第29話 マティアス・ウィッケンロー
時は少し遡り、春祭の準備も終わりかけた頃──
村の中心である広場に、騎馬の集団がぞろぞろと雪崩れ込んできた。突然のことで、村人たちは何事かと手を止める。
「控えよぉぉ!! 控えよ、控えよぉぉ!!」
「ロアの村人よ、控えるのだーっ!!」
村人たちを押しのけ、我が物顔で広場に陣取っていく。
村人たちは息を呑んだ。彼らの馬具や胸にある見覚えのある紋章……。それは紛れもなくウィッケンロー家のものだった。
「平伏せよ!! ウィッケンロー家当主マティアス様の御成りであるぞっ!!」
ラッパが吹き鳴らされる。騎士たちの奥から、派手な身なりの男が一人、悠然と馬を進ませて出てきた。
村人たちが一斉に跪く。
「元気にしておったか、我が領民よ。あ~、いや、今はどこぞの騎士の領民だったな……」
皮肉たっぷりにそう言うと綺麗に刈りこまれた顎髭を撫でた。
マティアス・ウィッケンロー、茶髪にくすんだ灰色の眼をした三十手前の男──彼こそ、男爵家ウィッケンロー家の現当主である。数年前に父親が死に、領主代として家督を受け継いでいた。
「お前たちのご主人様に用がある。呼んで参れ」
「あのぅ。ご、ご主人様と言うのは……」
「ジークフレア様のことでしょうか?」
近くにいた男二人がおずおずと聞き返した。
「他に誰がいるんだ、馬鹿が!」
「ヒィィ!?」
「さっさとジークフレアを連れて来るのだ!!」
村人数人が転げるように屋敷へと走っていった。
だが当然、今ジークフレアはいない。代わりに現れたのは屋敷の執事オリバーとメイドのヘレンであった。
「マティアス様、主はただいま外出しております」
「なんだと!? すぐに連れ戻せ!」
「はい。すでに呼びに行っております」
オリバーが丁寧に腰を折る。
「ところで、マティアス様。本日はどのようなご用件でしょうか?」
「昨夜、我が町の領民が惨殺されてな」
マティアスの発言に、オリバーは耳を疑った。
「ざ、惨殺ですか」
村人も何のことかと互いを見やっている。だが、マティアスは淡々と喋り続けた。
「殺されたのは五人。彼らの仲間の一人が逃げのび、この俺に助けを求めて来た。そいつの話では、犯人はロア村の辺境伯ジークフレアだったと言うではないか」
村人たちがどよめく。
「な……!?」
「まさか!?」
オリバーとヘレンも表情を強張らせた。
「俺も現場を見たが、目を覆いたくなるほどの凄惨さだったぞ。最初は魔族にやられたのではないかと、そう思ったくらいだ」
マティアスはもったいぶった目つきで村人を一瞥すると、口元を歪ませながら語る。
「首は飛び、腕や足も切り落とされて……とても人間の仕業とは思えなかったからな。辺り一面、肉片と臓物が浮かぶ血の海だ」
母親たちは子どもの耳を塞ぐように我が子を抱き寄せた。
「す、すみません、マティアス様!」
遮るようにオリバーが口を開く。
「それは何かの間違いではないでしょうか? ジークフレア様が夜にカレの町にいたなど、とても信じられません」
「それを決めるのは俺だっ!」
馬上からマティアスが吐き捨てる。
「お前たちのご主人様……、俺からこのロアの村を奪ったジークフレアだが、本当にその中身は魔王の手下かもしれんぞ?」
「急に何を仰るのです……」
だがマティアスは止まらない。
「だってそうだろう!? ここは伝説の勇者の力が今も残る地──小さき村だが、王国最北端にある要だ。そんな村を落とすことができれば、針を突くように王国を攻め滅ぼすこともできる」
子どもたちに顔を向けると、脅すように笑った。
「気を抜いているとお前たちも化け物ジークにボリボリと喰われてしまうぞぉ!」
子どもたちが怖がって悲鳴を上げた。
「止めなよ!」
急に尖った声が飛んでくる。
「!?」
人々の奥から現れたのは金色の髪をしたオレンジ色の瞳の少女だった。レシィである。彼女の聖衣も、今は春祭の花で彩られていた。
鋭い眼差しでマティアスを睨むレシィに対して、マティアスはその目元を緩ませた。
「聖女、か。お前、名前は?」
「……」
聞かれても、レシィは何も答えなかった。
「ちょ、ちょっとレシィちゃん!」
慌ててポポイヤが割って入る。
「大変失礼いたしました、マティアス様」
「お前は確か、ここの司祭だったな」
「はい。ロア聖堂の司祭ポポイヤでございます」
レシィの代わりにヘコヘコと頭を下げる。だが、その笑顔は引き攣っていた。
「彼女の名はレシィ。レシィ・ベルネットと申しまして、聖女としてわたくしと共に神に仕えております」
「レシィか……、ふぅん」
顎髭を触りながら、レシィの全身を舐め回す。馬から飛び降りると、スタスタとレシィに近づいていった。
「この村の出身か?」
「だったら何?」
嫌悪感を隠すことなく、レシィは言葉を返した。
「今度一緒にお茶でもどうかな? 我が城に招待したい」
「嫌だね。誰が行くか」
「ちょっ、レシィちゃんっ! マティアス様に失礼な口の利き方をしてはなりませんよ」
「そう突っ掛からないでくれよ?」
素っ気ない態度のレシィを見て、マティアスはニヒルな笑いを浮かべ肩を竦めてみせた。
「聖女とは言え、お前も一介の村娘だ。そんなお前が領主の城に誘われているんだ。内心は嬉しいんだろ?」
「嬉しい訳ねぇだろ、舐めてんのか?」
しかめっ面でベーッと舌を出した。
「レッ、レシィちゃん!」
ポポイヤがレシィの前に飛び出る。今のナシ、とマティアスに向かって手をバタバタさせた。
「もっ、申し訳ございません、マティアス様っ! ほ、本当は素直で良い子なんです。本当ですっっ!」
ダラダラと汗を流しながら謝った。
「用が無いならさっさと帰れ! ここはもうお前の領地じゃねぇんだよ!」
「レッ、レシィちゃんっ! いい加減に──!」
挑発を続けるレシィを振り返った時、ポポイヤは言葉を止めた。視線の奥からある人物が現れたからだった。
「騒がしいと思ったら、客人か」
彼はそう言って笑った。
「あ!」
村人たちも彼に気がつき、空気がざわざわと揺れる。
「ジーク様!」
「ジークフレア様……」
ヘレンとオリバーも彼の登場に緊張が走った。
二人の脳裏には、ジークフレアが王都の使者とその騎士を斬り殺した場面が蘇っていた。彼は気に食わないと言う理由だけで使者ロブロスを斬ったのだ。
マティアスと接触してどうなるか……。想像しただけで恐ろしい。
ロブロスの一件は、オリバーが国王宛てに書簡を送っていた。ことの成り行きと陳謝の言葉を織り込み、恩赦を得られるように配慮に配慮を重ねて文章をしたためていた。
結果、ジークフレアもオリバーたち屋敷の人間もお咎めなしという寛大な処置だったのだが、オリバーは自分の書簡のお陰だとは思ってはいなかった。
ジークフレアが王族で、現状、勇者の紋章を発現させた唯一の人物だからにほかならない。
とは言え、もしもまたマティアスを手に掛けようものなら、いよいよただでは済まされないだろう。
「ジークフレア・オルフヴァイン・ルーンブルクだな」
「いかにも。貴様は?」
マティアスの額に、ピキッと青筋が浮かぶ。
「マティアス。マティアス・ウィッケンローだ」
「そうか」
ジークフレアは彼の背後に控える騎士団を眺めやった。
「家来をぞろぞろと引き連れて、一体何の用だ?」
「そこにいる美しい乙女を晩餐会に誘うため」
「……」
マティアスがレシィに手を差し伸べる。
「はぁ!?」
レシィが素っ頓狂な声を上げる。振り返ったジークフレアと目が合った。
「ちっ、違っ! 誘われてなんかねぇから! 誤解すんなよな!?」
慌てて訂正する。なぜか弁解するような口調になっていた。今度は怒り顔になるとマティアスに指を突き付ける。
「妙なこと言ってんじゃねぇぞ! 仮に誘われても誰がお前のとこなんか行くかーっ!」
「ハッハッハッハ! 冗談だ」
腰を逸らせ、マティアスは一人で愉快そうに笑った。
「春の陽ざしを思わせる美しい乙女が突然現れたもので、つい心を奪われてしまってね……」
鳥肌の立つようなセリフと共に、ぬめるような視線を向けられ、レシィが本能的にジークフレアの背に隠れる。
「オエッ……。ジーク、コイツ斬ってくんない?」
青ざめた表情で凍えたように身を震わせた。
「ロアに来たのは他でもない。お前に用があるからだ、ジークフレア」
真顔に戻ると、ジークフレアに向き直る。
「我が領民を惨殺した犯人が、お前だと言う情報が入っていてね」
「ジークフレア様……」
後ろから声を掛けたのはオリバーだった。
「そんなはずはありませんよね? 何かの間違いでしょう?」
「逃げ延びた一人が確かにお前の顔を見たと、そう証言しているぞ、ジークフレア?」
オリバーを無視して、マティアスが畳みかける。
「ああ。斬ったよ」
悪びれることなく、ジークフレアはそう返すのだった。オリバーの顔が強張る。
「ジーク様!? じょ、冗談でしょう!?」
「いいや、冗談ではない」
「ならば、何か事情があったのではないですか? やむにやまれぬ事情がおありになった。違いますか?」
ジークフレアはゆっくりを首を横に振った。
「コイツの試し斬りがしたくてね」
笑いながら腰の刀を撫でる。
「どうしても、人を斬りたかった。はじめはここの村人を斬ろうと思ってたが、生憎人っ子一人いなかったからな。仕方なく、人の多そうな隣の町へ行ったまでだ」
その発言に、村人全員が凍り付く。
「路地裏の広場で五人。確かに俺が斬った……」
マティアスが思わず後退りする。馬上でふんぞり返っていた騎士たちさえもギョッとして互いの顔を見合わせるのだった。
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