09 : 甘くて香ばしい
サテライトフルークに乗って上空から望むマザーボードは、それは美しく荘厳な景色であったが、地上から見上げるこの世界もまた、一味違った魅力を放っている。
マザーボードの中心都市、ノースリッジ。天まで続いていそうな高層ビルが幾つも聳え立ち、遥か頭上の道路の上を物凄い速さでモビリティが駆け巡る。
街の至る所で巨大な歯車が回転し、建物の外壁に取り付けられたモニターの中ではこの世界のテレビ番組が放送されていた。
街行くAI達はみんな忙しそうで、自身の目的地へと向かってせかせかと動いている。
「さあ、じゃあ早速基地へ……と言いたいところだけど、その前に街を少し見て回る?」
「えっ!いいの!?」
ユリサは「仕方ないなぁ」とでも言いたげな表情を浮かべてくしゃりと笑った。
「いいわよ。見て回りたくて仕方がない、っていう気持ちが顔に出ていたし」
「えっ、えっと……まあ、そうなんだけど……」
浮かれる心を見透かされたみたいで何だか恥ずかしくなって、思わず両手で顔を覆った。
端正な口元に穏やかな微笑を浮かべるユリサは上品で、見た目の年齢よりも随分と大人びて見える。
……あれ?そう言えば、ユリサっていくつなんだろう。
アンドロイドは製造されてからいくら年が過ぎようとも、人間のように見た目に変化が現れることはない。強いて言えば、外装の傷や汚れが増えるくらいだろうか。
言い方は悪いが、古くなればなるほど勿論機能は衰退していく。かつて出来ていたことが出来なくなり、「コア」──AIの意志や感情を司る部分が正常に働かなくなり、最終的にはぷつりと電源が切れる。そして、二度と起動しなくなる。それが人工知能の死。
ユリサは切長の瞳を綻ばせ、にっこりと微笑んだ。機械に性別はないけれど、女性型アンドロイド──所謂ガイノイドである私でもちょっとドキッとしてしまうくらい、それはもう可憐な笑顔で。
「それじゃ、行きましょ!」
私の数歩先を歩く、ユリサの長い黒髪が揺れる。私は少し駆け足でユリサに追いつき、彼女の隣を歩く。
この街は360度どこを見ても興味をそそられるものばかりで、視線を奪われているとユリサが先の方へ行ってしまっているから、私は慌てて彼女を追いかける。その繰り返しだった。
商店街では至る所から活気に満ちた声が聞こえてきて、覗いてみると機械のパーツや衣類、アクセサリーなどの他に、読み込むことで自身に新しい機能を付け加えることが出来る「ソフトウェア」や「拡張機能」なども販売されていた。
人間達の世界では、商店街で売られているものと言ったらまず食料を思い浮かべるが、マザーボードでは食料を売っている店は少ない。
AIは食事を摂る必要がないし、そもそも「食べる」という機能を持ち合わせていない者も多い。それに、食べることが出来ても味を感じにくい。その為マザーボードの食べ物は、人間の世界の食べ物よりもかなり味付けが濃い傾向にあるようだ。
ちなみに、AIは排泄を行わないので摂取した食べ物は体内で分解される。
多くの商店の中で私が特に興味を引かれたのは、甘くて香ばしい香りを放つ「チュロス」というスティック状の食べ物だった。
この「チュロス」という食べ物に限った話ではないが、マザーボードで売られている多くの食品は人間の世界の料理を参考に作られている。
無意識のうちに足が止まっていたようだ。
「すみません、チュロス二つ」
「はい、750トロンになります」
驚いて隣を見ると、ユリサが手早く会計を済ませていた。
「えっ、ちょっとユリサ!?」
横で慌てる私など見えていないかのように、慣れた所作でユリサは代金と引き換えにチュロスを受け取った。
「まいどあり」
「どうも──はい」
ユリサはそう言って、チュロスを一本私の前に差し出した。ユリサの意図が掴めず、戸惑って私がなかなか受け取らないでいると、ユリサは不思議そうな顔をした。
「……あれ。食べたいんじゃなかったの?」
「えっ、いや、ごめんね!私お金持ってなくって……食べたいアピールしてたわけじゃないんだけど、なんか気遣わせちゃったみたいで……!」
ユリサはきょとんとした表情で数回瞬きを繰り返した。そしてその後、弾けたように声を上げて笑い出した。
「あははっ、ダメだ……ずっと我慢してたけど今のフラン面白すぎて……!ああ、お腹痛い」
「え!?ユリサお腹痛いの!?大丈夫!?」
「違う、大丈夫……あんまり可笑しくって……」
ユリサがどうして笑っているのか、何がそんなに面白いのかわからないけど、ユリサが笑っているなら理由なんて何でもいいような気がした。
「フラン、私は気を遣ってなんかいない。お金なんて返さなくていいし、これは私がやりたくてやったことなんだよ?だからフランはこのチュロスを受け取って美味しそうに食べればいいの!」
「えっ……ええっと……ありがとう」
私がチュロスを受け取ると、ユリサは嬉しそうに微笑んだ。
「どういたしまして!」
ユリサに買ってもらったチュロスは口に含んだ瞬間、芳醇な甘い香りが広がって、カリッとした食感がとても魅惑的な食べ物だった。
食事を摂る必要がなかったとしても、こんなに素敵なものなら毎日でも食べたい。
ユリサと肩を並べて、チュロスを食べながら街を歩く。
ユリサは私の視線が引き付けられる方向を辿り、あらゆるモノの使い方や利便性について一つ一つ解説してくれた。
なんだか今、とっても楽しい。こんなに楽しくてもいいのかな。これから大変なことが沢山あるってわかってはいるけれど、私の胸は今、どうしようもないほど高鳴っている。
「あ、ねえユリサ。答えたくなかったら無視してくれて全然いいんだけど」
「ふふっ、なに?ホントに、今のフランは面白い話し方をするわね」
「えっ、そ、そうかな?」
工場のみんなにも「シュガーはAIらしくない話し方をする」と言われたことはよくあったけれど……そんなに変だろうか?
だけど、以前の私がどんな話し方をしていたか、それも一切思い出せないのだ。
工場──つい昨日までいたはずの場所なのに、何故だか随分と昔のことのように感じてしまう。
挨拶もせずに逃げ出すような形になってしまって、どうしようもないことだとわかってはいるけれど、工場のみんな、すごく親切にしてくれたのに……
工場長だって、あんなことはあったけれど私を助けてくれた人なのに……
「──ラン?フラン!」
「は、はいっ!」
ユリサの声で、暗い思考の渦の中を漂っていた意識が呼び戻された。
「大丈夫?またぼーっとしてたよ?疲れた?」
「ううん、全然大丈夫だよ!ごめんね」
「大丈夫ならいいけど……マザーボードに来たばっかりなんだし、疲れて当然なんだから無理しないでね?」
「うん、ありがとう」
ユリサにこれ以上心配をかけたくない。だから、もっとしっかりしなきゃ。
「それで、さっき言ってた質問ってなに?」
「へっ?……ああ!そうだ!あの、ユリサってい──」
私が言いかけたその時だった。
突如として、思わず耳を塞ぎたくなるような轟音が鳴り響き、爆風で視界が塞がれた。
それはあまりに突然の出来事で、何が起きたのか状況を飲み込めない。
「きゃああああっ!ウイルス!!あっちにウイルスが出たって!!」
ウイルス──?
それは私たちが対峙すべき存在であり、救うべき存在でもある。
この時の私はまだ、その事さえもわかっていなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます