08 : 機械仕掛けの楽園都市
「……ラン!……フラン!」
誰かが呼んでいる。いつも夢の中で私を呼んでいる女の子。どれだけ辺りを見回しても、その姿は霧に隠れて見えない。
その子はいつも、私に助けを求めている。
私に出来ることなんて少ないかもしれないけれど、こんな私を頼ってくれるなら力になりたい。
そう思うのに、どうしてもあなたを見つけ出せない。
「……ラン!……フラン!フラン!」
そして目が覚める。私の顔を心配そうに覗き込む、黒い瞳と目が合った。
「……ユリサ」
「もう、大丈夫?呼んでも全然起きないから心配したんだよ?」
ユリサは穏やかな表情で私を見て、安堵した様子で小さく息を吐いた。
夢の中で聞こえていた女の子の声。あれはきっと、ユリサの声だったのだろう。
「ごめんね、大丈夫だよ。ここは……」
辺りを見回して、驚きのあまり少しの間瞬きさえも忘れてしまった。
サテライトフルークは草原のような場所に停まっている。澄み切った穏やかな風が頬を撫で、地に咲く小さな花が揺れていた。
そして何よりも驚いたのは、どこまでも無限に続いているかのような、頭上に広がる青い天井。いや、これは天井などではない。これは「空」だ。
「きれい……」
こんなにも綺麗なものは見たことがない。
初めて見る青い空は、息を呑むほど美しく雄大である。こんなにも綺麗な空を見上げることが出来ない、地上の世界のあの国の人々をとても不憫に思う。
サテライトフルークから青い空を見上げている。ということは……
「着いたわよ。マザーボードに」
ここが──マザーボード。眠っている間にいつの間にか到着していたから、なんだか実感が湧かない。
「そっか……私、ずっと寝ちゃってたね。ごめん」
「気にしないで。それより、ほんとにもう身体は大丈夫なの?」
「うん、大丈夫。ありがとう」
浮遊感に似た若干の気持ち悪さはまだ残っているけれど、殆ど無いようなものだ。直に慣れるだろう。
「それじゃあ、早速だけど行きましょうか。マザーボードの中心、ノースリッジへ」
ユリサはそう言って不敵に微笑んだ。
マザーボードの中心──そこに行けば、何か思い出すことが出来るだろうか。一体どんな所なんだろう。「胸が弾む」とは、きっとこういう感覚のことを言うんだ。早くこの目で見てみたい。この世界を、私の故郷を!
──だけど、この時の私はまだ何も知らなかったんだ。
AI達の楽園都市・マザーボードが今どのような状況にあるのか。
ユリサが私をマザーボードへ連れて来た本当の理由。
以前の私の記憶を必死に思い出そうとしているのに思い出せないのは、私自身がどこかで思い出すことを拒んでいるからなのかもしれない。
サテライトフルークは私たちを乗せて風の中を疾走する。手を伸ばせば雲を掴めそうなほど、青空を近くに感じた。
機械仕掛けの楽園都市は、想像に反して存外緑が豊かな場所だ。私たちが降り立った草原地帯を抜けて数十分ほど空の中を走ると、工場や高層ビルが密集した工業地帯が見えてきた。中心へ向かえば向かうほど、所謂マザーボードらしさは濃くなっていく。
空から地上を覗き込むと、忙しなく働き続ける機械の動きや、様々な外見をしたAIたちの進行方向がよく見える。建物や道路などが密集した、精巧な模型みたいな街だ。
街の至る所で巨大な歯車が回転し、ビルとビルの間を抜けるようにして上空に道路が何重にも張り巡らされている。
中心部の街の景色は人間世界の都市部の光景とそれほど変わらない。ただ、マザーボードはやたら工場が多くて鉄塔や高層ビルなどの建物がひしめき合っている。
高層ビルがどれか一つでも倒れたら、ドミノのように全てが倒れて街がぐちゃぐちゃになってしまいそうな──そんなことは起こらないように設計されているのだろうけど──想像してしまい、少し怖くなった。
マザーボードに在るもの全て、建物から草木に至るまで、きらきらと電子の青白い粒子を纏い、街全体が光り輝いているかのように見える。それはもう筆舌に尽くしがたいほど美しくて、「美しい」などという言葉では胸を打つこの感動を表せないほど素晴らしくて──
ああ、私はマザーボードに来たのだと実感した。
「うわぁ……!すごい!ユリサ、すごいよ!」
「はいはい、わかったから。あまり身を乗り出すと落っこちるわよ?」
サテライトフルークを操縦するユリサに嗜められ、私は後部座席に座り直した。
私たちのすぐ横を巨大な飛行船が通り過ぎていく。美しい青色の光を纏い、ゆっくりと空の中を進む飛行船は機械仕掛けの深海魚のようだ。
「わぁ……!ユリサ、あれって飛行船!?すごいね!あ、見て!あっちには気球が見えるよ!すごい、大っきい!」
「もう、フランったらはしゃぎすぎ。落ちると危ないから少し落ち着いて。もうすぐ着くから」
「はあい……」
今すぐにでも地上へ降り立って色々な場所を探索してみたい。はやる気持ちを抑えることに苦労した。
街を見てはしゃぐ私は子どもみたいだって自分でもわかっているけれど、こんなにも美しいCGのような世界を目の当たりにして落ち着いていられるほど、私は大人でもない。
人間の考えるものは突飛で感性を揺さぶられるが、AIが創り出すものは緻密で繊細、生真面目で安定性に優れている。二つの世界を見て、そんな印象を抱いた。
サテライトフルークは徐々に地上へと近づき、屋内駐車場の高層階に停車した。駐車場の中では、様々な形の乗り物─サイバーモビリティが縦横無尽に行き交っている。
アンドロイド警備員が誘導を行なっているが、それでもこれだけの台数の乗り物が駐車場内をぶつからずに行き来していることに驚いた。
「ここは軍専用のパーキング。ここに停車しているのは、全て軍が所有するモビリティなの。ここに翼のマークがあるでしょう?」
ユリサはそう言ってサテライトフルークの車体に刻まれた白い翼の紋章を指先で示した。鳥というよりも、天使の翼という感じだ。
「ほんとだ……」
「これよりも規模は小さいけど、基地の中にも駐車場はあるのよ」
広大な駐車場の中を行き交う全てのモビリティが軍隊の所有物だなんて、しかも此処だけじゃなく基地の中にも駐車場があるだなんて、その規模の大きさに圧倒される。
「私たちが生活している所、ノースリッジ軍事基地はここからすぐ近くにあるの。ほら、向こうに見える。少し開けた所があるでしょう?」
ユリサの指し示す方向に目を向けると、都市部の中に大きく開けた軍事施設のような場所があった。
その中でも一際異彩を放ち風格を纏う、超巨大な建造物が特に目を引いた。
ここからだとはっきりとは見えないが、外壁は青々とした煌めきを放ち、最先端の建築のようでありながらその形はどこか中世ヨーロッパの城を思わせる。
「あんな凄い所で……」
「想像できない?」
ユリサは微笑みながら私の顔を覗き込んだ。
「……うん。でも、ユリサと一緒に暮らすのは楽しそう」
「そうね、大変なことも多いけど、私がいつも近くにいるから。だからフランは、何も心配なんてしなくていいわ」
ユリサの笑顔は不安を溶かし、私の心を温めてくれる。
自分は何の為に造られたのか、以前の記憶が一切思い出せなくて、真っ暗な闇の中に一人でいるような気持ちをずっと抱えていたけれど、今はもう一人じゃない。
「行きましょう、フラン!」
ユリサが手を繋いでくれている。それだけで、過去も未来も見えない闇の中を私は迷わずに進んで行ける。
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