四、魔女は人を傷つけてはならない

 ある水曜日のことだった。いつものように図書室でエマといた時、「面白いの見せてあげる」と彼女が言ってきた。

 なに? と訊くと、彼女は含み笑いをしながらカウンターに寄りかかってくる。

「じゃあ、百円玉貸して」

「え、なんで?」

「いいから」

 エマは笑ったまま何も言わないので、私は渋々財布から百円玉を取り出す。彼女はそれを受け取ると自分の手のひらに乗せた。

「ここにミドリから借りた百円玉があります。当たり前だけど、普通の百円玉だよね」

「そりゃ、まあ」

 エマは軽くうなずくと、百円玉をそっと包むように手を握った。細くてしなやかな指がぎゅっと閉じられて、その数秒後にゆっくりと開かれる。でも、そこには百円玉が乗っていない。

「えっ、嘘」

 思わずエマの手を取ってしまったけど、百円玉の痕跡は全くなくなっていた。もちろん、手の裏に隠し持ってもいない。着ているのは半袖のスクールシャツなので、袖に隠したとも考えづらい。

 いわゆるマジックのコイン消しとかは珍しくないけど、こうも鮮やかに目の前でやられるとびっくりする。タネは分からないけど、手つきからしてかなりやり慣れているみたいだ。

「ねえ、どうやったの?」

 私が訊くと、エマは少し得意そうに目を細めた。

「どうって、魔法を使ったんだよ」

「嘘でしょ。これ、マジックじゃん」

「嘘じゃないよ。私、魔女だから」

 魔女。その時代錯誤な響きが頭に引っかかる。魔女って、あのとんがり帽子で黒いマントを着たあれ? それとも女児アニメに出てくるようなの? 正直、エマはそのどちらにも当てはまらない。でも当人は恥ずかしげもなく澄ました顔をしている。

「もっかいやってよ」

「だめ。あんまりやると面白くないでしょ」

「ケチ」

 しばらく押し問答をしていたけど、エマは全く折れる様子がなかった。むしろ面白がっている感じもする。最終的には私の方がどうでも良くなってきてしまった。

「……で、そろそろ百円玉返してよ」

「消えちゃったから、もう返ってきません」

 そう言ってエマは意地悪に私をからかう。ムッとしてしまうけど、この表情には敵わない。なぜか憎めないのだ。

 じーっと睨んでいると、ごめんとエマは肩をすくめてみせた。そして目の前でもう一度手を握りこむと、指を開いて見せる。そこにはさも当然のように百円玉が乗っていた。



 水曜日の図書室は、その日も暇だった。カウンターに肘を突いて、私は先週のことを考える。

 先週、エマは自分のことを「魔女」と言っていた。その時はなんとなくスルーしてしまったけど、今考えてみれば少し引っかかるような気もする。

 例えばマジシャンが「私は魔法が使えます」とか「私は魔法使いです」と言うのは、設定や演出の一環としてアリだろう。きっとエマもそういうつもりで言ったんだと思う。

 でも、わざわざコイン消しのマジックでそんな演出しなくても、とも思う。人体消失とかそれくらい大がかりなマジックをされたら分からなくもないけど、あれぐらいならマジックの心得のある人には簡単にできそうだ。それなのに魔女と言っちゃうのは、ちょっと痛い感じもする。

 別にそれだけだ。それだけの違和感だけど、なんか妙に引っかかる。なんとなく私はパソコンの方へ体を向けて、検索サイトを起動する。

 やっと立ち上がった画面に、私は「魔女」と打ち込んでみた。エンターキーを叩くと不安になるくらい遅い速度で結果の読み込みが始まる。ちなみにこのパソコン、本来は蔵書管理用なのになぜかネットに繋がるし、ソリティアもできる。そのせいで図書委員のオモチャとなっている。

 さすが十数年ぐらい使われているパソコンなので、なかなか画面が切り替わらない。放熱ファンも急に回り始めて不安になったその時だった。

「なにやってるの」

 急に後ろから声がして、私は思わず悲鳴を上げた。振り返るとエマがニヤニヤ笑いながら立っている。

「……ちょっと、びっくりさせないで」

「別に。ミドリが気づかなかっただけでしょ?」

 涼しい顔でエマは答えると、パソコンの画面を覗きこんだ。なんか前にも急に現れたことがあったけど、下手なマジックよりよっぽどびっくりするのでやめてほしい。

「なにこれ。魔女?」

 エマがパソコンを指差す。やっと表示された検索画面には『魔女』の簡単な説明と無機質な見出しが並んでいた。

 ふうん、とエマはつぶやくと、無造作に見出しの一つをクリックする。少しずつ読み込まれるサイトには『魔法』や『呪術』などの怪しい言葉と一緒に、山羊を囲んだ人間達の絵が貼られていた。

「――魔女。ヨーロッパおよび各国で、超自然的な力を用いて人々に害を為すとされた人間。または呪術や占いをする人間を指す」

 すらすらとエマがサイトを読み上げる。その横で私は黙って聞いていた。なんとなく自分の浅ましさを見透かされているようでバツが悪い。

「……魔女って、反キリスト勢力って位置づけなんだね。神に背いて悪魔と契約し、人々に危害を加える存在って感じ。だからヨーロッパ各所では十五世紀から十八世紀にかけて魔女狩りが行われて、数万人が処刑されたと言われているって。えっと、『魔女とされた人々の多くは下層階級の人々であり、女性だけでなく男性、少年少女も魔女とされる事があった。その他にも人種や異教徒、同性愛者、赤毛などの身体的特徴でも魔女とされることがあった』」

 赤毛で。思わず私はエマの髪を盗み見る。一応茶髪で通らなくもないけど、光にかざすと赤みを増すエマの髪。エマは、自分の髪のことを分かっていてこのサイトの文章を読み上げてみせたのだろうか。それを聞いた私の反応でも見て、面白がっているのだろうか。赤毛で魔女とされ処刑された人々と、赤毛で魔女と名乗るエマ。何か、悪い冗談でも聞かされている気分だ。

「……ねえ、見て」

 エマがクスクス笑いながら、そっとパソコンの前を譲る。そこには火あぶりにされた人々の様子が描かれた絵画が載っていた。虚ろな顔で火にかけられ天を仰ぐ女性と、それを取り巻く群衆。不思議だけど、怖さや残酷さはそこまでなかった。どちらかと言えば、おとぎ話みたいな滑稽さと愚かさだった。

「……魔女とされた人達って、ほとんどは魔女とは関係ない、無実の人たちだったんだって。でも裁判で魔女とされた人々は、火あぶりや絞首刑、溺死刑で見せしめのように殺されていった。民衆も、魔女の処刑っていうのは一種のお祭りみたいに見てたんだって」

 馬鹿みたい。エマは乾いた声でせせら笑うと、更にページをスクロールする。そこには様々な魔女に関する絵が載せられていた。裸で箒に乗って空を飛ぶ女性、黒い山羊を囲む人々、そして最後には奇妙なものも映っていた。

 小さい写真だったのですぐに分からなかったけど、黒い人型の像のようなものだった。でもただの像じゃなくて、前面は扉のように開かれている。それでやっと、その像が「鉄の処女」だと分かった。

 鉄の処女、もしくはアイアンメイデン。ゲームや漫画、本でもたまに出てくるから、うっすら知っている。魔女や異端者を拷問し、殺すための処刑装置だ。聖母マリアをかたどった像の内側は釘だらけで、その中に人間を入れて扉を閉めると全身を刺されるという仕掛けになっている。

 悪い魔女を恐れていたとはいえ、ここまで残酷なことをする必要があるのだろうか。しかも処刑していた多くの人は無実の人々だ。これではどちらが悪か分かったもんじゃない。

 もうやめようよと私は言うと、エマからマウスを奪ってブラウザを閉じた。エマは少し残念そうな顔をしたけど、すぐいつも通りの態度でカウンター内の椅子に腰かける。そして肘をつくと、意味ありげに妖しく笑った。



 職員室に鍵を返しに行くと、吉田先生は小テストの採点の真っ最中だった。赤ペンを走らせながら点数を書き込み、次々に答案をめくる後ろ姿を見つめながら、先生はいつも忙しそうにしていて大変だと思う。

「すみません、先生」

「え、あっ、はい!」

 先生は弾かれるように振り向くと、図書当番終わった? と尋ねた。私はうなずいて図書室の鍵を差し出す。

「もう、急に話しかけるからびっくりしちゃった」

「一応、入り口で呼んだんですけど、先生集中してるみたいだったので」

 そうだね。ごめんね。先生は苦笑いをしながら鍵をしまうと、お疲れさまと言った。いつもはそこで回れ右をして帰るところだ。でも、少しだけ今日は気になることがある。

「……先生って、魔女狩りって知ってますか」

 急に振られた話題に困惑したのか、吉田先生は眉を寄せる。そりゃそうだ。いきなり生徒から不穏なことを聞かれたら、困惑もする。

「もちろん知ってるけど……。でも、あれでしょ? 世界史の単元だから、まだ習ってないでしょ」

「習ってはないんですけど、この間読んだ本にたまたま書いてあって」

 ふうん、と言って先生は赤ペンのキャップを閉める。そして机の隅を赤ペンでコツコツと叩いた。

「世界の残酷な歴史、って感じよね。何万人という人が魔女と疑われて、処刑されたって。まあそういうことを繰り返さないためにも、残酷な歴史を勉強する必要があるとは思うけど」

 吉田先生は遠い目をしながらつぶやく。先生の脳裏にも、今日パソコンで見たような魔女狩りの景色が映っているのだろうか。

「……正直、馬鹿なんじゃない? って思っちゃいます。魔女なんているわけないのに」

「でも、当時の人は本当に信じていたから、やっぱりそういう悲劇は起きたんでしょうね。それに今だって、いわれない迫害がどこかで起きてるかもしれない。けして他人事ではないでしょうね」

 さらりと怖いことを言うと、吉田先生は赤ペンのキャップを外して机に向かう。私も帰ろうと鞄を持ち直したところで、ふと先生に尋ねた。

「……先生も、魔女がいたら怖いですか」

 うーん、と先生はうなると、おもむろに眼鏡を外して天井を見上げた。何か考えているようだった。

「……ようは魔女ってね、悪そうだと思った人達につけるレッテルみたいなものだと思うのね。正直、先生も悪そうな人は怖いし、あんまり近づきたくない。でも怖がるだけじゃなくて、ちょっと話してみたい時もあるかな。魔女って怖いだけじゃなくて、ファンタジーの世界では色んな描かれ方をされてるし」

 あと、箒で空を飛べるのはうらやましいよね。先生はおかしそうに笑うと、眼鏡をかけ直して答案用紙をめくった。



 その日の夜、お風呂を上がった後もなんとなく気持ちが落ち着かなかった。

 あのサイトに書いてあった魔女狩りの話がショックだったのかもしれない。私もおぼろげに知っているつもりだった。でもああやって直接見せられてしまうと、思ったよりもその深刻さに気がつく。

 自分の部屋でぼうっとしていると、魔女として殺された人々の恨む声が聞こえてきそうで、なんとなく首筋が薄ら寒い。振り返っても誰もいないはずだけど、なんだか嫌な感じがつきまとう。いや、案外エマがそこにいて、ニヤニヤと笑っているかも。自分で魔女だって言ってたくらいだし。

 どうしようか。寝るにはまだ早くて、私は鞄から創作ノートを取り出す。なんとなく、今のモヤモヤをぶつけられるとしたらこれだけだ。

 いつものように簡単な人体モデルを書き込むと、そこに顔や髪、服などを肉付けしていく。長くてレッドブラウンの髪、そばかす、つば広の黒いとんがり帽子に黒いローブ。描き終えて、もろにエマに影響受けすぎだなと思った。エマもこんな凛とした目をしている。

 ページの余白に私はどんどん設定を書き込んでいく。歳は十四くらい、見習い魔女で、黒猫を使い魔として従えている。得意なのは自由自在に空間を移動する魔法とか。性格はさっぱりしているけど、少しイタズラが好き。

 例えば弱点もあるのだろうか。この子は蛇もカエルも大丈夫そうだけど、少し人間嫌いの気がある感じ。そうだ、魔力の源は髪の毛ということにしよう。長くて綺麗なレッドブラウンの髪を日々手入れすることで、魔力を蓄えている。

 次々と書きたいことが思い浮かんで、私はどんどんシャーペンを走らせる。魔女狩りの歴史は恐ろしかったけど、同時に創作のスイッチを入れるような力もあって、あふれ出るインスピレーションに背中を押されている感じだ。

 この子はどんな物語に登場するだろうか。もし魔女狩りがあるような恐ろしく残酷な世界にいたら、どうなるのだろうか。きっと正義感が強いだろうから、無実の人々を救おうとするかもしれない。でも魔女である自分はどうやって身を守る? 魔女を吊るそうとする人々からどうやって逃れる? その時だった。ごくごく単純だけど、頭の中に転がり込んでくるアイディアがあった。

 そうだ、きっと他の魔女達と手を組んで、お互い守り合うに違いない。誰も来ないような森の奥地で、生き延びるための術を求める同盟、魔女の会。

 目の前に暗い小部屋の情景が思い浮かぶ。ろうそくのわずかな光に照らされて、何人もの魔女が静かに祈っている。殺された仲間達のために。そして自分達の未来のために。小屋の外は鬱蒼とした木々で何重にも覆われている。それでも魔女狩り群衆の足音や、猟犬の荒い息遣いに怯えない日はない。

 だからこそ魔女の会では破ってはいけない掟がある。一つ、魔女は秘密を守らなくてはならない。二つ、魔女はその正体を明かしてはならない。三つ、魔女はお互いを助け合わなくてはならない。四つ、魔女は人を傷つけてはならない——。

 ふと顔を上げて、もう十二時を回りそうなのに気がついた。あまり遅くまで灯りを点けていると親が部屋に入ってくるので、私は急いで布団に潜り込む。

 正直、もうちょっと書いていたかったけど仕方ない。普段より多く書けただけでも良いとしよう。そう思って目を閉じたけど、頭が興奮してなかなか眠れそうになかった。

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