第7話 聖女
「精が出るじゃない」
「おばばか」
「ヘレンです」
ヘレンが抑揚なく返す。
裏庭でいつものように朝稽古をしているところだった。クラインとピエールもここのところ一緒に汗を流している。
「朝食を持ってきてやったわよ。たまには外で食べるのも乙なもんでしょ?」
ヘレンが両手に抱える銀の角盆にはサンドイッチがたくさん乗っていた。
「……握り飯と沢庵、味噌汁が食いたい」
ジークフレアが思わずつぶやく。ヘレンはそれを聞くと、身体を捻ってサンドイッチを彼から遠ざけた。
「食べたくないなら食べなくてよろしい!」
「食うっ!」
言うのと同時、素早く手を伸ばす。
奪い取るように掴むとそのまま齧りついた。もしゃもしゃと食べ始める。その様子を見てヘレンは可笑しそうに笑った。
「だいぶ力も付いてきたんじゃない?」
クラインたちを見て聞いた。
「気は失わなくなったっすよね」
「相変わらず、ションベンは漏らしてるけどな」
「(それは言うなって!)」
小声でピエールに注意する。
「そうだ! どれくらい強くなったのか、聖堂で調べてもらったらいいわよ」
「聖堂?」
ヘレンの言葉に、ジークフレアが怪訝な顔をした。
「光の女神グローレイア様を祀っている場所のことです」
クラインがそう説明する。
「そこで祈りを捧げることで体力や魔力を回復させることもできるんですよ」
「ほう」
「それに今の自分の強さも知れるからね」
「今の自分の強さか……」
ジークフレアが自分の拳に視線を落とした。
「聖堂でなら、記憶を取り戻す手がかりも掴めるかもなぁ」
「そうだよ、その手があった! 冴えてんじゃないか、ピエール!」
ハッとしてクラインが相方を見やる。
「ジーク様! 聖堂に行けば、記憶が戻るキッカケが掴めるかもしれないですよ」
「そうだわね。何か方法が見つかるかもしれないよ」
「まあ正直なところ、俺はジーク様はこのままでいいと思ってるけどね……」
ピエールのつぶやきに、一瞬クラインとヘレンが言葉を詰まらせた。心の中ではそれに同意しているからにほかならない。
「で、でも本人にとっては、記憶を失くしたままより、記憶が戻るに越したことねぇだろ」
「まぁ、どっちにしても、一度行ってみるといいわよ」
ヘレンがジークフレアを見てうなずく。
「あなた、ここの辺境伯なんだし、挨拶くらいはしたほうがいいしね。どうせまだ、挨拶にも行ってないんでしょ?」
「そうしてみるか」
「あ! でもその前に」
ヘレンがジークフレアの全身を眺める。
「聖堂に行くなら、まずお風呂に入ってからの方が良いわね。それと着替えもね」
ヘレンの一言に、クラインとピエールは無言で互いを見た。
「……臭いか?」
「誰も言ってくれないなら言ってあげる。臭いってもんじゃない! 汗臭いって言うよりも、ションベン臭いわね。そのへんの赤ん坊よりもね、ハハハ!」
「……」
ムスッとしたジークフレアは、若干傷心しているようにも見えた。
ヘレンの忠告通りに身支度を整え、ジークフレアはクラインとピエールを連れ立って、ロアの村の聖堂へ向かった。
そこは木造の小さな建物だった。
尖がった屋根が三十に重なり、ジークフレアの目にはずんぐりとした三重塔のようにも見えた。素朴で可愛らしいが歴史を感じさせる聖堂である。
中は天井が高く、広々としていた。礼拝のための長椅子と机がたくさん置かれている。
「誰かと思ったらクラインとピエールじゃないか。どうしたんだい、珍しいね」
三人を出迎えたのはチョビ髭に黒ぶち眼鏡の中年オヤジだった。
「おや、こちらの方はひょっとして……」
「最近この村に来られたジークフレア様です」
クラインがそう伝えると、オヤジはやや表情を強張らせた。ジークフレアの所業はすでに彼も知っている訳である。王都での悪業も、屋敷に来てからのことも、王都からの使者を斬り殺したことも……。当然ながら、村での評判は決して良くない。
「やはりそうでしたか! 気が付かず申し訳ありませんでしたぁ!」
額から汗を滲ませ、彼はジークフレアに頭を下げた。
「ようこそ、ロアの村の聖堂、ロア聖堂へ。わたくしはこの聖堂の司祭ポポイヤと申します」
「ポポイヤ……。これまた珍妙な名だな」
「アハハ」
ポポイヤが困ったように頭を掻いた。
ロア村の司祭ポポイヤ。何を隠そう彼は五百年前、つまりは第一作目で登場したロア聖堂の司祭パパイヤの子孫という設定である。
まさにザ・昭和のおじさん感満載のキャラクターデザインも無印に登場したパパイヤと瓜二つであり、往年のファンの心を擽った。
更には祖先のパパイヤ同様に若い娘が大好きで、聖堂の図書室の隠し棚にエッチな雑誌を所蔵するスケベ親父という要素も引き継がれている。
「お会いできて光栄でございます、ジークフレア様」
ゴマを擦るように手を揉むポポイヤの前を、ジークフレアは素通りした。
黙って一点を見つめている。
彼の視線の先には台座の上に立つ女神像があった。薄衣を纏い、腰までの長い髪をした女神である。左右に手を開き、柔らかな笑顔でジークフレアを見下ろしていた。
台座には青色の四角い水晶板が嵌まっていた。【ステータス】などを見ることのできるクリスタルの石板である。ヘレンが言っていた「強さを知れる」とはこれのことだ。
「見事な石像だな。異界の菩薩か?」
「光の女神グローレイア様にございます」
ポポイヤが答える。
「神か」
「はい。この世界に光をもたらしたもうた、それはそれはありがたき神様でございますよ。我々が今日あるのも、すべてはグローレイア様のお陰でございます」
「ほう……、ん?」
何かに気が付き、像の後ろを見やる。
「どうか、されましたか?」と、ポポイヤも奥を覗き込んだ。
そこには、一人の少女が椅子に腰かけていた。片足を立てて椅子に乗せ、俯いたまま、無心で足の指を弄っている。
「あ、レシィちゃん!? お客様ですよ」
ポポイヤに呼びかけられても、少女は顔を上げようとしなかった。
「チーース」
ジークフレアを見ることなく、何とも軽い返事を返す。
「よし、今日もペディキュア完璧ぃ!」
椅子に全身もたれ掛かりながら、少女が両足をピンと伸ばした。足先を見て満足そうに笑っている。
金髪にオレンジ色の瞳、薄っすらと小麦色の肌をした太陽が似合う少女であった。
手に持っていた小瓶のふたをキュルキュルと閉める。
「ちょ、レシィちゃんってば! お客様の前でなんて格好を……!」
ポポイヤが慌てふためく。
「ここは光の女神様に祈りを捧げる聖なる家ですよ? それにあなたはロア聖堂の聖女でもあるんですから、そんな乱れた服装は困ります」
とか言いつつ、衣がはだけて露になっている健康的な太腿を、鼻の下を伸ばしながら凝視するポポイヤであった。
「へいへい、まったくうるさいなぁ」
レシィが手をヒラヒラと振る。サンダルを履いて立ち上がった。
「すみません、悪気はないんです」
ポポイヤはジークフレアを見ると、困ったように笑う。
「彼女はレシィ・ベルネット。これでもここの聖女なのです」
「これでもは余計だし」
レシィが口を挟む。ムッとした表情のまま、ジークフレアに視線を向けた。
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