07 : マザーボードへ

 周囲を包んでいた深い夜が徐々に払われ、仄暗い世界に人工的な朝の光が差し込んだ。

 つい1、2時間前までは真っ暗で遠くのものは殆ど何も見えなかったが、時間が経つにつれてこの町の景色が姿を現し始めた。


 ここは緑が多い所だ。一口に緑と言ってもその色合いは様々で、若草色や青葉色、萌葱色に浅緑……機械の目でも識別出来ないほど、沢山の自然の色味が混ざり合っている。

 畑や田圃の中にこぢんまりとした民家が転々と立ち並び、顔を上げると遠くの方に山が見える。山頂付近には白いもやがかかっている……あれは「霧」だろうか。


 アンドロイドである私の知識は無限に近い。インターネットの検索機能が私の身体の中にはある。だから単語やその由来は少し調べればすぐにわかるけど、実際にこの目で見て、触れて、感じてみないとわからないことだって沢山ある。


 だからきっと、AI達は自由を求めたのではないか。わからないけど、そんな風に思う。人間と同じように色々な場所へ行って色々な景色が見たい。その気持ちは、とてもよくわかるから。

 

 ああ、それにしても……なんて綺麗な場所なんだろう。ずっと工場の中にいたら、壁の向こうにこんなにも美しい世界が広がっていることに気が付くこともなかったはずだ。

 ユリサが私を連れ出してくれたんだ。

 私の少し前を歩くユリサの背中はとても華奢で、背だって私より低いのに、こんなにも頼もしい。

 ユリサにこんなに大事に思ってもらえるほど、以前の私は素晴らしいアンドロイドだったのだろうか。今の私には、なんだか想像がつかない。想像がつかないけれど、思い出したい。


 ユリサの後ろについて歩いていくと、次第に木々が多くなり、道は険しくなっていった。町中ではぽつりぽつりと見えていた人の姿も一切無くなり、鳥の侘しく鳴く声や静かな川のせせらぎ、不穏な木の葉の騒めきの他には、殆ど何も聞こえない。


「ユリサ……どこへ向かってるの?」

「疲れた?少し休む?」

ユリサがこちらを振り返る。その飄々とした表情からは疲れなど微塵も感じられない。

 私だってこれでもアンドロイドだから、それなりに丈夫には造られている。疲れてはいないが、少し心配になったのだ。

 だけどまあ、ユリサがそう言うなら、きっと大丈夫なのだろう。


「ううん、平気」

「そう。疲れたならいつでも言って。だけど、あと少しで着くわよ」

 私たちは歩みを再開した。舗装されている道はいつからか途切れ、神話のように高い木々に囲まれた森の中をユリサの後に続いて進んだ。

 今思えば、マザーボードまでどうやって行くんだろう。マザーボードはこの世界の遥か上空に浮かんでいる。ユリサはどうやってマザーボードからこっちの世界まで来たんだろうか。

 今まで歩きながら町の景色にばかり目が行って、肝心なことをユリサに聞いていなかった。


「あそこを上れば到着よ」

ユリサの白い指が指し示す方に、階段が見えた。どうやら、あの上が山頂らしい。

 階段を上ると、一気に視界が開けた。上空に浮かぶマザーボードの所為で空は望めないけれど。

 そしてそこには、繭型の乗り物が一台停まっていた。その風貌は車と言うよりか大型のミッションバイクに似ていて、艶光りする白銀色の車体には前方に二輪、後方に一輪車輪が取り付けられている。


 ユリサが腰のベルトに触れると、ロックが解除されたのか車体に流星のような青い光が走った。

 検索機能を用いて調べてみる。サテライトフルーク。それがこの乗り物の名称だ。地上は勿論、水上や上空をも走ることができ、人間の世界では企業や軍隊などでのみ使用されている。同系統モビリティの中でも特に飛行に特化しており、最大高度はおよそ一万メートル。飛行機と同等の高さを飛ぶことが出来るらしい。


「うわぁ……!すごい!これ、サテライトフルーク?しかも最新?かなり新しいやつだよね!?すごい、私初めて見た!」

「こっちの世界じゃ最新なのかもしれないけど、マザーボードじゃこれでも旧式よ?これでマザーボードまで行くの」

 ユリサはそう言いながら、慣れた様子で運転席へと乗り込んだ。


「すごい!これでほんとにマザーボードまで行けるんだね!うわぁ、なんだか信じられない!」

 初めて見るサテライトフルークというこの乗り物があまりにも格好良くて、胸の高鳴りがなかなか抑えられない。ユリサが運転席に着いても、私は車体の周りをぐるぐると巡り、このハイテクな乗り物を観察していた。

 そんな私を見て、ユリサは笑みを漏らした。


「フラン、子どもみたい。さあ、そろそろ行くよ?後ろに乗って」

「は、はーい……」

 なんだか途端に恥ずかしくなって、私はすごすごと後部座席に乗り込んだ。

乗り物を見てはしゃぐ私は子どもみたいで、そんな私を嗜めるユリサはお母さんみたいだ。


「シートベルト締めた?」

「えっ、シートベルトってこれ?これ、どうやってやるの?」

「もう、ホントに全部忘れちゃってるんだね」

ユリサは運転席から降りて、私のシートベルトを締めてくれた。長い黒髪が細い肩から滑り落ち、私の腿の上にはらりと落ちた。

「こうやるのよ。わかった?」

「わ、わかった。ありがと、ユリサ」

「どういたしまして」


 間近で見るユリサの顔は本当に綺麗で、お人形さんみたい。大人っぽさの中にあどけなさもあって、整っているんだけど何処か危うい印象を受ける。

 なんだろう……うまく言葉で表現出来ないけれど、「アンドロイドではあまり見ない顔立ち」とでも言うのだろうか。

 黒い目なんかキラキラしていて、吸い込まれそうになる。いいな……なんだか、人間の目みたい。


「それじゃあ、出発するよ。先に言っておくけど、長旅になるからね」

 ユリサが運転席にあるスイッチを押すと、車体前方からドーム状の透明な屋根が出てきて、頭上を包んだ。

 驚いて見上げていると車体がふわりと浮き上がり、少しずつ高度を上げていくではないか。


 サテライトフルークは物凄い速さで上空を走り抜ける。フィルムのように移りゆく街の景色に目を見張った。

 鉄橋や高層ビル、線路、高速道路……忙しなく動く人間たちの頭が、ここからだとよく見える。ここでは人間とAIが共存しているのに、どうして戦争が続いているんだろう。


 AIが意思を持つようになって、自由を求めたから?人間はAIの力無しでは生きられず、AIは人間によって造られたのに。

 工場で働くみんなの顔が思い浮かんだ。結局、さよならも言わずに出てきてしまったな……

デンジさん……


 嫌な記憶を振り払うように、私は首を横に振った。

 あの工場の中では人間とAIが一緒に仲良く仕事をしていた。だから、戦争だって終わらせられるはずなんだ。私は人間特有の温かさや笑顔がとても好きだ。だから、人間ともAIとも、みんなと仲良くしたいのにな……

 

 サテライトフルークは徐々に高度を上げていく。身体の中の部品が軋んでいるような感覚がして、なんだか頭が痛くなってきた。

 ユリサの不安そうな目が、こちらをちらりと振り返った。


「フラン、大丈夫?」

「うん、ちょっと気持ち悪くなっちゃっただけ。全然平気だよ」

「きっと高所に慣れていないからね。マザーボードに着けばすぐに慣れるわ。もう少しで着くから。眠っててもいいわよ」

「うん、ありがとう。ちょっと、眠っていようかな……」

「ええ、着いたら起こすわ。それにしても」


アンドロイドなのに睡眠を取るところは、変わっていないのね。

 ユリサがそう言ったような気がするけれど、それは夢の中でのことだろうか。

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