第8話 洗礼の儀式

 レシィ・ベルネットは、ロア聖堂で聖女をしている十六歳の少女だった。


 白を基調としたその衣服は、この世界の聖女が身に纏う聖衣せいいと呼ばれるものだ。

 ただ本来は露出が少ない丈長のロングスカートなのに、レシィのは極端に短い訳であるが……。


 ジークフレアが黙っていると、レシィがスタスタと近寄ってきた。ガンを飛ばしながら顔を近付け、ジークフレアを覗き込む。


「アンタがジークフレア?」

「ちょっ! レシィちゃん!?」


 ポポイヤが飛び上がる。


「この村を治める貴族様に向かってそんな言葉遣いをしてはなりません!」

「なんか言えよ、おっさん」


 ポポイヤを無視して、レシィは言葉を続けた。とても喧嘩腰だ。


「……ジークフレア・オルフヴァイン・ルーンブルク様です」


 黙ったままのジークフレアに代わって、クラインがそう答える。


「あと、こう見えて十七歳なんすけどね」

「お前、お黙りよ」


 ピエールの付け足しを、クラインは素早く窘めた。


「マジで!?」


 だが、それを聞いたレシィは目を丸くして驚いていた。


「アタシと一個違いなの!? なにそれ、マジウケるんですけどー!!」


 今度は手を叩いて笑い出した。クラインがチラッとジークフレアの顔を窺うと、額に青筋が幾本も走っていた。


「辛抱ならん。クライン、刀を貸せ」

「(駄目ですっ! 聖女様を斬っちゃダメ!)」


 クラインが小声でそう言った。どこか子どもを叱るように。


 そのやり取りを聞いて、ポポイヤの顔が真っ青になる。


「とっ、ところで本日はどういったご用件でしょうか? 何か理由があったのでは?」


 慌てて話題を変える。


「ここで己の強さを知れると聞いた」

「それ以外にも、ちょっと訳がありまして。それでここに来たんすよ」

「相談に乗ってほしくってな?」


 三人はそう言った。


「ほう、相談ですか。なにかお困りごとがあるのですね?」


 クラインたちはポポイヤにこれまでの経緯を伝えた。


「なるほど、落ちたショックで記憶が……」


 聞き終えるとポポイヤは目を瞑ったまま深くうなずいた。


「状態異常みたいなものって考えると、ここで祈れば回復したりしないのかな?」


 ピエールはそう言った。


 ゲームの場合、聖堂で祈りを捧げることでHPとMPは全回復する。毒や麻痺などの状態異常もすべて完治する。そんな場所だった。


 だが、この世界では若干事情が異なる。


 まずゲームと違う点はお金を取られることだ。次に、祈りを捧げる司祭や聖女の力量によって回復量がまちまちで、状態異常も一部しか治せなかったりする点も違っている。


 特に瀕死状態からの蘇生は、都市部の大聖堂にいるそれなりに力の強い大司教や大聖女でなければ成し得ない奇跡でもあった。


「どうにかなりませんか、司祭様?」

「う~む」


 思案気に唸ると、ポポイヤは何かを閃いたように顔を上げた。


「どうでしょう。ここにいる皆で、ジークフレア様の洗礼の儀式をおこなうと言うのは」


 クラインたちを見やって笑う。


「洗礼の儀式ですか?」

「ええ。もしかしたら、グローレイア様に祈りが届いて奇跡が起こるやもしれませんよ」


 ポポイヤの言葉に、みんながジークフレアを見つめる。


「洗礼とはなんだ?」

「洗礼とは光の女神グローレイア様への信仰心を告白する儀式です。わたくしたちは誰しもがこの儀式を経て、グローレイア様の加護を受けるのです」

「けどさ、記憶がないだけでこの人も洗礼は受けてんじゃないの?」


 レシィが口を挟む。


 それは当然の考えだった。エルデランド王国では、生まれてすぐに洗礼の儀式をおこなうからだ。

 だからこそ、多くの人間が幼いころから当たり前のように光の女神の信仰者になっている。そしてそれは、この世界の多くの国でも同じだった。


「確かにそうですが、今のジークフレア様はこの世界の記憶がない無垢の状態。つまりは今しがたこの世に生を受けた赤子のような状態にほかなりません」


 ポポイヤはそう答えた。


「そうであるならば、今一度、洗礼を施すことで、光の女神様の信仰者であることを自覚し、女神様の慈悲の光と繋がることで、記憶が戻るかもしれませんよ?」


 ポポイヤはジークフレアに笑いかける。


「ものは試しです。なぁに、記憶が戻らなかったとしても何か害がある訳ではない。レシィさん、儀式の準備をお願いします」


 レシィにそう言うと、今度はクラインたちを見やる。


「さ、クラインとピエールも一緒に。皆で、ジークフレア様の誕生を祝福しようではないか」


 儀式の準備はすぐに整った。


 奥から出てきたポポイヤは金色のローブを羽織っていた。レシィも金糸を織り込んだ純白のベールを頭に掛けている。共に儀式をおこなう際に着る特別な祭服である。


 二人は女神像の左右に並んだ。


 ジークフレアはクラインとピエールと一緒に女神の真ん前の椅子に座らされた。


 ポポイヤが懐から一冊の本を取り出す。


「これは『みちびきの書』と呼ばれる光の聖典。我々はこの聖典の言葉を唱えることで、心と体を浄化し、光の女神様の待つ光の国への導きとするのです」


 ポポイヤが本を開く。


「それではみなさん、ジークフレア様のために祈りましょう」


 ポポイヤが姿勢を正す。レシィも今までの態度が嘘のように神妙な顔つきになっていた。レシィが右手を胸の前に置き、その上に左手を重ねる。


 ジークフレアが左右を見ると、クラインとピエールも同じような格好をして目を閉じていた。どうやらこれが祈りの所作らしい。


「さあ、ジークフレア様も」


 ポポイヤがジークフレアに微笑みかける。見よう見まねで、ジークフレアも同じようにやってみた。


「まずはわたくしが読み上げますので、皆と一緒に言葉を続けてください」


 そう言うと、儀式の言葉を唱え始めた。


「わたしは、あなただけを信じます」

「「「わたしは、あなただけを信じます」」」


 ポポイヤの言葉の後に、クラインたち三人も言葉を続ける。


 ちらと三人を見やり、ジークフレアもたどたどしく同じように口にした。


「わたしは知っています。あなたがこの世界に光をもたらした神であると」

「「「わたしは知っています。あなたがこの世界に光をもたらした神であると」」」


「わたしは知っています。あなたがこの世界に精霊を遣わしたのだと」

「「「わたしは知っています。あなたがこの世界に精霊を遣わしたのだと」」」


 静謐な聖堂の中で、洗礼の文言が唱えられていく。ジークフレアも大人しく言葉を続けた。


 洗礼の儀式ではまず自身の信仰心を伝える言葉を唱える。その後、人々を光の国へ導くための女神グローレイアの言葉が続くのだ。


「光の女神曰く『わたしは、わたしを求める者と共にある』」

「「「わたしは、わたしを求める者と共にある」」」


「わたしの息子と娘たちよ。あなたたちは自分の弱さを誇りなさい。弱き者にこそ、光は宿るのだから」

「「「自分の弱さを誇りなさい。弱き者にこそ、光は宿るのだから」」」


 その後も祈りの言葉は続いた。


「あなたたちは光の道を歩むのです。弱きことを嘆く必要はない。何ら欠点の無い完璧な強い人間に、光は宿らないのだから。苦痛や弾圧を受け入れた弱き者の傍らに、常に光はある」

「「「あなたたちは光の道を……」」」


「わたしを信じる者だけが、肉体は滅びても魂は滅びず、光と共に永遠の命が続くでしょう」

「「「わたしを信じる者だけが……」」」


「わたしにすがりなさい。慈悲を乞い、手を伸ばしなさい。わたしはわたしにすがるその手を握るでしょう」

「「「わたしにすがりなさい……」」」


「わたしを見い出すことができない野蛮なる心の持ち主は、光を失い、やがて滅びる」

「「「野蛮なる心の持ち主は、光を失い、やがて滅びる」」」


「ピエール」

「はい?」

「ちょっとそれを借りるぞ」

「……どうぞ」


 ジークフレアが立てかけられていたピエールの槍をおもむろに手にする。


「よく聞きなさい。あなたは赤子のように無垢でなければならない。光の国に架かる橋はとても小さいのだから。さあ、わたしの前に跪き」

「キィエエ゛ア゛ア゛ア゛────ッッッ!!!!」


 烈火の如き絶叫が、空気と共に祈りの言葉を引き裂く。四人は驚嘆の余りに、飛び上がった。


 ジークフレアが気合と共に槍を横殴りに一閃する。


 パゴォォン!!!!


 四人の頭上で、白くて大きな物体がくるくる回転しながら宙を舞っていった。


「!?」


 床に叩きつけられると、爆発飛散する。


 四人はキョトン顔でその様子を見つめていた。


「……えっ??」

「今の、なにぃ?」

「あれ? 女神像……、顔がない」


 床に散らばる石の欠片は、紛れもなく女神像の頭部だった。


「めっ、女神様ぁあぁあぁあぁ──!!!!」


 状況を把握したポポイヤが、悲痛な叫び声を上げた。

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