戦国の悪鬼、異世界に堕つ

さんぱち はじめ

第1話 転生

「ピエール、もっとしっかり持てよ!」

「持ってるよ」


 愚痴をこぼしながら、二人の少年が何かを運んでいた。


 騎士のクラインとピエールである。


「けど重てぇな。それにこうして間近で見ると、ホント豚みたいだな」

「オイ、やめろって」


 クラインが険しい顔をして相方のピエールを睨む。


「聞かれてたらどうする? 殺されるぞ!」

「聞こえちゃいないだろ。見てみろよ、コイツの面」


 二人が運ぶ男は大口を開け白目を剥いていた。どう見ても完全に気を失っている。ぶっくりと膨れた頬に、銀色の髪がべとりと張り付いていた。


「なんだよ、このアホ面はっ!!」


 ピエールを諫めていたはずのクラインも思わずそう言い放っていた。


「だろ? ま、いいや。早く運んじゃおうぜ」


 運ばれている男の名前はジークフレア・オルフヴァイン・ルーンブルク。


 二重あごに吹き出物だらけの顔、丸々と太った図体──見た目は完全におっさんだ。だが、実のところクラインたちよりも一歳年下のまだ十七歳の少年であった。


 ほんの少し前まで、脂身をたらふく食べ、酒を浴びるように飲んでいた。そして酔いが回ると癇癪を起して暴れはじめたのだ。


「クソがっ!! なんでだ!! なんで僕チンがこんな目に遭わなきゃならないんだよっ!!」


 それは騎士の二人にしても、屋敷で働くものにとっても、よく目にする光景だった。


「公爵の僕チンが騎士爵だって!? しかもこんなクソ田舎に飛ばしやがって!! みんな許さないぞぉ!! 僕チンは王族なんだ!! 偉いんだぞ!! クソッ!! 死ねっ!! みんなみんな、死ねっ!!」


 幼児のように駄々をこねて屋敷中のものを壊して回り、そして二階のベランダから足を滑らせて転落、そのまま気を失ったのだ。


 二人はジークフレアを彼の寝室へと運び、ベッドに寝かせた。


 手当のために、すぐに屋敷の執事とメイドが部屋に入って来る。


 執事の男はジークフレアを覗き込むと、怪我の具合を確かめていった。


 オリバー・アンデルス──この屋敷を仕切る頼もしい執事である。その茶色い髪と髭には白いものが目立つがきれいに整えられていて、黒い執事服には皺ひとつない。


「大丈夫そうですか?」

「ええ、鼻血を出しているくらいですね」


 クラインに聞かれ、オリバーはそう答えた。


「これならポーションも必要ないでしょう。そのうちに、目を覚ますと思います」

「よかった~。ポーション勿体ねぇもんな」

「オイ」


 ピエールの肩をクラインがぺしりと叩く。


「けど、ぶっちゃけさ。いっそ死んでくれたほうが良かったんじゃねぇかな」

「オイ、マジやめろって! 聞こえてるかも知れねぇだろ」

「ま、でもその気持ちも分かるわね」


 今度はメイドが素っ気なくそう言った。


 長い白髪しらがをきっちりとまとめ上げ、濃い緑色のメイド服を着ている。彼女の名はヘレン・ロッテンマイヤー、この屋敷で長年メイドを務めてきたベテランである。


 その目元には鋭さがあり、どんなに髪が白くなろうと、歯に衣着せぬ性格は健在であった。これでも随分と丸くなったと本人は自負しているが。


 ヘレンの冷ややかな態度に、執事も二人の騎士も思わず彼女をちらと見た。


「王都で使用人にしてた幼馴染の子を殺して、それでこの村に飛ばされてきたそうじゃないの」


 フンと鼻を鳴らすと、ヘレンは水の入ったボウルをテーブルに置く。それにタオルを浸した。


「最低最悪の男さ!」


 タオルを絞りながら、そう続ける。


「あまり軽はずみなことを言うものではないですよ、ヘレンさん」


 オリバーが溜息を吐く。そう言った彼も、呆れたようにベッドに横たわる屋敷の主ジークフレアを見やっていた。


 ヘレンはベッドサイドに腰をかがめると、濡れタオルでやや乱暴に主人の鼻血を拭い、その顔を拭いていく。


 喝!!


 その瞬間だった。横たわる男の目が突如見開かれ、間髪入れずに──


 ガバッ!!


 上体を起こす。


 ビクッッ!!!!


 その場にいた四人は飛び上がるほどに驚き、心臓が止まりかけた。あまりに唐突なことで、全員が固まる。


 気を失っていると油断していた。もし今の会話を聞かれていたら、何をされるか分かったものではない。


「ジークフレア様……」


 オリバーが気を取り直し、ベッドサイドに跪く。


「ジーク様、気が付かれましたか?」

「ジーク様! 目を覚まされて、良かった! なぁ?」

「ん? ああ」

「おまっ(もっと喜べよ!)」

「え? あ、ワーイワーイ」


 騎士の二人が慌てて喜びを表現する。


「ご無事で何よりにございます、ジークフレア様」


 ヘレンも心にもないことを平坦な口調で言ってのけた。


「……」


 そんな取り繕う彼らを余所に、男は目玉だけをぐりぐりと動かして、辺りを探るように見ている。まるで状況を把握できていない様子だ。


 それを察してオリバーが口を開く。


「二階のベランダより足を滑らせて庭に落ち、そのまま気を失われたのですよ」


 じっとジークフレアがオリバーを見つめる。その瞳は深い紫色だった。


「あの、どうかされましたか?」

「誰だ、男」

「え? 誰って、この屋敷の執事、オリバーではございませんか」


 そう答えたが、ジークフレアはまったくピンと来ていない様子である。足を投げ出し、ベッドに腰掛けた。


 黙ったまま、もう一度物珍しそうにあたりを見渡し、彼らの全身に探るような視線を這わせる。更には自分の服さえも、物珍しそうに摘まんでいた。


 そんな様子に、四人は思わず互いの顔を見やった。


「……夢でも見ているのか」

「どうされたのですか、ジーク様?」

「ここはどこだ? 俺は一体……」

「ジ、ジーク様!?」


 オリバーがギョッとする。騎士の二人はちらっと互いに目配せした。


「おいおい、これってまさか」

「落ちたショックで記憶が……」


 タッタッタッタ──


 その時だった。遠くから慌ただしい足音が近づいてきた。


 部屋の前で止まる。


 トントントントン!


 今度はドアを叩く音が室内に響く。


「オリバーさん、ヘレンさん! おいでですか!?」


 ドア越しに若い女の声がした。


 オリバーがドアを開けるとメイドが一人、ドアの前に立っていた。まだとても若く、鼻のそばかすが印象的な素朴な少女である。


「一体どうしたんのです? ジーク様はいま大変な状況で──」

「ですがその……っ」


 部屋にいる面々を見ながら、メイドが答える。


「ジークフレア様に、客人がお見えになってますので」

「こんな時間にかい? 一体誰が……」


 ヘレンが呆れる。もう夜も遅い時間だ。こんな時間に客が来るなど、普通はあり得ないことだった。


 よほど急を要するのか、さもなければ常識もわきまえない恥知らずかのどちらかである。


「それが王都からの使者で、ジークフレア様に早く会わせろって言われてて」

「王都から……」

「はい。何でも国王に仕える宰相の使者とかで、書状を持ってきたと仰ってます」


 オリバーが困ったように溜息を吐く。ジークフレアを見やった。当のジークフレアは何のことやらまるで分かっていない様子である。


 やはり、落ちたショックで記憶が飛んでいるのだ。


 彼はそう確信した。


「どう、致しましょうか」


 オリバーは思案する。


「今の状態じゃ、どうせ満足な相手は出来ないでしょ」


 ヘレンがさっと立ち上がる。


「これ、どうするよ?」


 ピエールも相方のクラインの脇腹を小突いた。


「どうするったって、王都から来てんだぜ? 追い返すわけにゃいかねぇだろ。しかも相手はお偉いさんだ」

「取りあえず、私が応対しましょう」


 騎士の二人にそう言うと、オリバーはメイドに顔を向ける。


「客人は今どこに?」

「エントランスホールでお待ちいただいています」

「わかった、すぐに向かう。君たちはもてなす準備を」


 オリバーが素早く指示を出す。ヘレンと若いメイドはスカートの裾を摘まんで会釈で応じた。


 二人とも慌ただしく出ていく。


「君たちはここに! ジーク様のそばにいてやってくれ」

「え?」


 オリバーもそう言い残して足早に部屋を出ていった。クラインとピエールはジークフレアと共にその場に取り残されてしまう。


 一瞬で部屋が静かになった。


「おい、お前たち」

「あ、ハイ」

「俺に誰か会いに来ているのか?」

「そうみたいですね」

「うむ」


 短く返すと、ジークフレアは立ち上がった。

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