第34話 歪められた恨み
一人で釣りに出かけ、帰りに春祭でぶらついて、ジークフレアが屋敷に戻る頃には日が沈みかけていた。
「あの二人は?」
戻った主人に問われ、執事オリバーは一瞬、返答を躊躇った。
二人とは当然、グリム兄妹のことだろう。あの二人の居場所を教えてよいものか逡巡し、答える。
「まだ客室です」
自然と返したつもりが、その言葉にはどこか非難の色が混じっていた。オリバーもジークフレアの所業を知っているため、仕方ないことであったが。
「そうか」
一方のジークフレアは、まるで自分が十四歳の少年少女にした仕打ちなど忘れたかのようだった。至って普通に返事をすると客室へと向かっていく。
オリバーも主人の後からついていった。もしもあの二人にまだ何かする気ならば、止めなければならない。そう決意していた。
カチャ。
扉を開けて中に入る。
客室の中は多くの人がいた。
壁に背をもたれてベッドに座るヴィルヘルムとシャルロッテ。ヴィルヘルムの右手には包帯が巻かれている。二人ともすでに治療は終わっていた。
ベッドサイドの椅子に座っているのはクラインとピエール、そしてレシィだった。司祭のポポイヤとメイドのヘレンもベッドのそばに立っていた。
ジークフレアが部屋に入ると、一斉にその視線が彼に注がれる。
レシィがジークフレアの姿を見るなり立ち上がる。スタスタと近付いていった。
「女、お前も来て──」
「【聖女の一撃】っ!!」
パァ──ンッ!!!!
レシィが言葉を交わす間もなく、強烈なビンタをジークフレアに喰らわせた。
乾いた音が室内に響く。その場にいた誰もが驚いた。
「アンタ、マジでサイテーッ!!」
レシィが険しい表情でジークフレアを睨む。怒っているはずなのに、その瞳はどこか潤んでいた。そのせいのなのか、ジークフレアは目を丸くしてレシィを見つめていた。黙って、自分のぶたれた頬を触る。
「二人に謝りなよ!」
「なぜだ?」
「はぁ? なぜだじゃないでしょ! 二人にどんだけ酷いことしたのか分かってないの!?」
「いいんだ、聖女様」
ジークフレアに詰め寄るレシィを止めたのはヴィルヘルムだった。
「全部、俺たちが悪いんだ」
「二人はなんも悪くないよ。全部コイツが悪いんだって。てか、どうもこの男、
レシィは自分のこめかみに人差し指を突き付けた。
「この前だって聖堂の女神像を壊したんだよ? マジでムカつく」
「いや、俺たちには覚悟が足りなかった」
「そう、だね……」
聞いていたシャルロッテも小さくうなずく。スッと顔を上げてジークフレアを真っ直ぐに見つめた。
「それをジークさんが気づかせてくれた」
「そもそも昨日、その人の計画通りに動いてさえいたら、すべて終わってたんだ」
「うん」
「いやはや、復讐は感心できませんよ」
ポポイヤが悲し気に首を振る。
「俺ならばいつでも相手になるぞ。夜中に寝首を搔くでも構わない」
ジークフレアがさも愉快そうに笑う。
「なんなら、今ここではじめようか」
「「ジーク様っ!」」
ジークフレアがそう言い出したので、方々から非難の声が上がる。
「ホントに頭イカれてんのな、アンタ」
「あまり焚きつけないでおやり」
レシィはやれやれと首を振り、ヘレンも溜息を漏らす。
「ハハハ、それはやめとくよ。もう二回も返り討ちにされたしな」
ジークフレアの提案を聞き、ヴィルヘルムは困ったように笑った。
「それに本当にもう、アンタにゃ恨みはないんだ」
「うん。最初は本気であなたを憎んでたし、殺そうと思ってた。けれどそれも、マティアスの言い分に乗せられてただけなの」
シャルロッテが心情を吐露する。
「悔しいよ。恨みの感情さえ操られてた気がする。アイツの言葉に従って、ジークフレアさえ来なければこんなことにならなかったって、お父さんもお母さんも、おばあちゃんも死ぬことはなかったって……」
「まあ、それは事実だもんな~」
「おい!」
ピエールの肩をクラインがペシリと叩いた。
「……正直に申し上げて、ウィッケンロー家からはあまり良い噂は聞きません」
遠慮がちにそう言い出したのはオリバーだった。クラインがうなずく。
「ぶっちゃけマティアスの父親の代からそうっすもんね」
オリバーはジークフレアに向かい合った。
「ジークフレア様の前でこういう発言は憚られますし、これはあくまで私の想像でもありますが」
そう前置きしてオリバーは続ける。
「ジークフレア様のロア村領主という地位も騎士爵という身分も、謹慎させることが目的の仮のご立場。国王はやがて主を王都へ呼び戻すおつもりだと思います。当然、王族という身分もいずれ返還されるおつもりでしょう」
「てことは、ロアもまたウィッケンロー家に返還されるってことですか?」
「ええ。ウィッケンロー家というよりもゼスト地方の辺境伯へ、ですがね」
クラインの問いにうなずき返した。
「それに国王と言えども、何の許可も得ずにこのような身勝手なことはされない。急なこととは言え、事前に辺境伯や領主代のマティアス様にも断りを入れているはずです。ロアの領地から得られる税分も肩代わりされている可能性が高い」
「クソッ!」
ヴィルヘルムが自分の膝に拳を叩きつける。
「それが本当なら、なんでマティアスは税を高くしたってんだ! ロアからの税金が入らなくなったから、俺たちにその穴埋めをさせてるんじゃなかったのかよ!?」
「おそらく、それは嘘だろうね」
オリバーは静かにグリム兄妹を見つめた。
「嘘?」
「仮にロア村の税をほかの町村に肩代わりさせるにしても、あまりにも重税すぎる。まして新たな税まで設ける必要などはないはずだ」
「それじゃあ、なんのために」
シャルロッテがつぶやく。溜息交じりにクラインは肩をすくめた。
「平民イジメのただの口実ってところかな」
「一時的だったとしてもロア村を明け渡すのが嫌だったんじゃないかな」
ピエールも思案気に腕を組む。
「見た感じプライド高そうだったし。ロア村を奪われたって言ってたじゃん? 事実はどうあれ、あれがアイツの本心なんだよ」
「そんなとこだろうな」
「なにそれ? やっぱアイツ、最低な野郎じゃん!」
レシィが怒る。
「ひどいよ。そんなことのために、今も町の人たちは苦しんでるって言うの……?」
シャルロッテの声は震えていた。
「シャル」
「そんなことのために、お母さんたちは殺されたの?」
シーツに顔を埋めて、シャルロッテは泣きはじめた。ヘレンが彼女の頭を優しく撫でる。
「やっぱり、俺たちの本当の敵はマティアスなんだ」
シャルロッテを見つめたまま、声を押し殺すようにヴィルヘルムがつぶやいた。
先ほどシャルロッテが口にしていた、【恨みの感情】──ゲーム正史ではその感情の矛先は最後まで、ジークフレアへと向けられたままだった。
なぜならジークフレアとグリム兄妹は出会うことさえなかったからだ。そもそもジークフレアはカレの町を訪れることさえしない。
その代わりにこの二人と出会うことになる人物がいる。ゲーム主人公のニルスだ。
そう、ヴィルヘルムとシャルロッテの二人も、れっきとしたネームドキャラだった。
ニルス一行と兄妹の出会いは、ニルスたちが聖剣を求めてロアの村へ行く途中、カレの町に立ち寄るのがきっかけだ。
町の宿屋が満室だったため、広場で知り合ったシャルロッテの宿に厄介になるのだが……。その時すでに二人の宿屋には誰も寄り付かなくなっており、ヴィルヘルムは病気で衰弱していた。
薬を買うために、シャルロッテは町で花売りをしていたのだが、稼ぎはすべて税に消える。二人は満足な食事もできない状態だった。
ニルスと仲間たちはグリム兄妹から、そんなカレの町の惨状を聞かされる。
『ジークフレアがロア村に来たせいで、カレの町の領主はロアという領地を奪われた。だからその分の税金を自分たち平民が肩代わりすることになった』
グリム兄妹はそう訴えた。
『すべてジークフレアのせいだ』と。
それを聞き、ニルスの仲間たちは憤る。
『こんな辺境に来てまで、人々を苦しめているのか』
怒りの矛先は、当然マティアスではなくジークフレアであった。
そしてその夜、事件が起こる。マティアスの手下が二人の宿屋に火をつけるのだ。
衰弱したヴィルヘルムは、逃げられなかった。シャルロッテだけでも助けようとするニルスたちだったが、シャルロッテはそれを拒んだ。
『もう、疲れちゃったよ。すべて終わらせて、楽になりたいの。お父さんたちの下に行きたい。光の国で、みんなが待ってる……』
シャルロッテは兄と心中することを選んだ。
二人を助けられなかったことを後悔するニルス。失意の中、火を放ったならず者たちを、正義の名の下に成敗する。因みに、ならず者は六体いるのだが、これは先にジークフレアが斬ったあの男たちだった。
死ぬ間際に、ならず者は叫んだ。
『恨むならジークフレアを恨むことだ! こんな辺境の土地で、村一つ奪われたらどうなると思う!? 領主様も本当はこんなことしたくないのさ! 全部、ジークフレアのせいだ!!』
冷静に考えると、領主にも非はあるのではと、そんな疑問も出てくるが、ゲーム上でマティアスの存在感は薄い。と言うか、その名すら一切登場しない。よって、プレイヤーのヘイトは自然と、ジークフレアに向くようになっていた。
哀れな兄妹に悲劇をもたらしたのは、ジークフレアだ。
このカレの町で発生するグリム兄妹のイベントはジークフレアへのヘイトを溜めるために存在するのだ。
本来ならば、今後この二人にはそんな死の運命が待っている。
「オイ、餓鬼」
「?」
「お前もだ、娘。顔を上げろ」
シャルロッテが真っ赤に腫らした目をジークフレアに向ける。
「答えを、まだ聞いてなかった」
「答え?」
「お前たちの仇。あの男、殺したいか?」
そう言われて、二人は息を詰まらせた。空気がしんと静まり返る。聞いていた面々も、思わず固唾を呑んだ。
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