決戦 四
伊吹は元気を失った草木を掻き分け、あるものを探す。
そのあるものとは、千早が投げた草薙剣。草薙剣があれば、八岐大蛇に立ち向かえると考えたのだ。八岐大蛇からもらい受けたものだが、今はそうは言っていられない。武器になるものなら何でも使う。
あの頃のように、逃げることはしない。千早と共に戦い、八岐大蛇を倒す。それが、償いへの第一歩。
「この辺だと思ったんだけどな」
コツン、と足先に何かが当たる。視線を向けると、見覚えのある柄。しゃがみ込み、それを手に取る。
青銅色の剣。探していた草薙剣だ。
これで戦える。伊吹は立ち上がるが、草薙剣がブルブルと小刻みに震えだした。
千早と天羽々斬のように、草薙剣と意思疎通が取れるわけではない。だが、このように震えるのは初めてのことだ。
何が起きようとしているのか。刹那、草薙剣が意思を持ったかのように動き、ぐん、と引っ張られる。何とか踏ん張るものの、引っ張る力が思いのほか強い。
「な、何だよこれ、どうなってるんだ!」
これはまるで、草薙剣がどこかへ向かおうとしているかのようだ。
どこか──まさか、と伊吹は必死に草薙剣にしがみつく。
草薙剣は、八岐大蛇の所有物。おそらく、草薙剣は八岐大蛇に呼ばれているのだ。そして、向かおうとしている。何としてでも止めなければ、千早と天羽々斬が危ない。
ずる、と柄を握る両手が滑る。引っ張る力が強くなっているのだ。角を折ったとは言え、まだ鬼の力はある。それでもこの状態だ。
行かせるわけにはいかない。必死に引っ張るも、両手が柄から離れてしまった。すぐに右手を伸ばすも、草薙剣に届くことはなく、凄まじい速度で姿を消した。
「待て! くそ!」
伊吹もすぐに追いかける。間に合え、間に合えと祈りながら。
* * *
「コイ、コイ」
頭をゆらゆらと揺らし、千早を挑発する八岐大蛇。来いと言われるまでもなく向かっているが、身体には近づけない。玉藻と協力しながら何とか近付いたとしても、心臓の場所がわからない。
「……っ、心臓はどこですか!?」
≪気配を感じることはできないか?≫
苛立ちを吐き出すかのように大きな声を出す。いろはからは「毎日祠へ行っていたではないか」と言われるが、八岐大蛇の攻撃を躱しながら心臓の気配を感じ取るなど無理だ。そもそも、気にしたことがないため、どんな気配だったかまずは思い出すところから始めなければならない。
そうだ、と千早はいろはにあることを問いかける。
「ご先祖様はどうやって心臓を取り出したんですか? 気配を感じて見つけられたとか?」
≪頭から尾にかけて切り刻んでいたな≫
「すごいですね……」
想像の斜め上をいく答えだった。
そんな体力はない。いろはの言うとおり、心臓の気配を感じ取るしかないのか。迫る頭を前転して避け、今度は別の頭をバックステップで躱す。こんな状態で祠に行っていたときのことを思い出さなければいけないとは。
それにしても、頭が重い。視界もぐらぐらと揺れているようだ。動きすぎて酸素が足りていないのだろうか。八岐大蛇は今も八つの頭をゆらゆらと揺らしている。
──そういえば、さっきから攻撃が大雑把だ。精度が下がったような。
頭を揺らしているのは、余裕を見せつけているのかと思っていた。けれど、攻撃の精度が下がっており、避けやすくなっている。
何があったのか。青い炎くらいしか思いつかないが──ふと、あることに気が付いた。
一体、何本の酒が使われたのか。燃やす以外にも使っていたはずだ。くん、とにおいを嗅ぐも、何もわからない。
いや、酒のにおいがわからないほど、鼻がおかしくなっている。
「コイ、ハヤク、コイ」
八岐大蛇も酔っているのかもしれない。だとしても、こうして来いと挑発し、実際に向かうと、精度は下がっていても身体には近づけさせないのだからすごいものだ。
ふう、と息を吐き出し、空いている手で頬を叩く。
すごいと認めはするが、それでも諦めることなどしない。すう、と息を吸うと、千早は玉藻の名を呼んだ。
「攻めます!」
酔っていて精度が下がっている今、仕掛けるしかない。
どこからか瓶が二本投げ入れられる。そのあとすぐに何かが飛んできて瓶を割り、中から酒が溢れ出た。
びちゃびちゃと音を立てて八岐大蛇の巨躯を濡らしていく。そして、濡れたところから発火し、青い炎に包まれた。
「アァァァアアアアァァァア!」
八つの頭が暴れている中、千早はそこに飛び込んでいく。酔いと炎により、攻撃の精度は更に下がった。炎は熱いが、気にしている場合ではない。
心臓は、どのような気配だったか。思い出せ、思い出せ。攻撃を躱し、炎を避けつつ祠に行っていた日々のことを思い出そうとする。されど、思い出せるのは瘴気のみ。瘴気ならば、八岐大蛇全体から感じられる。これでは意味がない。
──本当にそうなのか。意味はないのだろうか。
八岐大蛇が身体を再生できるのは、心臓が動いているから。そのため、スサノオは心臓を抜き取り、身体を再生できないように封印した。
ならば、心臓が纏う瘴気は更に濃いものではないか。
千早は瘴気に集中する。考えが当たっていれば、濃いものがどこかにあるはず。それが心臓だ。
「グゥアアァァア、コイィ、ハヤクコイィ!」
挑発には元から耳を貸していない。とにかく今は濃い瘴気を探すのみ。
八岐大蛇の身体を、上から下まで見ていく。ほんの少しでも違和感があれば、きっとそこに──。
「あった、かも」
≪本当か!≫
「多分、多分ですけど!」
八つの頭を辿っていけば、身体がある。そこから少し下がったところが、ほんの少し瘴気が濃いような気がした。
力を込めるが、切っ先にすべてを集める。刀身を身体にめり込ませ、そのまま心臓を貫くためだ。
「これで……!」
あとは、身体に近付くだけでいい。それで、すべてが終わる。
「コイ、クサナギノツルギ」
今、何と──。
千早がそう思ったときには、風を切り裂くような音と共に手に衝撃が伝わり、パキン、と何かが割れた。
それは、キン、と音を立てて地面に落ちる。
足を止め、右手を見た。あるはずの刀身が、ない。
「いろは、さん」
視線だけを地面に動かすと、そこには折れた刀身が落ちていた。
「嘘、やだ、いろはさん! いろはさん!」
刀身を拾い上げ、必死に呼びかけるもいろはから返事はない。力を与えようとするも、首元にぬるりとしたものが触れる。
それは、八岐大蛇の首。青い炎はいつの間にか消えており、再生しながら首を千早の上半身を隠すかのように巻き付いてきた。
身体に力を入れるもびくともせず、空中に持ち上げられる。刀身と柄は持ったままだが、刃が手のひらに食い込み痛みが走った。それでも手を離すことはせず、必死にいろはの名を呼び続ける。
八つの頭は、千早が喚く姿を見て口角を上げるかのように大きく裂けた口を開いた。そのうちの一つが草薙剣をこれ見よがしに呑み込むが、その際に血がついていることに気が付いた。
あれは、誰の血か。
思い当たるのは玉藻か伊吹だが、気になるのは青い炎が突然消えたこと。それに草薙剣が関係していたとすれば──。
嘘だと首を横に振る千早に、八岐大蛇はおぞましい声ながら優しくこう言った。
「ツギハ、オマエノバンダヨ」
頭が真っ白になる。八つの頭が口々に何かを言っているが、何一つ入ってこない。千早は短い呼吸を繰り返す。
どくん、どくんと、何かが湧き上がってくるのだ。
許せない。天羽々斬を折った八岐大蛇が。
許せない。玉藻を傷つけた八岐大蛇が。
許せない。何もできなかった自分が。
湧き上がってくるものの正体が怒りだと気付いたときには、既に言葉を発していた。
「……許さない」
ぽた、ぽたと空から滴が落ちてくる。それはすぐに、さあ、と音を立てるほどの雨になり、八岐大蛇と千早を濡らした。
「お前だけは、絶対に許さない!」
次の瞬間、千早の身体から凄まじい風が吹き荒れた。
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