第33話 憤怒

「なにを、言ってるんですか?」

「そうだぜ。なんなんだよ、急に」


 ジークフレアの突然の発言に、グリム兄妹は戸惑いを隠せない。


「そうですよ。悪い冗談はやめてくださいよ!」


 クラインも訴える。


「殺したかったんだよな、俺を?」


 ジークフレアは馬上から二人を見下した。


「昨日、奴も言っていたが、まさにその通りだ。元はと言えば、俺がこの村に来さえしなければ、お前たちの父上母上も殺されることはなく、婆様も死なずに済んだ。そうだろ?」


 二人の顔色が変わる。


「家を失うこともなく、今も変わらずに暮らせていたはずだ。俺がこの村へ来たからすべてが狂った。確かに、奴は正しい!」

「何を言ってるんですか!? 別にそういう訳じゃ──!」

「来いっ!!」


 クラインの声をジークフレアが掻き消す。


「マティアスの代わりに、あんたが殺されるってのか?」


 呆れたようにヴィルヘルムはジークフレアを睨み上げた。だが、その目には殺気が込められている。


「いいや、俺を殺して、奴も殺すがいいさ。ついでだ。恨むもの全員殺れよ」

「お前……っ!」

「くっ!」


 二人とも武器を握り直す。


 ダッ!


 だがすでにジークフレアは馬を駆けさせていた。


「ちょ、オイオイオイオイ!!」

「あ、マジでヤル気なんだ」


 四人に向かって真っ直ぐに突っ込んでくる。


 ピエールとヴィルヘルム、クラインとシャルロッテで左右にどうにか躱した。ジークフレアは手綱を腕に絡ませると、馬の腹まで身体を滑り落とし、テーブルに置いてあった槍を掴む。


 シャルロッテが持っている練習用の木の槍ではなく、本物の槍だった。それを森の奥へと投げ捨てる。槍は放物線を描き、木々の中へ消えた。


「残念! これでもう槍は使えんぞ!?」


 シャルロッテを見て、馬鹿にしたように嗤う。馬をその場で回転さると、地面を蹴り上げさせて、周囲に泥を飛ばした。


「キャッ!」

「クソッ!」


 たまらず二人は距離を取る。


「逃げるだけか!? ほぅれ、ほぅれ!」


 今度は執拗にシャルロッテを追う。


 ブォン!! ブォン!!


 少女に向かって刀を振り回す。


「キャッ!」

「シャル!」

「ちょ、マジですか!?」


シャルロッテの顔近くを、何度も刃がかすめた。


「アッ!?」


 逃げるシャルロッテはつまずいて転んでしまった。


「終わりだ」


 馬上からジークフレアが刀を振り下ろす。


「シャル!!」

「マジで止めて下さい、ジーク様っ!!」


 ヴィルヘルムとクラインが同時に叫んだ。


 ガキ──ッ!!


 シャルロッテはそばに転がっていた盾を掴み、どうにか刃を凌いでいた。


「呵々呵々!!」


 ジークフレアが嗤う。


「そうだ! そこらにあるもの全部使え!」


 座り込んだまま盾の後ろに隠れていたシャルロッテは、転がりながら落ちている斧を手にした。


「ぅおおっ!!」


 その表情は一変し、殺意に溢れている。躊躇なく、ジークフレアの顔面に斧を投げつける。


 ビュオッ!!


 残念ながら外れ、ジークフレアの顔のすぐ横をすり抜けていった。


「なあ? 殺したい相手が馬に乗っていた時はどうやって相手を討つ!?」

「!?」


 ジークフレアが手綱を引くと、馬が後ろ立ちになる。咄嗟にシャルロッテは盾で身を守ろうとした。だが、馬はそのままくるりと後ろを向く。


「ほれ」


 ドガッッ!!


 強烈な後ろ蹴りがシャルロッテを襲った。


「ぅげっ!!」


 木の盾が真っ二つに割れる。蹴りをまともに喰らったシャルロッテは隅まで吹っ飛んでいった。


「シャル!!」

「呵々呵々……」

「いい加減にしろよ、テメェ!!」


 ギリ……ッ!!


 ヴィルヘルムが矢を番え弓を引く。


 ジークフレアはゆっくりと馬の頭を回し、ヴィルヘルムと対峙した。


「……」

「……!」


 矢じりをジークフレアの顔に向け、力いっぱい弦を引き絞った。狙いを定められてもジークフレアは微動だにしない。


「チッ!!」


 イラついたように舌打ちすると、ヴィルヘルムが矢を放つ。


 ビュッ!!


 ジークフレアの顔面スレスレを飛んでいった。


「クソッ!」

「もっと大きい的を狙えよ」


 ジークフレアが馬をポンポンと叩く。


「っ」


 馬の腹を蹴り、今度はヴィルヘルムに突っ込んでいく。嘲るように笑いながら、ヴィルヘルムを追っかけ回す。


「糞が、うざってぇ!」


 何度も矢じりを向けるが、動き回って狙いが定まらなかった。


「卑怯だぞ! 降りて来い! 勝負しろっ!」

「卑怯も糞もあるか!」


 馬を止めると、ジークフレアは少年を見据えた。


「餓鬼、なぜ馬を射なかった?」

「!?」

「もう分ったはずだ。馬上の相手は、まず馬を潰して落馬させるのが早い。こんなにでかい的だ。目を瞑ってても射れたはずだろ、あ?」

「っ!!」


 一瞬、ヴィルヘルムが下を向いた。


 サッ!!


 その隙に、ジークフレアは馬の背から軽やかに跳躍していた。


「えっ!?」


 顔を上げた時には、ヴィルヘルムの頭上までジークフレアが迫っていた。


 さく。


 逆手に持った刀の先端がやすやすとヴィルヘルムの手の甲を貫く。


 どすっ。


 切っ先はそのまま地面に突き刺さった。ヴィルヘルムは一瞬で手を串刺しにされていたのだ。


「あ……。あ゛あ゛あぁあぁあぁ!!!!」


 弓矢を手放し、絶叫する。片方の手で手首を押さえ、力なく地面に突っ伏した。


「なぜ、馬を射なかった。あ? 訳を話せ」


 わしりと髪を掴み、ヴィルヘルムの顔を無理矢理持ち上げる。ジークフレアの顔は鬼のような形相になっていた。


「おい、答えろ。なぜ馬を射なかった? 殺したいほど恨む相手を前に、よもや馬に遠慮したわけじゃあるまいな、あ?」

「う、うぅぅ……!!」

「ヴィルを放せっ!!」


 ダ! ダ! ダ! ダ──!!


 横から足音が近づいてくる。


「?」


 ジークフレアが顔を起こすと、シャルロッテが剣を手に目の前まで迫っていた。殺意で毛が逆立っている。


「いいね」

「死ね、ジーク!!」


 両手で持った片手剣を横に構えた。狙いは、ジークフレアの首だ。


「ちゃんと首の根元を狙えよ」


 顔を起こしたまま、まるで人形のようにジークフレアは動きを止めた。自分から首を差し出すように顎を上げる。


 シャルロッテは全身の力を込めて、剣を横一閃、振り抜いていく。


「──!!」


 ヂッッ!!


 焼けるような音がして、ジークフレアの首を切っ先がかすめて行った。僅かに血が滴る。


 喝!!


 ジークフレアが野獣のように双眸を見開く。その眼は、憤怒で血走っていた。


 ッッ!!


 ジークフレアの五指がシャルロッテの首に噛みつく。それは獣の牙のように、柔らかな少女の首に喰い込んでいった。


「ぅぐっ!?」


 シャルロッテを力任せに押し倒す。


「お前もか!!!!」


 ジークフレアの怒号が飛んだ。


「退いたな、餓鬼!?」

「うっ、ぐぅっ!!」


 首を絞められて、シャルロッテは藻掻いた。


「殺したいほど憎む相手になぜ退いた!? あぁ!? なぜだっ!!」


 血走った眼を兄妹に向ける。


「お前たちは、今から殺しをやるんだぞ!? その程度の意思か、あぁ!? 奴以外は殺したくないか!? 馬さえも殺せんか!?」


 喰らいつくように、咆える。


「他を巻き込みたくなくば、なぜ昨日殺らなかった!? 武器を捨て、なぜ出てきた!? 言ってみろ!!」


 マティアスが二人の家を焼き払ったと知り、二人が思わず飛び出したことを言っているようだ。


「奴だけを仕留める好機はもう来ないかもしれん!! あれだけの家来衆を抱えた相手だ。奴の城に何人の使用人がいると思っている!? 奴に辿り着くまで、お前たちは何十人だろうが何百人だろうが殺さなければならない!! 分かっているか、それを!!」

「うぅぅ!!」

「ぐ、うぅっ!?」

「答えろ。答えろ、餓鬼……!!」


 両手に力を込める。


「殺したいのか、殺したくないのか。どっちだ、ああっ!?」

「っ゛ぅ──……」

「お、ぉ゛……」


 ヴィルヘルムは頭をだらりと垂らすと完全に地に突っ伏した。シャルロッテも、白目を剥くと泡を吹く。


「お、かあさ──……」


 意識が消える寸前、シャルロッテが消え入りそうな声でそうつぶやいた。それを最後に二人とも動かなくなった。


 シャルロッテの頬から一筋、涙が流れ落ちる。


 すぅ……。


 それを見て、ジークフレアの全身から力が抜ける。亡霊のようにゆらりと立ち上がった。


「興が冷めた」


 クラインが目にしたジークフレアの顔からは表情が失せていた。どこか虚し気に小さく言うと、馬を引き、すたすたと行ってしまった。


 ジークフレアの背を見ながら、クラインはハッと我に返る。ピエールと急いで兄妹の下に駆け寄った。


「死んでる?」

「縁起でもねぇこと言うな! 気を失ってるだけだ」

「ヴィルヘルムは手が紫に変色してる。刀の毒だな」

「ああ、早く屋敷に運ぶぞ!」

「おう」


 二人を抱きかかえ屋敷のベッドに寝かせる。客人用の昨晩も兄妹が使ったベッドだった。ヘレンとオリバーに介抱を任せ、クラインとピエールは急いでポポイヤとレシィを呼びに聖堂へと走った。

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