第2話 一刀両断
執事のオリバーが屋敷のエントランスホールに向かうと、一人の男が腕組みをして待っていた。オリバーよりも幾分若い、四十代半ばの男である。その足は不機嫌そうにリズムを刻んでいた。
「やっと来たか、遅いぞっ!」
オリバーが出迎えるや否や、相手はそう言って彼を睨んだ。
光沢のある派手な貴族の服に身を包んでいる。たった今、宮廷の晩餐会から抜け出してきたようなその出で立ちは、この場ではとても浮いていた。
「客人を一人で待たせるとは、田舎の人間は礼儀も知らんのか!」
「大変失礼いたしました」
「しかも相手はただの客ではない! 宰相ヘルマン様の
腰を反らせ、ロブロスが顔を斜め四十五度に上げる。
「申し訳ございませんでした、ロブロス様」
もう一度、オリバーは詫びた。
「今、屋敷の者に紅茶と茶菓子を用意させております。さ、どうぞおかけください」
「悠長に茶など飲んでられるかっ!」
ロブロスはまるで叱責するように言葉を返した。首を伸ばすと、オリバーの背後を怪訝そうに見やる。
「おい、肝心のジークフレアはどこだ?」
「そのことですが……」
「なんだ?」
「実は今宵、主は誤ってベランダから転落され、先ほどまで気を失っておいでだったのです」
「なにっ!?」
声が裏返る。ロブロスは面喰った。
「たった今目を覚まされたばかりで、その……。まだ気が動転されておりまして」
「ジークフレア・オルフヴァイン・ルーンブルク……。噂にたがわぬ間抜けと見える」
呆れたように長い溜息を吐く。
「で。今どこにいる?」
「寝室においでです」
そう言うと、オリバーは胸に手を置いて軽く腰を折った。
「ですがロブロス様もお急ぎと思いますので、本日は私が主に代わり、ご用件をお伺い致します」
「なにっ!?」
ロブロスがとりわけ鋭く言葉を発して、オリバーを睨む。
「ベランダから落ちたごときで私に会えないなど、そんな戯言が通用するとでも思うのかっ!?」
ロブロスの顔がみるみると赤くなっていく。どうやら癇に障ったらしい。
ちょうどヘレンとメイドが台車に紅茶とクッキーを乗せて現れたところだった。だが二人とも、ただならぬ様子を察知して立ち止まる。
「この私は宰相ヘルマン様からの書状を携えて参ったのだぞ!!」
ロブロスの甲高い声がホール中に響いた。
「勘違いするなよ!? お前たちの目の前にいるのはロブロスであってロブロスではない! 宰相ヘルマン様、ひいてはエルデランド国王カールハインツ陛下である! このような無礼が許されると思うのかっ!?」
自分の胸に手を置き、堂々宣言する。
「この私を無下に扱うこと、それはすなわち宰相様、国王陛下を無下に扱うことと同義と心得よっ!!」
「無下に扱うなど滅相もないことにございます」
オリバーがゆっくりと首を横に振る。三度、深く頭を下げた。
「無礼をお詫びいたします、ロブロス様」
平身低頭、謝罪するオリバーの様子をロブロスは蔑むように見下した。
ホールの中心でそんなやり取りが交わされている時、ホールに繋がる廊下の暗がりから三人の人物が姿を見せた。
クラインとピエール、そして二人に付き添われたジークフレアである。
「おい」
「はい」
「奴は誰だ?」
ジークフレアが騒ぎ立てるロブロスを見て、顎をしゃくる。
「王都からの使者のロブロス様、だと思います」
そんな喋り声を聞きつけて、ロブロスが廊下を見やった。
「やっと顔を見せたか……」
「あっ」
「ジークフレア様」
メイドが声を漏らした。オリバーも驚いた様子だ。
「ジークフレア。病み上がりで申し訳ないが、こちらも急ぐ」
急かすように指を鳴らすと、ロブロスは懐から書状を取り出した。
「……?」
だがジークフレアは突っ立ったままだ。見かねたオリバーが代わりに書状を受け取ろうとする。
「お預かりいたします」
──サッ。
手を差し伸べたオリバーを躱すように、ロブロスが書状を引っ込めた。
「これはジークフレア宛である。執事如きのお前に、渡すことは出来ない」
軽く突っぱねると、ロブロスはもう一度ジークフレアを見やった。
「おい、辺鄙伯。いやぁ失礼、辺境伯。ウフッ」
あえて皮肉を込め、ロブロスはそう言った。面白いと思ったのか、自分で軽く笑う。不機嫌顔のヘレンの眉間の皺がさらに深くなった。
「私は夜明け前には発たねばならん。悪いが今からすぐに返事をしたためてもらうぞ」
その発言に、オリバーが驚く。
「お泊りにはならないのですか? もう夜も遅うございますよ?」
「こんな田舎に長居など出来るか馬鹿者!」
ロブロスは言い捨てた。
「この私の時間を奪うな! 私が宰相様の下を離れているこの時間は、宰相様や国王陛下にとって大きな損失と言えるのだ! 第一、この私がこのような田舎に留まるなど──」
「田舎で悪かったわね!」
いよいよ我慢ならなくなり、ヘレンがロブロスの言葉を遮った。
「さっきから聞いてりゃ、田舎だ辺鄙だとこの村を随分と馬鹿にしてくれるじゃないか! ここはアンタの大好きな国王陛下も愛されてる、王族にとって大切な村だって言うのにさ!」
ロブロスはキョトンとした顔で目をパチクリとさせた。ヘレンの反撃が信じ難い様子だ。
「メイド。お前、使用人の分際で、この私に口答えをしたか?」
顔が歪み、顔中がどす黒く変色していく。
「ふざけるなっ!! 貴様ら、この私を誰だと思っているっ!!」
ロブロスがオリバーやヘレンたちを見やり、金切り声を上げはじめた。叱責の言葉が飛ぶたびに、若いメイドは肩を震わせて怯えるのだった。
「オイお前」
「え」
「名は?」
「……クラインです」
「ちょっとそれ、借りるぞ」
しゅら……。
「え? ちょ、何を……」
彼の腰の剣を抜き放ち、ジークフレアは何食わぬ足取りでヘレンやオリバーの間を縫ってロブロスの前まで歩いた。
「辺境伯ジークフレア! この間抜け面めが! お前、使用人の躾も碌にできないの!?」
「キィエ゛エ゛ア゛ア゛ア゛───ッ!!!!」
突如爆発した耳を劈く咆哮。空気を震わせるその絶叫に、その場にいる全員が思わず縮こまった。
斬!!!!
「!?!?」
何が起こったのか誰一人、理解できなかった。
咆哮と共に、ジークフレアがロブロスを一刀の元に斬り伏せていたのだ。
首から鮮血が噴き出す。
「なにを……、馬鹿、な……」
瞳孔が開き、苦悶の表情を見せるロブロスを、ジークフレアは冷めた目で見下していた。
「こんなこと……許されると、思う、な。この、私……は、宰相ヘルマン、様の……」
「知らん!」
ロブロスは真後ろに倒れ、そのまま絶命した。
「なっ! な……っ!?」
動揺するオリバーたちだったが、それで事態は沈静化しなかった。
ダンッ!!!!
「どうされました、ロブロス様!!」
エントランスの扉が勢いよく開かれ、外から男が一人駆けつけた。ロブロスと共に王都からやって来ていた護衛の騎士である。
甲冑こそ身に着けていないが、その身なりはクラインたちと何もかもが違っている。
「っ!!」
血だまりの中の変わり果てたロブロスを見て彼は驚嘆する。その視線はゆっくりとロブロスの前に立つジークフレアに向けられた。
その手には鮮血に染まった剣。
「きっ、貴様……! いよいよ乱心したかっ!?」
シャッ!!
腰の剣を抜き放つ。良く磨かれた鋭い刃が光った。
「ジークフレア!! たとえ貴様が勇者の力を宿す人間だとしても、もう我慢出来ん! 斬り殺してくれ」
「キィアア゛ア゛ア゛ア゛───!!!!」
「!?」
騎士の口上の途中で、ジークフレアが突進していく。
「うぐっ!!」
強烈な体当たりを喰らい、騎士は外まで吹き飛ばされた。ジークフレアもそれを追い、外へと飛び出していく。
「おいおいおいおい……!!」
「マジかよ!? どーなってんだよ!?」
ピエールとクラインが頭を抱える。
「ジークフレア様、なりません!! ジークフレア様っ!!」
オリバーがハッと我に返り、急いでジークフレアの後を追った。二人の騎士もそれに続く。
「ったく、冗談じゃない!! 王都の噂は村にも届いてたけど、噂以上の大馬鹿モンだよ、ありゃ!! 十三からこの屋敷でメイドやってるけど、あそこまで品位の欠片もない王族なんて初めてさ!!」
鋭く溜息を吐いて、ヘレンも外へと走っていく。
「まっ、待ってくださいよ、ヘレンさん!」
涙目のメイドも、慌ててヘレンの後を追った。
「
メイドが外へ飛び出すと同時に、そんな声が聞こえた。そして風を切り裂く鋭い音が迫って来た。折れた剣の刃が、顔面目掛けて飛んで来ていたのだ。
「きゃあっ!!」
驚いて腰を抜かす。その刃は彼女が立っていた真後ろの壁に突き刺さっていた。
顔を上げると、オリバーたちの奥にジークフレアが大股で立っていた。その手には折れた剣が握られている。
ドザッ……!!
彼の前にいる騎士が、膝から崩れ落ちる。
その身体には、首が無かった。
「よし!」
こうして、王都から来訪したロブロス一行は馬車の前で怯える御者のみが残った。
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