閑話:天羽々斬のいろは

 長い長い口付けのあと、先に行ってしまった玉藻と伊吹を追いかけるようにいろはと千早は歩いていた。


「いろはさんは、今も付喪神なんですか?」


 依り代にしていた天羽々斬はもうない。今はどのような存在なのか気になったのだ。千早の問いにいろはは目を丸くしたあと、腕を組む。


「付喪神ではないな。私は一度死んでいるようなものだ。依り代にしていた天羽々斬が折れているのだからな。千早は、スサノオが取り出した私の霊魂のようなものに力を与えてくれたのだ」


 つまり、何なのだろうか。千早もいろはも首を傾げる。

 ふと、スサノオの言葉を思い出した。長い年月を経た道具には、精霊が宿ると言っていたのだ。天羽々斬にも精霊が宿り、それが付喪神──いろはだと。

 精霊が物に宿ることで付喪神と呼ばれるのだと考えれば、物に宿っていない今のいろはは精霊なのかもしれない。

 これはいい線をいっているのではないか。千早はいろはに話しかける。


「今のいろはさんは、精霊ではないですか?」

「精霊?」


 力強く頷き、考えついたばかりの仮定を話す。いろははふむふむと小さく頷きながら千早の話に耳を傾けてくれた。


「どうですか?」

「面白い仮説だな」


 そうは言うものの、いろははどこかしっくりきていない様子だ。いい線をいっていると思っていたが。


「あ……スサノオ様と言えば、最後に言われたことがあるんです。わたしには、わたしの天羽々斬があると」


 すると、いろはが足を止め手を出した。千早もその場で足を止める。


「私に力を込めてみろ。刀身を創り出したときのように」


 いろはの手を取り、言われるがままに力を込めた。

 もう随分と昔のように感じる。確か、何の説明もないまま、力を込めれば刀身が姿を現すと言われたのだ。

 あのときは、わからないなりに力を柄へ流すようなイメージを描いた。今回も同じように頭の中で描く。

 いろはの身体が白く光り出し、ほんの一瞬強く光ったかと思うと、千早の手には刀剣が握られていた。

 それも、これまで使っていた天羽々斬と同じものが。


「え、え!?」

≪ふむ、やはりな。千早に力を与えられることで、私は姿を変えられる≫

「でも、どうして天羽々斬が?」

≪それは、千早が思い描くものが天羽々斬だからだろう≫


 これでますます何かがわからないな、といろはは人の姿に戻り、ふう、と小さく息を吐き出す。


「私も、天羽々斬となった自分を思い描いていた。それほど長い間、共にいたからな」

「いろはさんとして意識があったのはいつからですか?」

「随分前からあったとは思うが、漠然としているな。ああ、そうだ。これは伊織や玉藻には話したのだが、私が何かをするようになったのは、すべて千早が初めてだぞ」


 何かを初めて思ったとき、何かを初めて話そうとしたとき、初めて人の姿になろうとしたとき。それらすべてのきっかけが千早だと、いろはは目を細めて話した。


「私が意識を持ったのは、千早がいてくれたからだ。私を倉から出してくれてありがとう。話しかけてくれてありがとう」


 抱きしめられ、千早もいろはの背中に手を回す。

 礼を言うのは、こちらのほうだ。いろはが傍にいてくれたから、前を向けた。立ち向かえた。何度礼を言っても足りないほどだ。

 いろはのぬくもりに目を瞑っていると、ところで、と頭上から声がした。少し身体を離すと、いろはが千早の左手を見ている。


「それはいつまで持っているつもりだ」


 それとは、草薙剣のことだ。

 これは八岐大蛇の尾があったところに落ちていた。そのままにしておくのも危ないと、とりあえず持って帰ることにしたのだ。その説明はいろはにもしたはずなのだが。


「千早がそれを持っているのが気に入らない。ああ、気に入らないな。この辺りに捨て置けばいい。千早には私がいるだろう」

「誰かが拾ったらどうするんですか! もういろはさんが折られるところなんて見たくないですよ!」

「む、次こそは折れない。勝ってみせるぞ」


 いろはが千早の手を引き、歩き出した。

 次などなければいい。もしあったとしても、今度こそ折れさせはしない。そう固く決意しながら、千早は前を向いた。

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