覚醒
千早から発生した風は凄まじく、身体に巻き付いていた首を引き裂いた。辺りに肉片が飛び散り、ドン、と鈍い音と共に頭部が地面に落ちる。八岐大蛇はそこで己の頭を一つ失ったことを知り、七つの頭は怒りの叫びを上げた。
ぬるぬると頭を再生していく。地面に降り立った千早は、右手に柄、左手に折れた刀身を握ったまま、その様子をただただ眺めていた。
──とても、静かだ。
あれほど込み上げていた怒りはまだ確かにあるはずなのに、心は凪いでいる。
それにしても、全身に力が漲っているのは何故なのだろうか。
今なら何でもできるような、そんな気がするほどに。
「千早!」
後ろから聞こえてきた伊吹の声に、千早は顔を少しだけ動かす。
「伊吹さん」
「何だ、このにおい……それよりも、草薙剣が飛んでこなかったか! 天羽々斬は」
「アメノハバキリナド、オッテヤッタワ」
答えようとしたが、それを遮るかのように八岐大蛇が口を開いた。頭を再生しながら、牙を見せつけるように口を大きく開き、八つの頭をゆらゆらと動かす。
「ヤクニタタヌ」
「クサナギノツルギヲ、アタエテヤッタノニ」
「アマツサエ、クサナギノツルギヲ、ハバンデイタ」
八岐大蛇の怒りがぶつけられ、伊吹は全身から力が抜け落ちたかのようにその場に崩れ落ちる。
確かに、戦闘中も「来い」と何度も言っていた。千早は挑発だとばかり思っていたが、あれは草薙剣を呼んでいたようだ。それを、草薙剣を与えても何の成果も出さなかった伊吹が阻んだが故に手元に中々来なかったため、怒りを露わにしているのだろう。
「オマエハ、イブキドウジニ、ナリエナカッタ」
頭の一つが首を伸ばし、伊吹を目掛けて振り下ろされる。千早はすぐさま折れた刀身で薙ぎ払った。
凄まじい風が座り込んでいた伊吹を後ろへと吹き飛ばし、その直後に八岐大蛇の頭が叩き付けられた。間一髪だ、と息を吐き出すと、頭を上げた八岐大蛇はわなわなとその首を震わせ、千早を睨み付けた。
そのまま一直線に迫ってくる頭に、千早は再び折れた刀身で薙ぎ払う。風が吹き荒れ、頭は千早に近付くことすらできない。
「なんだよ、これ」
自分の身に何が起きたのかすらわかっていない伊吹に、千早は優しく声をかける。
「伊吹さん、大丈夫です。八岐大蛇は、絶対に倒します」
「倒すって……天羽々斬は折れてるんだろ!?」
柄をスカートのベルトループに差し、左袖を破る。破ったものを刀身に巻き付け持てるようにしたあと、右手で握った。
「今なら、何でもできそうな気がするんです」
そう言って、千早は頭上を見上げた。空を覆い隠すように灰色の厚い雲がひろがっている。そこに雨も降り注ぎ、八岐大蛇は酔いながらも力が増していた。
では、取り除けばいい。今の千早なら、それができる。
頭上に向けて、持っている刀身を突き上げた。猛烈な風が放たれ、厚い雲にぶつかるとそれを取り払っていく。雨も止み、厚い雲が取り払われた部分から太陽の光が差し込み始めた。
「キサマアアァァアァァア!」
ギャア、という悲鳴が上がった。八岐大蛇の皮膚が焼けている。これまでならすぐに再生するはずだが、やはり太陽の光に弱いようで再生力もかなり弱まっているようだ。逃げようとするも、厚い雲は消えてしまい、太陽の光はどこからでも差し込んでいる。逃げ場もなく、苛立ちと焦りからか、八岐大蛇は八つの頭で千早に襲いかかってきた。
だが、酔いも相まって攻撃を読むのは容易い。千早が最低限の動きで避けていくと、それが気に食わない八岐大蛇は、叫び声を上げながら地団駄を踏むかのように両端の頭を地面に叩き付けた。
その間にも皮膚は焼け、再生がまったく追いつかずに爛れていく。空気が震えるほどの大きな声で叫んだあと、貴様のせいだ、と八つの頭が攻撃を仕掛けてきた。
首と首の隙間を縫うように躱し、少しずつ前へと進んでいく。
これまでとは違い、攻撃の一つ一つが手に取るようにわかる。どう避ければ、どう躱せば最小限の動きで済むか、身体が理解しているようだ。
八岐大蛇が、酔いも冷めぬまま、怒りに身を任せているからだろうか。冷静さに欠け、攻撃がより直情的になり、読みやすくなったのだろうか。
何でもいい。八岐大蛇を倒すことさえできれば。
軽やかな足取りで、千早は八岐大蛇の身体まで来た。この力を、最初から発揮できていれば、いろはは。
そんなことを思いながら、右手で握っている折れた刀身に力を込める。
すべての力を、この一撃に。
「千早、後ろだ!」
伊吹の声に、振り向こうとした刹那──パリンという音と共に、千早に迫っていた八岐大蛇の頭を青い炎が包んだ。断末魔のような叫び声を上げ、長い首が仰け反る。
ふわりと香るにおいに、青い炎。千早は辺りを見渡した。
生きている。まだ、彼は──。
「玉藻さん!」
「ごめん、ちょっと不意打ち食らって寝てもてた! 千早チャン、後ろは俺に任せとき!」
「……っ、ありがとうございます!」
再び、刀身に力を込める。
淡い光が千早の身体を包み、風が舞い始めた。それは千早を中心に大きくなっていき、八岐大蛇を近づけさせない。
千早は折れた刀身で突きの構えを取った。心臓の位置はわかっている。絶対に、外さない。
「ユルサヌゾ、キサマァアァアアァァアア!」
八岐大蛇が絶叫する中、勢いをつけて刀身を身体にめり込ませた。
それは肉を切り、奥へ、奥へと進んでいく。
絶叫が悲鳴に変わり、千早を身体から引き離そうとするも風が邪魔をして近付くことができない。
千早は全身の力を使って刀身を押し込んでいく。八岐大蛇も必死なのだろう、思いのほか心臓まで辿り着かない。
奥歯を噛み締め、必死に刀身を押す。ここで千早が諦めるわけにはいかないのだ。心臓を突き刺し、八岐大蛇を倒す。でなければ、いろはが報われない。
涙が頬を伝った。いろはの名を、何度も心の中で叫ぶ。
二人でなら、退治できると言っていた。そう信じているとも。千早もその言葉を信じていた。されど、ここにいろはがいない。
少しずつ押し返され、目を瞑りかけたそのとき──刀身を握る両手に手が添えられたような、そんな気がした。
「あと少しだ、千早」
千早の金色の瞳から、大粒の涙が溢れる。
「いろは、さん」
これは、幻覚なのかもしれない。それでも、気持ちが弱り始めていた千早にとっては嬉しいものだった。
一人ではない。いろはがいる。
千早は、すう、と息を吸うと全身に力を込めた。押し返されていた刀身が、奥へと進んでいく。
「イヤダ、ヤメロ、ヤメロオォォオオオォ!」
切っ先に何かが当たった。これが心臓だと思った千早は、確実に貫けるようにと切っ先に力を集中させる。
「ガ、ア、アアァァァァァアアアアア!」
八岐大蛇が身体を捻らせ、八つの頭を暴れさせる。地面が揺れ、バランスを崩しそうになるも、そこから離れることはせずにひたすら刀身を押す。
切っ先が心臓にめり込む感触が伝わってきた。今だと千早は最後の力を振り絞って押し込んでいく。
「あぁぁああああぁあぁぁ!」
「グアァァァァァアァァァァァア!」
心臓を貫通したのか、八岐大蛇の叫び声が途絶えた。
八つの頭はビクビクと痙攣を始める。刀身を引き抜き身体から離れると、首が頭を支えきれなくなったのか、地面に落ちていった。
太陽の光が八岐大蛇を焼くも、もうその場から逃げようともしない。
肩で息をしながら近付くと、近くにあった頭が気怠そうに動き、千早を見た。
「ツギハ、コロス」
「次なんてありませんよ。あなたはここで消えるんです」
「ハハ、ハハハ。ワレハ、キエヌ。コロス、カナラズ、コロシテヤル」
サラサラと、砂のように頭が崩れていく。最期まで、恨みの言葉を吐き捨てて。
「千早チャン」
脇腹を押さえながら、玉藻が伊吹に支えられながらやってきた。服に血が滲んでおり、痛々しい。それでも玉藻は笑顔を浮かべ、空いている手で千早の頭を撫でた。
「お疲れさん」
「終わったな」
「……はい。玉藻さん、怪我は大丈夫ですか?」
「痛いけど何とか」
伊吹が小さく「あ」と声をあげた。ポトリと何かが落ちる音がし、地面を見ると伊吹の額に生えていた角が取れている。
「俺の中から、鬼の力が消えた。……本当に、倒したんだな。すごいよ」
「じゃあ、伊織ちゃんも……!」
「ああ、あいつも今頃は意識を取り戻してるかもな」
謝らないと、と伊吹の言葉を聞きながら、三人は崩れていく八岐大蛇を見た。
頭と首は既に消え、今は身体が崩れているところだ。心臓からの瘴気も感じない。本当に、終わったのだ。
「終わったっていうのに、いろはは顔出さんの?」
「ば、馬鹿!」
伊吹は慌てた様子で玉藻の口を押さえるものの、時すでに遅し。玉藻は何故自分の口が押さえられているのかわかっていないようだ。
千早は小さく笑みを浮かべたあと、スカートのベルトループに差していた柄と右手に持っていた折れた刀身を差し出す。玉藻は目を大きく開き、彼の口を押さえていた伊吹は手を離すと目を逸らした。
「なに、それ」
「玉藻さんが草薙剣にやられて気絶されている間に……折れて、しまって」
極力平静を保とうとしたが、無理だった。涙が溢れ、頬を伝って地面に落ちていく。
千早は足から力が抜けたように座り込み、柄と折れた刀身を抱きしめた。
「いろはさん、いろはさん……!」
涙が折れた刀身と柄に落ちると──ふと、辺りから音が消えた。
目の前にいた玉藻と伊吹の気配もない。涙を流しながら顔を上げると、いつの間にか何もない真っ白な空間にいた。
ここはどこなのか。どうやってあの場所から瞬時に移動したのか。辺りを見渡していると、後ろに気配がした。振り向くと、一人の男性が立ってこちらを見ている。
黒い髪を後ろで束ねた、金色の瞳を持つその男性。見覚えはないはずなのに、どこか懐かしさを感じる。
「よく八岐大蛇を退治してくれた。礼を言う」
以前、夢の中で助けてくれた男性と同じ声。
まさか、と千早は柄と折れた刀身を抱えて立ち上がった。
「あなたは、ご先祖様……?」
男性──スサノオは、にこりと微笑んだ。
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