01 : sugar doll
「……シュガー!……おい、シュガー!」
だれかが呼んでいる。さっきまで聞こえていた少女の声ではない。今度は男性の低い声だ。
「シュガー!起きろ!」
瞼を透かして入り込んでくる人工的な朝の光が眩しくて、私は目を覚ました。
「まったく……やっと起きたか。ロボットが爆睡して遅刻なんて、他に聞いたことねぇぞ?」
デンジさんが呆れた表情に薄笑いを浮かべながらそう言った。
……遅刻?遅刻!?
私はベッドから飛び起きた。
「……遅刻、ですか?」
恐る恐る聞くと、デンジさんはふっと息を漏らして笑った。
「まだ3分前だよ。早く準備して来な!」
「は、はい!すみません!」
部屋を後にする作業服の後ろ姿に向かって、私は深く頭を下げた。今回遅刻したら、今月で3回目になる。
「次遅刻したら残業プラス3時間な」と、前回遅刻した時にデンジさんに言われていた。現在の労働時間は1日あたり12時間。私はアンドロイドだから長時間働くことはそれほど苦にならないが、いくらなんでも15時間労働は、アンドロイドと言えど労働基準法違反にならないか。
と、頭の中で小さく文句を言いながら、全速力で作業服に着替えを済ませる。着替え終わるまでにかかった時間、10.23秒。
作業靴を履き、長い髪を一つに束ね、掛け時計に目をやると時刻は始業2分前。
大慌てで部屋を飛び出した。まったく、デンジさんももう少し早く起こしに来てくれたっていいのに。
部屋から作業場までは、全力で走れば1分ほどで行くことが出来る。みんなもう集まっていて、朝礼が始まろうとしていた。
「シュガー!遅いぞ!遅刻ギリギリ!」
目も覚めるようなデンジさんの声で、みんな私が来たことに気が付いたようで、吸い寄せられるように視線が集まった。
「シュガー!また遅刻しそうになってる!」
「あと1回やったら残業だって、工場長に言われてるんだろ?」
「ほんとに!アンドロイドが寝るってだけでも変なのに、遅刻なんて可笑しいわぁ!」
朝の工場内にみんなの笑い声が響く。
「す、すみません……」
私は恥ずかしくなって、おずおずと朝礼の列の端に加わった。
「こら!皆も静かに!1分1秒が大切なんだぞ!いつも言っているだろう!まったく、戦争はまだ続いているというのに、うちの者たちは人間も機械もよく喋る!……ま、だがしかし、それは実に良いことだ!」
デンジさんはそう言って、にいっと豪快な笑みを浮かべた。私の朝は、デンジさんの笑顔と、みんなの声と、様々な機械たちの起動音で始まる。
一日の中で、私は朝が一番好きだ。反対に、夜はみんなの声が聞こえなくなって、独りぼっちになったみたいで少し寂しい。
この工場では人間とロボット合わせて50名の従業員が働いていて、私はここに来てから今日で1年と156日目になる。
近くの山の奥深い所にある廃屋で、私はひとりで壊れかけていたらしい。隣町へ行く為、車で山道を走っていたデンジさんが倒れている私を見つけたらしい。
「おい!おい、お前!大丈夫か!?まだ壊れてないか?」
その時私が身に付けていた衣服はボロボロで、身体の損傷が酷かったと、デンジさんは後で聞かせてくれた。皮膚の一部が破けて中の部品が剥き出しになっているし、アンドロイドなのに、何故か肌には赤黒い血が付着していたとのことだ。
デンジさんは私の肩以外にはどこにも触れていないのに、突然「ピロリロリーン」という機械音が私の体の中から鳴ったらしい。弱々しい、昔どっかで聞いたことあるような古臭い音だったとデンジさんは笑っていた。
「……お、おい、大丈夫か?」
「sugar dollを起動中です。更新プログラムのインストールを行います。これにはおよそ4分かかります」
私の両目に電子の青い光が灯り、唇は淡々とその言葉を述べたらしい。
「更新プログラムのインストールが完了しました。まず、私の名前を教えてください」
私の首には「sugar doll」と、擦り切れたパステルブルーの文字が刻まれている。デンジさんは咄嗟に、私に「シュガー」という名前をくれた。
「単純な名前で悪かったなぁ。他に何も、思いつかなかったんだ」
デンジさんはそう言っていたが、私はこの名前が好きだ。みんな私のことを「シュガー」と名前で呼んでくれる。それだけで、なんだかとっても嬉しくなる。
「あーっ!シュガー!それ、そっちじゃないってば!」
「へっ!?あっ!す、すみません!!」
「もー、前も工場長に言われてたじゃん!今回は黙っとくけど、ほんとに気を付けなよー?」
「あ、はい……すみません、ありがとうございます……」
アンドロイドの癖に任せられた仕事も碌に熟すことが出来ないなんて、本当に私は駄目な欠陥品だ。工場内で最も簡単な、部品を繋ぎ合わせるだけの作業をさせてもらっているというのに、それさえも失敗してしまう。
「まったく……まあでも、アンタはこういう仕事をする為のアンドロイドじゃないってこと、みんなわかってるんだけどね」
こういう仕事……?
「それってどういう……?」
「一目見ればわかるよ。そんなに綺麗なんだから」
その時、デンジさんの怒鳴り声が聞こえて、私たちは慌てて手を動かし始めた。
「コラー!そこ!お喋りばかりしてるんじゃない!手を動かす!」
「は、はい!すみません!!」
部品を繋ぎ合わせる作業の他に、私に出来る仕事なんてあるのだろうか。だとしたら、それは一体何なんだろう。こんな私でも誰かの役に立つことが出来るのだろうか。なんだかちょっと、想像できない。
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