第一章
本当に、天羽々斬?
千早が再び目を覚ましたときには、部屋に夕陽が差し込んでいた。感覚的にはほんの一瞬意識が飛んだだけなのだが、随分と眠っていたようだ。
布団の中で腕を上げてみる。まだまだ気怠いが、持ち上げることができた。先程よりは力が回復していると、千早は身体を起こしてみることにした。
しかし、こんなにも力が入らないとは。学校の行事で普段よりも身体を動かしたあとでも、筋肉痛はあれど力が入らないということはなかった。一体、自分の身体に何が起きているのか。
身体を右に傾け、起こそうと両腕に力を込める。何とか身体は持ち上がったが、全身がプルプルと震えていた。
自分の身体が重たい。重力ですら重たいと思ってしまう。
すると、千早の身体を支えるように誰かの腕が差し伸べられた。千早はゆっくりと顔を動かし、その存在を確認する。
綺麗なアメジストの色をした目と視線がぶつかった。
「すまない。
そこにいたのは、天羽々斬を名乗る男性だった。
千早はこの男性のことをまだ信じたわけではない。
天羽々斬と言えば、スサノオが八岐大蛇を封印する際に使った剣とされている。代々大事に護ってきた柄がそうだったのだろうが、何度でも言おう。剣だ。祠にあったのも刀身だった。決して人ではない。
けれど、信じたい気持ちもある。
柄から聞こえてきた声と同じだからだ。
あの声がなければ、千早は闇に呑み込まれ、死んでいただろう。解決には至っていないが、八岐大蛇を追い払うことができたのもこの声が導いてくれたからだ。
天羽々斬を名乗る男性に手伝ってもらいながら、千早は何とか身体を起こすことができた。隣に腰掛ける彼に、千早は戸惑いながら声をかける。なんと呼べばいいのかわからず、とりあえずは「あの」と話しかけた。
「……わたしが倒れた後の話をお聞きしたいのですが」
「なんだ、やけに堅苦しい話し方をするな。もっと気軽でいいのだが」
「あ、えっと、じゃあ、はい……それで、倒れた後の話を聞きたいんです」
「先程話したとおりだぞ。ちなみに、眠っていたのは丸一日だ。あの日から二日を経過したところだ」
そんなに眠っていたのか。いや、そうではなくて、と千早は一呼吸置いた。
訊きたいのは、天羽々斬を名乗る男性自身のことだ。失礼にならないようにと必死に言葉を選ぶ。
「あの柄、ですよね? 声が同じだからそうだと思ってるんですけど、でも……どうして、人と同じ姿をしてるのかなって」
「ああ、そういうことか」
天羽々斬を名乗る男性は、朗らかに笑った。どうやら失礼なこととは思われていないようで、千早はほっと胸を撫で下ろす。
「まず、あの状態では私の声は持ち主である千早にしか聞こえない。
「それで、その姿に?」
「ああ、よくわからんができた」
結局どういうことかわからない。肩を落としていると、千早の右手が天羽々斬を名乗る男性に握られた。
少し心臓が跳ねたが、不思議と嫌ではない。寧ろ、このぬくもりが心地良いと感じるほどだ。
どうするのかと見ていると、そのまま服の上から彼の胸元に当てられる。
千早は、ひゅ、と息を呑んだ。心臓が早鐘を打ち、耳元で大きく聞こえる。顔に熱が集中し、ひどく暑い。
出会ったばかりの異性に何をさせているのか。そんなことを思いながら千早は手を離そうとするが、力が入らない。
「千早、私を疑っているのだろう。本当にあの柄なのかと。……天羽々斬なのかと」
どうやら伝わってしまっていたようだ。だが、仕方ないだろう。千早には判断材料が声しかないのだ。
それに、と千早は天羽々斬を名乗る男性から視線を逸らす。
意識を失っている間に起きた出来事だ。刀剣から人に姿を変えた瞬間を見ていない。もちろん、その逆も。
「私の名を呼べ。天羽々斬、と」
「……どうして?」
「それで千早の悩みは解消されるからだ。さあ、早く」
千早は目を見開いた。説明不足で強引なところが、柄と同じだ。
チクチクと千早の胸が痛む。疑ったことが何だか申し訳なくなった。声といい、こういうところといい、紛うことなきあの柄だと。天羽々斬なのだろうと思ったからだ。
とはいえ、今から何をさせられようとしているのか。千早は息を小さく吸い込み、口を開いた。
「天羽々斬」
言い終えるのと同時に、白い光が強く輝いた。あまりの輝きに目を瞑りかけたが、光は一瞬で消え、千早の手にはあのときの刀剣が握られていた。
男性の姿も見当たらない。本当に刀剣になってしまったのか。おそるおそる話しかけてみる。
「あ、あの……天羽々斬様」
≪なんだ?≫
「わぁ!」
今し方まで聞こえてきた声が、刀剣から聞こえてくる。驚きのあまり、千早は手に持っていた刀剣を畳の上に落としてしまった。
カシャン、と大きな音を立てて落ちた刀剣。天羽々斬は「大事にしろ」と苦言を漏らした。
人差し指で刀剣をつついてみるが、勝手に動くことはない。視覚や触覚はあるようで、千早が何をしているかはわかるらしい。
それにしても、何とも不思議だ。この刀剣が天羽々斬で、人の形にもなるのだから。天羽々斬を眺めていると、再び白い光が輝き、男性の姿へと戻ってしまった。
「どうだ?」
「……疑ってすみませんでした。あと、ありがとうございます」
「それは何の礼だ? 礼を言われるようなことはしていないと思うが」
「助けてくれました。あのとき、天羽々斬様が声をかけてくれなければ、今頃ここにはいなかったはず。それに……手を、握ってくれていましたよね」
そんなこともあったな、と天羽々斬は口元を綻ばせた。
夢の中でも、闇に囚われ、呑み込まれそうになっていた。そこから抜け出せたのは、現実の世界で眠り続ける千早の手を天羽々斬が握ってくれていたからだ。
それに気付かせてくれたのは、また別の人物だったが。
「言っただろう、私は千早の剣だと。これからも傍にいる。何があっても、その手を離すことはない」
相手は、刀剣だ。人の形をしているが、人ではない。
わかっているはずなのに、心臓がバクバクとうるさい。顔が何だか熱い。千早が目を逸らすと、天羽々斬は「さて」と声をあげた。
「信じてもらえたことだし、まずは千早の力を早急に回復させる方法を手に入れよう。今のままでは、時間がかかってしまう」
「力ってあのときの?」
「そうだ。刀身を創造したこと。力を操れず、膨れ上がったものを放ったこと。結果、今こうして布団の上にいるわけだ」
そう言うと天羽々斬は立ち上がった。千早が動けないため、自分で調べるらしい。神剣と言われている天羽々斬だが、このようなことをさせてしまっていいのだろうか。気にはなるものの、千早は自身の部屋に書物があることを話した。
何かヒントがあるかもしれないと、スサノオや八岐大蛇に関することを集めて調べていたのだ。
「助かる。何かあれば、私の名を呼べ。すぐに駆けつける」
「はい、ありがとうございます」
「では、行ってくる。そうだ、千早は私の名前を考えておいてほしい」
「わかりま……え? 名前?」
パタン、と襖が閉められ、天羽々斬は千早の部屋へと向かってしまった。一人残された千早は、ぽかんとしたまま。
──名前って、天羽々斬では?
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます