三、魔女はお互いを助け合わなくてはならない

 ねえ、とエマが口を開く。

「ミドリはさ、なんで美術部に入らなかったの?」

 カウンターに肘をつくと、エマは身を乗り出してくる。レッドブラウンの三つ編みがこぼれるように揺れた。

「まあ、私そんなに絵上手くないし」

「そんなことないでしょ。かなり描き慣れてたじゃん」

「あれなの。美術部の絵の描き方と漫画の描き方って、似ているようで結構違うの。漫画の方がデフォルメ調だし、影も線や面で描いちゃうし。あと絵はもちろんだけど、できればストーリーも一緒に書きたいから、一枚絵を描く美術部とはなんか違う気がして」

 あともう一つ、漫画を描くということを大っぴらにしておくのは恥ずかしいというのもあったけど、これは黙っておいた。

「そういうもんなの?」

「そういうもんなの」

 ふうん、とエマはつぶやくと、少し残念そうに目を伏せる。相変わらず絵になる子だ。

 絵を褒められたあの日から私とエマは毎週水曜日、図書室で他愛のないおしゃべりをするようになっていた。どんな本が好き? とか差しさわりのない話題ばっかだったけど、彼女と話すのは全然飽きなかった。お互い違うクラスだから余計な気兼ねもなかったし、一度絵を見られたせいで、かえって開き直って素になれたからかもしれない。

「もし漫画描き終わったらさ、ちょっと読みたいな」

「いや、素人が描いたものだから、あんまり期待されても……」

 というか、今後漫画になるのさえ怪しいのではないか? 設定や絵だけはどんどんたまっていくけど、ネームを切ったことはないしコマ割りも分からない。漫画への道は果てしなさ過ぎる。

「ていうかさ、エマだってなんで部活入らなかったの?」

 このままだと漫画の話が続きそうだったので、私はそれとなく話題をそらす。

「だって私、集団行動向いてないし」

 エマは屈託なくそう言った。そういうきっぱりとしたところが、むしろ格好良かった。

「集団行動が苦手っていうか、集団のノリとかが苦手なんだと思う。ノリで流されていっちゃう感じが。あと、一人の方が気を遣わなくて楽だし」

「あー、まあそうかも」

 すがすがしい生き方だなと思う反面、私には無理だなとも思う。きっと自立した人じゃないとできないだろうし、そういう強さを私は持ち合わせていない。

 話すようになってから分かったことだけど、エマはちょっと変わった子だった。妙にさばさばとしているし、廊下ですれ違う時はいつも一人でさっさと歩いていて、人と群れようとしている感じは全くしない。きっと一人でいるのが好きなんだろう。でもお高くとまっているわけじゃなくて、図書室では結構親しげに話してくれる。

 正直、エマを見ていると少しうらやましい。私のクラスでの立ち位置なんて、クラス替えの時になんとなく仲良くなった女子二人と教室の隅で目立たないよう固まっておしゃべりするような、そんな当たり障りのないものだ。群れなきゃやってられないけど、輪の中心になれるわけでもない。あと、クラスでは漫画の話はするけど、自分が漫画を描こうとしていることは話していない。エマみたいにもうバレてしまったらしょうがないけど、自分から言うのはなかなかハードルが高いのだ。

 そうやって自分の趣味も言えずに、取り繕った感じで過ごす私にとって、エマの自由で誰にも媚びない孤高さがうらやましい。憧れるだけで、たぶん自分には無理なんだろうけど。

「まあようは、ボッチなんだけどね」

「ボッチって……、そんなことなくない? エマは一人が好きなだけで、私と話す時も普通じゃん」

「そんなことないよ。それに私、地毛が変な色だから最初から悪目立ちして避けられるみたい」

 あぁ、と私は少し納得する。確かにエマのレッドブラウンの髪は遠くからでも目立つし、酷ければ不良に間違われることもあるかもしれない。

「でも私、その髪色けっこう好きだけどな……」

 エマは少しくすぐったそうに笑うと、指先で三つ編みの先をいじった。図書室に差し込む弱々しい夕日がその髪に触れて、ロウソクの灯のように輝く。不意に、私もその髪に触れてみたいと思った。

「……でも周りからは派手で変な人って思われるんだよね。こっちは生まれてからずっとこの髪色なのに、染めてるんでしょ? って何回も言われるし。ミドリだってそう思わなかった?」

「まあ、最初はちょっと。でもよく見たら眉毛もまつ毛も同じ色だから、きっと地毛なんだろうなって」

 その時、エマは少し驚いたような表情になった。まじまじと私の顔を見つめると、ため息のようにつぶやく。

「そういうの気がついてくれた人、初めて」

 エマの嬉しそうな顔に、私は少し恥ずかしくなる。

「いや、別に。ほら、絵描く人って、髪色とか目の色とかにこだわりがちだからさ……。だから私も観察する癖がついてて、たまたま気がついたというか……」

「確かに漫画だと、金髪碧眼とか白髪赤目とかあるもんね」

「そう! 私もその組み合わせ好きで……。あと黒髪金目とかインナーカラーとか……、あとオッドアイとかも……」

「オッドアイって?」

 ちょっと暴走しかけたことに気がついて、私は咳ばらいでごまかす。危ない、勝手に趣味をベラベラしゃべるところだった。でも私の話を聞いているエマはどこか楽しそうで、可愛く頬杖を突きながら私を見つめている。

「ふーん……。そういうキャラが好きなんだ」

「いや、そういうわけじゃないんですが……」

 なんで急に敬語なの。エマは笑うと、思い出したように顔を上げた。

「じゃあさ、おすすめしたい漫画があるから読まない? 来週持ってくるから」

「え、良いの? 私、積んでる漫画も多いから、ひょっとしたら読むの遅くなるかもだけど」

「良いよ。もう何回か読んだし。趣味に合わなかったらごめんね」

 そう言ったところで、五時のチャイムが校舎に鳴り響いた。そろそろ図書室を閉めて帰る時間だ。

 エマは目配せをすると、じゃあと言って立ち上がった。ぱんぱんに膨らんだ鞄を肩に提げて、図書室を出る後ろ姿を私は見送る。そういえばエマはいつも鞄をいっぱいにしている。不真面目な私みたいに教科書を置き勉しないで、毎日持ち帰っているのだろうか。

 図書室を出る準備をしながら、私は一人でニヤニヤしていた。なんか、こうやって漫画の貸し借りができるのって、中学では初めてかもしれない。今までオタクな趣味がバレる気がして、自分の持っている漫画を貸すのもちょっと嫌だったし、人から借りることもあまりしなかった。でもエマにだったら、恥ずかしがらずにしゃべっても良かったのかもな。きっと笑って聞いてくれそうだ。

 パソコンを閉じて図書室を出ると、もうだいぶ暗くなっていた。もう部活もぼちぼち終わって、みんな下校する頃だ。私は鞄をかけ直すと、鍵を返しに職員室に向かった。



 次の週の水曜日、エマは約束通り漫画を図書室に持ってきてくれた。単行本が三冊入った紙袋を受け取ると、なにニヤついてんの? とエマが言った。顔に出ていただろうか。焦って頬を押さえると、エマはおかしそうに唇をほころばせた。

 読み終わったら感想聞かせてよ。エマは目をきゅっと細めてみせる。初めて話した時に見せた、あの魔女の微笑みで。

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