06 : 陽が昇らない朝
辺りはまだ深い夜の中で、私たちがいる自販機の周りだけが異様に明るく照らされている。朝の気配はまだ感じられない。時折機械仕掛けの獣が通り過ぎていく音が聞こえる。
ユリサ曰く、それは「車」という人間の乗り物だそうで、地上を走っているものはこの町のような「田舎」でしか殆ど見られないらしい。
「私も人間の世界なんて何年も来ていなかったから、最近の人間たちの暮らしについては深くは知らないけどね」
何年も来ていなかった──ということは、来たことはあるということ?それに、ユリサはこの世界のお金を持っていた。それは腰のベルトに付けられた小さなポーチの中に入っていて、肌身離さず持っているようにも見える。
ユリサ──不思議な女の子。記憶を失くす前、私はこの子と親友だったみたいだけど何も思い出せない。この子のことも、昔の私のことも。
「あの……ユリサは、私をマザーボードに連れて行きたいんだよね?」
ユリサは飲み物を一口飲み、それから真剣な眼差しをこちらに向けて頷いた。
「ええ、そうよ」
「それはどうして?あの……ごめんなさい。さっきも言ったかもしれないんだけど、私、昔の記憶がなくって……」
訪れる静謐。自分に向けられる眼差しと沈黙が痛くて、私はつい俯いてしまった。
「それは、わかっているわ」
落ち着いた静かな声に顔を上げると、微笑むユリサと視線が重なった。
「言ったでしょう?あなたが覚えていなくても、私はあなたの親友だから。それは、あなたの性格が180度変わろうが関係ない。フランはフランだから。だけど……」
ユリサは言い淀み、悲しげな表情を浮かべて視線を落とした。そして、再び私を真っ直ぐに見つめて言った。
「だけど、マザーボードに戻ることはあなたにとって辛いことなのかもしれない。ここへ来てあなたと再会するまで、私は自分のことしか考えていなかった。『マザーボードへ帰りたい』と、あなたはそう考えているに違いないと思い込んでいたの」
私は──この世界で目覚めた時、何も思い出せなくて、何も出来なくて、それでもこんな私に居場所を与えてくれる工場のみんなの役に立ちたいと思っていた。
つい数時間前のことが、思い出そうとしても思い出せない。自分自身を苦しめないように無意識にストッパーが掛けられていて、思い出せないようにしているみたいだ。
それでも、鮮烈に脳裏に焼き付いて離れない、黒い塊が胸の奥に沈殿している。
突然別人のようになってしまった人間の目。それを見た時、私の身体の中を支配した無数の手。黒い感情。
……気持ち悪い。気持ち悪い!大量の小さな虫が体内を這い回っているみたいに気持ちが悪い。身体の中のもの全て、吐き出してしまいたい!
「……ラン、フラン!」
ユリサの声で、私の意識は現実へと引き戻された。冷たい汗が身体内側を伝っている。膝の上で握られた手はひどく震えていて、自分では抑えることが出来ない。
「……ぁ、あ」
声が出ない。舌を抜き取られて、喉が声の出し方を忘れてしまったかのような異様な感覚。
震える手に、ユリサの白い手がそっと重ねられた。
「フラン、大丈夫だよ。落ち着いて。もう大丈夫だから。私がいるから……」
──なんだろう。なんだか無性に声を上げて泣きたくなった。
「……ユ、リサ」
呼びかけに答えるように、ユリサは優しく微笑んだ。手の震えは少しずつ収まっていった。
私が落ち着きを取り戻し始めたのを見計らってか、ユリサが口を開いた。
「あのね、フラン。私、考えていたんだけど……フランがここに居続けたいって言うなら、私もここにいる」
ユリサは至って真剣な表情で、真っ直ぐに私を見つめていた。
「今のあなたは覚えていないだろうけど、私は元々、あなたの為に戦っていたようなものなの。世界じゃ人間とAIとの間で戦争が起こっているけれど、私はどちらの味方ってわけでもない。そりゃあ、形上で言えばAIの味方になるんだろうけど、本当はどちらが勝とうがどうだっていい。フラン、あなたが無事でさえいれば」
ユリサの言っている言葉は理解できるのだけど、正直意味がわからない。私の頭が悪い所為で、彼女の伝えたいことをわかってあげられない……!
どうして?どうしてそんなに必死なの?ユリサ、どうしてあなたは、私なんかの為にそんなに頑張ってくれるの?
どうして私は、こんなに大切な親友のことを思い出せないの?
──思い出さなきゃ。
何が何でも、私はユリサとの思い出を取り戻さなきゃいけない。
そして、私の記憶も。以前の私がどこで何をしていたのか。何の為に造られたのか。私に課せられた使命とは何か。
それらは、絶対に忘れてはいけないことであるはずだ。
あの時──ほんの一瞬見えた光景、私を支配した黒い感情。あれは以前の私の記憶だろうか。わからない、思い出せない!
記憶の正体を掴むことが出来たなら、もうあのような恐ろしい感情を抱くことはないはずだ。
何よりも、私はユリサとの思い出を自分の力で取り戻したい。
私は立ち上がり、ユリサの黒い瞳を見つめた。
「ユリサ、ありがとう。だけど、私はマザーボードへ行きたい。昨日まではここにいたいって言ってたのに……ほんとに、ころころ変わってごめんなさい。でもね、今はマザーボードに行って、記憶を取り戻したいって思うの。自分のやるべきことも、ユリサ──あなたとの思い出も!」
少しの間、ユリサは呆然とした様子で私を見上げていた。
……あれ?私もしかして、また何か不味いこと言っちゃった?
撤回しようかと考え始めたその時、ユリサの頬を一筋の涙が伝った。夜の中できらめく、真珠のように透き通った綺麗な涙。
「ご、ごめん!ごめんなさい!ユリサ、私また何か嫌なこと言っちゃった!?」
ユリサはぽろぽろと零れる涙を両手で拭いながら首を振った。
「ううん……違う、違うの。嬉しいの。でも、それと同じくらい、怖くもあって。私の方こそ、私からマザーボードへ帰ろうって言っておきながら、実際にフランがマザーボードへ行ったらあなたはまた傷付くんじゃないかと思って……」
「傷付く……?」
「今のマザーボードは、人間が作り出したウイルスに侵されているの。私とあなたは、そのウイルスからAI達を守る軍の一組織に所属していて……。だから、フランが戻ったら、また戦わなければならなくなる可能性が高い。それでも、気持ちは揺るがない……?」
戦う……?私が……?
そんなこと、今まで考えたこともなかった。外の世界で戦争が続いていることは知っていたけれど、昔の自分がマザーボードで戦っていたなんて……そんなこと、すぐに信じられるはずがない。それに、今の私には戦闘経験もなければ戦い方も一切わからない。
だけど──それでも、以前の私がマザーボードでユリサと一緒に戦っていたって言うなら、それが私の「使命」なのかもしれない。
「私は……戦い方なんて何一つ覚えてない。マザーボードへ行っても、全く役に立てないかもしれない。でも、それでもよければ……私はユリサと一緒に、マザーボードへ行きたい!」
まだ涙の乾き切らない美しい目を瞬かせ、ユリサは微笑んだ。
「わかった。フランがそう言うなら」
ユリサは私の両手を取り、胸の位置で握りしめた。
「ねえ、もう一度約束させて。今度こそ、私はあなたを守ってみせる。何があっても……」
繋がれた手から優しい体温が伝わってくる。
辺りが徐々に明るくなってきた。どうやら、夜を超えたらしい。太陽の無いこの世界にも、朝はやって来る。
私にとっての朝は、今日この瞬間から。
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