「ありがとう、元気でた」
ここ数日、天羽々斬は千早の自室に籠もっていた。胡坐を組み、黙々と手にしている書物の紙をめくる。床にはこれまで目を通した書物が散乱しており、千早が見れば怒り心頭に発することは間違いないだろう。
片付けることを知らないわけではない。手に取ったものは元の場所に戻す。それは天羽々斬も理解しているが、今はそれどころではなかった。
何故ならば、とうとう見つけたからだ。千早の力を回復させる方法を。
誰が話しかけても聞こえないほど、天羽々斬は集中してその書物に目を通している。何せ、読み進めるたびに驚きがあるのだ。ついつい独りごちてしまうほど。それほどに浸っている。
もちろん、最初は疑っていた。本当にこれで、このような方法で回復させられるのかと。だが、この書物にはしっかりと書いてあるのだ。「ありがとう、元気でた」と。
次の紙には、実際に元気になった様子が描かれている。つまり、この方法であれば回復するということだ。
よし、と天羽々斬は書物を閉じ、立ち上がる。何冊か確認したが、これで時間短縮が図れるだろう。間違ってはならないと書物を手に千早の自室を出た。
それにしても、なんと面白い書物か。文字だけではなく、絵が描かれている。物語も非常にわかりやすく、絵があることで感情の解釈も容易い。こんなにいい書物が簡単に手に入るようになっているのだから、すばらしい良き時代になったものだと感心してしまうほどだ。
自然と天羽々斬の足取りは速くなっていた。
早く千早にこの方法を教えてやりたい気持ちと、この書物の続きが読みたい気持ちからだ。
──千早、これですぐに回復することができるぞ。ああ、それにしても、この続きはどうなっているのか。
まだまだ書物はあった。そこには天羽々斬が知らないことがたくさん記載されているのだろうと思うと、口元が緩んだ。
* * *
その頃、千早は布団の上に座り、窓から見える外の景色をぼんやりと眺めていた。
千早の力は戻りつつある。まだ全快には至っていないが、誰かに介助してもらう必要はなくなった。
八岐大蛇も、どこかでこうして身体を休めているのだろう。あの夢以外は何事も起きずに済んでいるのは、こちらにとってもありがたいことだ。
それよりも、と千早は小さく息を吐き出した。
今、千早の頭を悩ませていることがある。天羽々斬から出されている「名前」についてだ。
すでに名前があるのに、何故つけてほしいと言ったのか。考えてもわからないため天羽々斬自身に訊いてみた。
すると、彼からはこのように回答が返ってきたのだ。
『この姿に天羽々斬という名は似つかわしくないだろう』
つまり、人の姿をしているときの名がほしいというわけだ。確かに、外で天羽々斬と呼ぶ勇気はない。
なんとなく、ありふれた名前は似合わない気がする。では、何がいいのか。腕を組んで両目を瞑っていると、スパン、と大きな音を立てて襖が開かれた。
「千早! 見つけたぞ、回復させる方法を!」
「天羽々斬様、ありがとうございます」
天羽々斬はニコニコとしながら近付いてきて、千早の布団の傍に腰を下ろす。そのとき、彼が手に持っていた書物が気になった。
どう見てもあれは千早が集めていた書物ではない。
──今、漫画が見えた気がしたんだけど。
まさか、と気付いたときには遅かった。
両手で顔を持ち上げられ、唇が押し当てられる。
前に胸元へ手を押し当てられたときもそうだったが、刀剣が人間の姿をしているとは思えない。唇がやわらかく、体温もあたたかい。何も知らなければ、ただの綺麗すぎる男性だ。
ではなく、何をしているのかこの刀剣は。
千早は天羽々斬の胸を押し、身体を引き離した。心臓を、感情を落ち着かせようと、両手を自身の胸元で握る。
天羽々斬は特に気にしていないようで、その表情は変わっていない。部屋に入ってきたときと同様に、ニコニコと笑みを浮かべている。
「回復したか?」
「すっ、するわけないじゃないですか! 一体何を見たんですか!?」
「おかしいな。あ……待て、方法が違ったのかもしれん」
近くに置いた漫画を手に取り、天羽々斬は真剣な顔をして読み始める。なるほど、と小さな声でぶつぶつと呟きながら読む姿に、若干引いてしまうほど。
──っていうかそれ、少女漫画! 何を参考にしてるの!?
何がどうなってそうなっているのか。パニックになりつつある千早をよそに、天羽々斬は漫画を閉じた。そして、再び千早の顔を両手で挟み、持ち上げる。
当然、千早は抵抗しようとした。が、その天羽々斬の真剣な表情に、千早の手が止まった。
綺麗すぎる顔は、危険だ。こうして見つめられるだけで、心臓が跳ねる。身体が熱くなる。
「千早」
名を呼ばれ、顔が近付いてくる。
止めなければならない。わかっているはずなのに、身体が動かない。
ぎゅっと目を瞑った瞬間、あのやわらかい唇が押し当てられた。けれど、今回はそれだけでは終わらなかった。
ぬるりとした感触が、千早の閉じられた唇をこじ開けようとしている。何をしているのかと声を出そうと口を開いた瞬間、その感触は中へと入ってきた。
「んっ!?」
このぬるりとしたものは、天羽々斬の舌だ。
本当にこの刀剣は何をしているのかと、天羽々斬の身体を離そうとするがびくともしない。その間にも、歯列がなぞられ、舌に絡みつかれる。唾液が流れ込み、飲みきれなかったものは口の端から垂れていった。
二人しかいない静かな部屋に、艶やかな水音と千早から漏れる息が響いた。そこに、千早が足を動かしたため、シーツが擦れる音も入ってくる。このぞくぞくとした何とも言い難い感覚を逃したい一心だった。
ようやく唇が離されると、二人の間には細い糸が引いていた。
本当に、本当に、この刀剣は何をしているのか。千早は羞恥心から身体が震えた。何もわかっていない天羽々斬は、今もニコニコと笑っている。
「どうだ? これで回復したか?」
「……か」
「千早?」
「馬鹿ぁぁあぁぁぁああ!」
千早の絶叫と共に、右手をフルスイングして天羽々斬の左頬に当てた。
バチン、と音がしたかと思うと、天羽々斬は勢いよく畳に倒れ、ぶたれた左頬を押さえながらぽかんとしている。
「どうした、千早。接吻がそんなに恥ずかしいか?」
「あ、あ、当たり前じゃないですか! わたしの、ファーストキスが!」
「だが、回復したな。凄まじい力だ」
言われてみれば、力が全身に漲っているような気がする。こんなにも身体は軽かったのかと驚いてしまうほどだ。全快したと言っても過言ではないだろう。
しかし、だ。他にないのか。でなければ、力を消耗するたびにあのようなキスをすることになる。
天羽々斬はというと、漫画を開いて「やはりな」と満足そうな顔をしていた。何を満足そうに見ているのだと眉間に皺を寄せていると、ページを開き、自信満々な表情で千早に見せてきた。
「この娘も言っている。ありがとう、元気でたと。間違いはなかったな!」
さてと、と天羽々斬は立ち上がり、漫画を手に出て行こうとする。千早は慌てて服を引っ張り、彼を止めた。
「ど、どこに行くんですか!?」
「続きを読まなければ。この書物には他にも役に立つことが記載されているだろうからな」
止めようとする千早を引き摺りながら、天羽々斬は笑顔で廊下を歩いて行った。
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