにデスク、一人掛けのソファ。必要最低限の物しか無く、女の子らしい雑貨などは何一つとして置かれていない。

 カーテンや絨毯は象牙色で統一されていて、初めて訪れたはずなのに不思議と居心地が良い。それはやっぱり、私が「フラン」だからなのだろうか。


 部屋の奥にはバルコニーがある。外では静かな雨が降り始めていた。人間の世界では雨が降ることはなかったが、同時に陽の光も当たらなかった。

 木製のデスクに指先でそっと触れてみる。まだ誰かの体温が微かに残っているような気がした。その後ベッドに腰掛けて、室内を改めて見回してみたけれど、やっぱり何も思い出せない。


 この部屋のどこにも、記憶の破片さえ落ちてはいなかった。フランが不在の間に、掃除ロボットがそれさえも片付けてしまったのだろうか。

 何もかも忘れてしまっているのだから、そう簡単に思い出せるはずがない。わかってはいるけれど、少し辛い。慣れ親しんでいた自分の部屋を見れば、何か思い出せるかもしれないとどこかで期待していたから。


 ユリサや総統、私をフランだと信じてくれるみんなを信じることに決めたけど、私がフランなのだという確証を手に入れて安心したかった。私は偽物ではないと、確信したかった。

 突如として、右手の甲にユリサの掌がそっと重ねられる。

 驚いて隣を見ると、ユリサがいつもの優しい微笑みを浮かべながら黒い瞳で真っ直ぐに私を見つめていた。


「ユリサ……?」

「フラン、大丈夫だよ。焦らなくても。私は今此処にいるフランを応援してる。言ったでしょ?あなたは私が守るって。それに、本当は戦わなくても……」

 ユリサの顔に影が差し、外の曇天を映したかのように、瞳が潤んだように見えた。ユリサはたまに、哀しみや切なさや痛み、それらの感情が入り混ざったような目で私を見ることがある。その度に私は胸が締め付けられるような思いがして、この子の為に強くならなきゃって思うんだ。


 ユリサは目線を上げて、間に合わせの笑顔を作った。

「……ごめんなさい、何でもないわ!さあ、疲れたでしょう?今日はもう休んだ方がいいわよ。明日からまた忙しくなるだろうし」

 ユリサはそう言ってベッドから立ち上がった。

 華奢な腰回りにすらりと伸びた手脚、綺麗な黒髪。昼間、ウイルスに感染したアンドロイドと戦っていた時の彼女は、別人のようだとさえ思えてくる。それくらい、ユリサは可憐で品があって、とても強いんだけど、同じくらい弱い感情も抱えている──私と同じ、普通の女の子なんだ。


「そうだね。今日は早めに休もうかな」

「ええ。それじゃあ、私は隣の部屋にいるから。何かあったらいつでも来て」

「うん、ありがとう。おやすみ、ユリサ」

「おやすみなさい」

 部屋を後にしようとする背中を、私は慌てて引き留めた。

「ユリサ!」

 ユリサが不思議そうな顔をしてこちらを振り返る。

「どうしたの?」


 自分でも、どうして今ユリサを引き留めたのかはっきりとしない。ただ、これだけは確認しておかなければならない。

「ユリサは、怖くないの?」

 雨が降り頻る音しか聞こえない。耳をよく澄ませば、私の中で部品が振動する微かな音が聞こえる。ユリサの胸に耳を当てれば、心臓の動く音が聞こえるだろうか。

「……怖いわよ」

 視線を上げると、ユリサの真っ直ぐな瞳と目が合った。ユリサは弱い感情も抱えている、私と同じ普通の女の子なのだと先程までは思っていたが、それは撤回しなければならないと、私は無性に自分が恥ずかしくなった。


 ユリサは私と同じなんかじゃない。本当は弱いながらも、覚悟を決めて前を見据えている。「強さ」とは、そういうことではないのか。

「怖いけど、生きる理由があるうちは、守りたい人がいるうちは、生きて戦わなければいけない。私にはそれ以外の道なんて無いの」

 ユリサはそう言って笑った。悪魔と契約を交わした聖女のような、美しくも危うい瞳で。

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