天羽々斬といろは
玉藻と伊吹と共にいたはずが、何もない真っ白な場所へ移動していた。
かと思えば、目の前にはスサノオがいる。
一体、今はどのような状況なのか。柄と折れた刀身を抱きしめたまま、千早は混乱していた。そんな千早を見て、スサノオは目を細め口元に弧を描く。
「まあそう硬くなるな。少し、話がしたいだけだ」
そう言うと、スサノオはその場に座り込み、胡坐を組む。突っ立ったままでは逆に見下ろす形になってしまうと、千早もしゃがみ込み、正座をした。柄と折れた刀身を膝の上に置き、背筋を伸ばす。
話とは何だろうかと緊張していると、スサノオは、ふ、と笑みを溢した。静かに右手を上げ、人差し指で千早の膝を差す。
「それは、役に立ったか」
役に立ったどころか、いろはが、天羽々斬がなければ、八岐大蛇には立ち向かえなかった。千早は「はい」と返事をしながら小さく頷く。
「そうか」
「あの、こんなお願いをして申し訳ないのですが、ご先祖様なら……スサノオ様なら、元に戻せたりしませんか?」
柄と折れた刀身を手に持ち、身体を前のめり気味にして願い出た。
以前、いろはが言っていた。草薙剣とは相性が悪く、折れると神剣としての力を失うかもしれないと。
本来の持ち主であるスサノオであれば、元に戻せるのではないかと思ったのだ。
どうしても、諦められない。いろはが元に戻る可能性を。
だが、千早の願いも虚しく、スサノオは視線を少し下へ向けたあと、ゆるゆると首を横に振った。
千早は肩を落としながら正座に戻る。こうしてスサノオと会えるとは思っていなかったため、唯一の希望のようなものだった。
もう、どうすることもできないのだろうか。もう二度と、いろはとは会えないのだろうか。
「何を落ち込んでいる。天羽々斬は元に戻せないが、お前が取り戻したいものは違うだろう」
スサノオの言葉の意味がわからず、千早は顔を上げる。
「お前が取り戻したいと願っているのは、天羽々斬に宿った付喪神だ」
「え……付喪神?」
「長い年月を経た道具には、精霊が宿る。天羽々斬も例外ではない。それが、この付喪神だ」
パン、とスサノオが両手を叩くと、柄からふわりと淡い光の球体が出てきた。それは千早の周りを一周すると、スサノオの元まで飛んでいき、彼の左手に収まる。
暫しの間その光を眺めたあと、スサノオは口を開いた。
「長い……あまりにも長い年月を過ごしたために、天羽々斬と混じり合ったのだろう。記憶が共有され、己を天羽々斬だと思うまでになった」
「待ってください。話が、その、理解が追いつかなくて」
「では一度、この光に触れてみるがいい」
淡い光はふわりとスサノオの左手から浮き上がり、千早の元へとやってくる。両手で包むように触れると、じんわりとぬくもりが伝わってきた。
ぽた、と涙が光に落ちる。光は千早の両手から浮き上がり、そっと頬に触れてきた。
このぬくもりを、千早は知っている。忘れるはずがない。今もこうして、取り戻そうと必死になっているのだから。
「いろはさん」
光を両手で包み込み、顔を寄せる。
こうして光に触れたことで、スサノオが話していたことをようやく理解することができた。
千早が天羽々斬だと思っていたのは、付喪神。その付喪神が、いろはだった。
傍にいて支えてくれていたのも、いろはだったのだ。
「お前には、二つ選択肢がある」
スサノオの声に、千早は視線を彼に向ける。真っ直ぐにこちらを見ながら、スサノオは右手の人差し指を一本立てた。
「一つ、人間に戻ること」
「……人間に、戻る?」
首を傾げる千早に、スサノオは、ふう、と息を吐き出す。
「子孫は自ずと人間の血が濃くなっていく。吾の力を継ぐ者が現れたところで、真に発揮することはない。だからこそ、柄を遺した。力を継ぐ者であれば、天羽々斬は必ず応える。ならば扱えるだろうと考えたのだ」
なるほど、と思いつつも、千早が人間に戻るという話にどう繋がるのか。柄に刀身を創り出し、天羽々斬を手に戦った。スサノオが考えていたとおりだ。特に変わったことは──と考えたとき、思い当たることが一つあった。
八岐大蛇との戦いで、何故か風を操ることができていたのだ。
ハッとしてスサノオを見ると、彼は小さく頷く。
「お前は風を意のままに操っていた。まさか、怒りがお前の中の力を覚醒させるとは」
「よくわからないのですが、それは本来の力を発揮できるようになったということではないのですか?」
「そのとおりだが、単純な話ではない。何か忘れていないか。吾は、天上から降り立った者であり、太陽の神アマテラスの弟である。お前のその力は吾の権能そのものだ。それが何を意味するかわかるか」
──言葉を失った。
決して忘れていたわけではない。スサノオが、神であったということを。
本当に、自分の身に起きていることなのだろうか。身体が震え、思わず抱きしめる。淡い光は、心配そうに千早の右肩に止まった。そんな千早に、スサノオは話を続ける。
「吾は侮っていた。人間の血が濃いのだから、力を継いだ者が使えるのは神通力のみだと。神として覚醒する者はいないと」
それで、人間に戻るという選択肢が存在したのだ。
怒りが力を覚醒させたと言っていた。いろはが折られ、怒りが湧き上がっていたときだろう。その怒りが爆発するかのように全身から風が吹き荒れ、気が付けば力が漲っていた。風も操れるようになり、今なら何でもできるような、そんな気すらしていた。
そのときにはもう、人間ではなくなっていたということだ。
「……わたしは、どんな存在になってしまったんですか」
「人間でありながら、神として覚醒した者。半神と呼ばれるような者だろう」
「これからどうなるんですか」
「不老となり、人間よりもはるかに長い年月をその姿で過ごすことになる。もしも人間に戻るというなら、権能は吾が責任を持って消す。お前はこれまで通り歳を重ね、数十年後に天寿を全うするだろう」
人間に戻れば、これまでどおり何も変わらない。人間に戻らなければ、死は訪れるがそれは数十年後と言った単位ではないのだろう。
普通であれば、人間に戻る選択を迷わず取る。けれど、スサノオは敢えて「二つ」と提示してきた。もう一つは何なのか。すると、スサノオが人差し指を立てたまま中指を立てた。
「二つ、お前の力を付喪神に与える。さすれば、取り戻せるだろう」
千早は右肩に止まる淡い光を見た。淡い光は千早の視線を感じるとふわりと浮かび、ゆらゆらと揺れる。
「ただし、神の力を使えば、お前は二度と人間には戻れない。半神として生きていくことになる」
どうする、とスサノオに問われるも、笑みが溢れた。
考えるまでもない。右肩にいた淡い光を左手で包み、胸の近くまで持っていくとそっと右手を添える。
「人間に戻れなくてもいいです。わたしは、いろはさんといたい」
「わかった。吾はお前の意思を尊重しよう」
両手で包んだ光を顔の前に持っていくと、千早は目を細めて微笑んだ。
「いろはさん。どんなときでも、いろはさんはわたしの傍にいてくれましたね。いろはさんと過ごした日々の一つ一つが、わたしの宝物です。だから、いろはさんがいないと寂しいんです。これからも、あなたと同じ時間を生きたい」
そっと光に口付ける。
触れた瞬間、力が光へと流れ込んでいく。光は大きくなり、千早の手を離れ、ゆっくり上へ上へと舞い上がった。
どこへ行くのかと手を伸ばすが、届くはずもなく。大きくなった光は拡散するようにして消えてしまった。
「案ずるな。戻ったのだ、お前も戻ればそこにいる」
「あの、どうして、このような機会を与えてくださったのですか」
「子孫が頑張ってくれたのだ、労うのが当然であろう」
さあ行け、というスサノオの言葉と共に、ふわりと千早の身体が浮く。柄と折れた刀身が落ちると抱えようとするも、それらは自然とスサノオの元へ飛んでいった。
「これは吾の天羽々斬。お前には、お前の天羽々斬がある」
「え?」
「すぐにわかる。息災でな」
スサノオの姿が見えなくなっていく。それと同時に意識が遠くなっていき、千早は目を瞑った。
* * *
次に目を開けると、青い空が見えた。
千早チャン、千早、と名を呼ぶ声がする。少し顔を動かすと、心配そうにしている玉藻と伊吹がいた。身体を起こして辺りを見渡すと、そこは八岐大蛇と戦っていた場所。あの白い空間から戻ってきたようだ。
「心配したんやで、いきなり倒れるから!」
「身体は大丈夫か?」
「は、はい。すみませんでした」
そのような事態になっていたとは知らず、千早は二人に頭を下げる。そのとき、握っていたはずの柄と折れた刀身がなくなっていることに気が付いた。
白い空間にいたときにスサノオの手元に戻ったが、本当になくなっている。
──ということは。千早が勢いよく顔を上げたとき、後ろから「千早」と呼ぶ声が聞こえた。
その声は、ずっと聞きたかった声。
玉藻と伊吹は顔を見合わせるとその場を離れた。
鼓動が速くなる。おそるおそる千早が振り向くと、そこには──。
「……っ、いろはさん」
笑顔を浮かべたいろはが立っていた。
立ち上がり、いろはの元へ走って向かう。その胸に飛び込み、顔を埋めるといろはの背に腕を回した。千早の背にもいろはの腕が回され、二人はその場で抱きしめ合う。
「おかえりなさい、いろはさん」
「ただいま、千早。……あのような選択をさせて、すまない」
「謝らないでください。わたしが自分で選択したんです。後悔はしていません」
顔を上げ、いろはに微笑む。
「わたしと一緒に過ごしたいって、言ってくれましたよね。同じ時間を生きたいって。わたしも、いろはさんと一緒に過ごしたいんです。同じ時間を生きていきたいんです」
二つ目の選択肢を聞いたとき、悩むことはなかった。
いろはを取り戻せる。いろはと共に生きていける。ならば、答えは決まっているようなものだ。
たとえ、それで人間に戻れなくとも。半神になろうとも。いろはといられるのなら、どれほどの長い時が待ち受けていても構わない。
隣に、いろはがいるのだから。
「これからも私は、千早と共に過ごせるのだな。同じ時を、生きていけるのだな」
「はい、これからもずっと。思ったより長くなりそうですね」
「千早と共にいられるのであれば、いくらでも構わない」
いろはの両手で顔が包まれる。その手に千早は自身の手を添えた。
「愛してます、いろはさん」
「私もだ。愛している、千早」
二人の唇が重なる。
優しく、あたたかい口付け。それは次第に深まっていき、少しの間二人はその口付けを味わっていた。
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