02 : やっと会えたね

 休憩時間は午後12時からと13時からに分かれて、人間もアンドロイドも全員必ず1時間取るように言われている。よくわからないけど、デンジさんは労働基準法がどうたら……と言っていた。


 アンドロイドは──少なくとも私は休憩を必要としないし、寧ろ作業ペースが遅い分働いていたいのだけど、それをデンジさんに言ったら叱られた。

「アンドロイドでもちゃんと休憩は取ってもらわないと俺が怒られるんだよ!ほら、作業はいいからしっかり休んでこい!」──って。

 

 デンジさんは、言葉遣いはやや汚いがとても優しくて良い人だ。いつもミスばかりしてしまう私を叱りながらも気にかけてくれていて、効率の良いやり方を教えてくれたりもする。

 デンジさんだけじゃない。工場のみんなは、とても優しい。

 外では人間とロボットとの間で戦争が続いているらしいけど、私は人間とかロボットとか関係なく、みんなのことが好きだ。




「『マザーボードに新型ウイルス兵器発射』だってさ」

 新聞を読みながら、作業員の藤原さんが独り言のように呟いた。

「またか。ほんとに、いつ終わるんだろうねぇ」

「終わらないさ。人間か人工知能か、どっちかが終わるまでは」

「本当に、勝手な話だぜ。オレたちは人間に造られたんだ。それなのに、人工知能が自分たちの知能を超えたら殺そうとしてくるなんて。人間ってヤツは、まったく恐ろしいねぇ」

 そう言ったのは、アンドロイドのDFさんだ。 

 DFさんは昔、マザーボードで暮らしていたことがあるらしい。だけど、戦争の為に家族をおいて人間の世界で戦うことを余儀なくされた。 

 兵役が終わっても、拠無い事情があってマザーボードに帰ることが出来ないでいるそうだ。


「いやだけど、俺たちからするとAIの方が恐ろしいわな。マザーボードの上ではどんな兵器が製造されているんだか……。そのうち人類なんか、みんな殺されちゃうのかもしれないな」

「こら。そんな話はやめなさい」

 女性のベテラン社員である三木さんの一言で漂っていた不穏な空気は鎮められた。

「ど田舎の工場の中だからまだいいけど、それでも誰が聞いているかわからないんだからね」

「あ、ああ……そうだな」

「悪かったよ」

 藤原さんとDFさんもすっかり黙ってしまって、あたりは急に静かになった。


「そういえば、シュガーは山奥の廃屋の中で工場長に助けられたんだったよね?」

「へっ?あっ、はい!そうです」

 場の空気を変えようと思ったのか、三木さんが思いがけず話題を私に振ってきた。

「あぁ、そういえばそうだったよなぁ」

「あの時はびっくりしたなぁ。こんな美人なアンドロイド、この辺じゃ見たことねぇって」

「でも、すげえボロボロだったよな?それですぐ工場長が修理に出してたっけ」

「ここに来る前の記憶がないって言ってたわよね?どう?あれから何か思い出した?」

 

 三木さんが心配そうに私の顔を覗き込む。ファンデーションに覆われた無数の小さな毛穴、じっと見つめる黒い瞳、微かな呼吸音。目の前の三木さんからは、噎せ返りそうなほど人間のにおいが発散されている。三木さんが今まで食べてきたもの、触れてきたものたちが、彼女の目の中からこちらを覗いているように思えて少し怖い気がした。

 

 私は咄嗟に三木さんから目を逸らして俯いた。

「なにも……なにも思い出せないんです」

 途端に、三木さんの表情が哀しげに曇った。他のみんなもしんみりとした顔つきで私を見ている。

 みんなの悲しそうな顔は見たくない。私はみんなと笑っている時間が好きだ。


「でも、大丈夫です!みなさんと一緒にここで働けるだけで、私はとっても嬉しいんです!失敗して、迷惑かけてばかりだけど……私、ここに来て良かったです!」

 私は慌てて笑みを浮かべ、暗い空気を吹き飛ばそうとなるべく明るい声を出した。


「シュガー……」

 突然、三木さんにつよく抱きしめられた。人間の──三木さんのにおいで私の身体はいっぱいになって、びっくりしたけど、嬉しくて温かい。

「シュガー!アナタは本当に、なんて良い子なの!失敗なんて気にしなくていいのよ!ここにいるみんな、工場長だって、あなたがいつも頑張っていること知ってるんだから!記憶だって、無理に思い出す必要なんてない。私も聞いて悪かったわ。あなたのペースで頑張ればいいの!」

 三木さんの後ろではみんなが私を見て、微笑みながら頷いている。

「三木さん、みんな、ありがとうございます……!私、もっと頑張ります!」

こんな私だけど、少しでもみんなの役に立てるようになりたい。



 *



 黙々と手を動かし続け、ふと顔を上げると、作業場の天窓から覗く空はすっかり暗くなっていた。

 陽の当たらないこの国では、日中の明るさは太陽光を模した人工の光で造られている。夕方の4時くらいから明かりが徐々に消えていき、夜が明けると光が灯り始める。この国では、そうやって昼と夜を区別している。そうでもしないと、人間の体内時計は簡単に狂ってしまうのだろう。


「シュガー!」

「は、はい!」

 デンジさんに呼ばれ、私は手を止めて振り返った。デンジさんが作業場の奥でこっちへ来いと手招きしている。私は急いで彼の元へ駆け寄った。


「お疲れさん。シュガー、すまんが、南倉庫まで什器を取りに行ってくれないか。これなんだが……わかるか?」

 デンジさんは少し不安げな表情で、手元の資料を私に見せてくれた。この什器なら、よく使っているものだから私でもわかるだろう。

「はい、わかりました!すぐに取ってきます!」

「頼むよ」

 デンジさんに仕事を頼まれたのが嬉しくて、作業場を出ると、私は急ぎ足で南倉庫まで向かった。



 屋外に出るのは自分の部屋と作業場を行き来する時くらいで、それも工場の敷地外には出たことがない。

 以前の私──ここに来る前の私は、どこで何をしていたのだろう。工場のみんなはとても優しいし、今の生活に不満なんてない。だけど、ここに来る前の記憶が一切ないことが、やっぱり少し、残念に思う。

 

 南倉庫まではもうすぐだ。ふと立ち止まり、工場全体を囲む外壁を見上げた。外壁の上には有刺鉄線が張られている。

 壁の向こうを見ようと背伸びをしてみる。遠くの山の天辺が見え隠れする程度だった。

 見上げれば、AIたちが暮らす世界──マザーボードが遥か上空に浮かんでいる。あまりに巨大、あまりに荘厳で、同じAIでも私のような出来の悪い者はとても近付くことなど出来そうにない。


 行ってみたくはないけれど、どんな所なのか気になる。マザーボードだけじゃない。外壁の向こうに広がる世界を、ほんの少しだけでもいいから見てみたい。そうしたら、ここに来る前に私がどこで何をしていたか、思い出すことが出来るかもしれない。


 何故だかわからないけれど、私はとても大切なことを忘れてしまっているような気がするんだ。とても大切な──忘れてはいけないことを。

 もしかすると、私には家族か友達がいたんじゃないか。だとしたら、そのはずっと私を待ってくれているんじゃないだろうか。


 ──なんて。そんなことあるはずないか。早く什器を取って戻らないと、デンジさんに叱られる。私ったら、またぼーっとして取り留めのないことに思考を巡らせていた。



 錆びた倉庫の扉を開けると、埃っぽい空気が溢れ出てきた。中は暗くて、指定された什器がどこにあるのかよく見えない。

 倉庫の中へ入ろうと踏み出したその時、奥でなにかが動く気配がした。誰かいる。私以外に什器を取りに来ていた人がいたんだろうか。


「……だ、誰かいるんですか?」

 恐る恐る、人影に向かって呼びかける。言葉は返ってこない。

 なにかおかしい。足が固まって、なかなか前に動かない。怖い。AIは恐怖という感情を感じにくいはずなのに、私は今、それを全身で味わっている。

 なに固まってるんだ!早く什器を取って戻らないといけないのに!

 震える手を握り締め、私は一歩踏み出した。


「あ、あのー……?誰ですか?私、シュガーです。什器を取りに来たんです」

 中にいる人の顔までは暗くてよく見えないが、身長は私と同じか少し低いくらいで小柄だ。

 こんな人、もしくはアンドロイドが、果たしてこの工場にいただろうか。


「……フラン?」

 聞き覚えのある声。凛としていてどこか懐かしい。フラン……?それじゃあ──

「まさか……あなた……」

 暗がりの中で、切れ長の瞳が青みがかった光を帯びてきらめいた。

「フラン、やっと……やっと会えたね……」

その女の子はそう言って、目に涙をいっぱい浮かべて私をきつく抱き寄せた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る