第3話 おまかせ鍋セット(2,480円)が招いた悲劇
ホムラノアラシが泣き止み、部屋の温度が15度下がるまで、ざっと三分ほどかかった。船柱はひとまず大き目の窓ガラスの破片をビニール袋に集め、山藤はホムラノアラシの背を叩きなだめていた。
数分後。
ティッシュ四枚分の涙を流したホムラノアラシは、膝を正した。元の静謐な顔に戻っている。
「一番弟子であるワタクシとしたことが取り乱し、大変失礼した」
「いえいえ」
「フウジノクサビ様……いいえここは前世の通りフウジ様と呼ばせてほしい」
「あ、どうぞどうぞお構いなく」
「コホン。ではフウジ様」
ホムラノアラシは、ちゃき、と眼鏡を押し上げる。
「では説明しよう。ワタクシたちと悪鬼キリサメの因縁は、六百年前までさかのぼるのだ」
「でもさあ、未だに半信半疑だよなーその壮大な話。そりゃ確かに変な化け物が現れたのは事実なんだけど、なんか夢でも見てるみたいっつーか。それにさ、その山藤がすごい奴の生まれ変わり? みたいなのも、ちょっとまだ信じられないっていうか」
船柱の言葉を遮り、ホムラノアラシは言った。
「フウジ様。失礼だが、首の後ろに消えぬ傷があるのでは」
山藤はきょとんとした後、
「ああ、そういえば」
「いやいやそんな分かりやすい印があるわけ」
船柱が山藤のうなじを覗き込む。
そこにあったのは――黒い痣で描かれた、「封」の字。
「うっわ! えっめちゃくちゃヤバイのある。えっめちゃくちゃ封って書いてある。えっこんなあからさまなのある? しかもなんか読みやすい書体! えっこういうのってもっとなんかもやもやしたものじゃなくて?」
驚く船柱に、山藤はのんびりと答えた。
「あーなんかコレねぇ。なんでこんなのあるのかな~って思ってた」
「いやお前無頓着すぎん? 首の後ろに封印の『封』って痣あったらなんか思わん? 俺がもし首の後ろに『封』って痣あったら、中学校から今までずっと中2病こじらせ続けるよ? いつか来る“目覚めの時”を待ち続けるよ!?」
「変なのあるなーとは思ってた」
「うん! お前は昔からそういう奴だったよな!」
ホムラノアラシが厳かに言った。
「その封という痣は……あなた様がキリサメキキョウと戦い負った代償でもある。キリサメキキョウは元々は人間であり、あなた様の……うっ……あなた様のォッ」
「ホムラさん?」
「泣くか? また泣くのか?」
ぼろぼろ。また大粒の涙がホムラノアラシの頬を伝う。だがティッシュを用意しようとした山藤を手で制し、ホムラノアラシは眼鏡を外すと、袖でグイッと涙を拭いた。拭いてもなお零れる涙をもう一度拭いて、
「失敬」
ティッシュを一枚手に取り鼻をかんだあと、言葉を続けた。
「あやつは……この口にすることも腹立たしいが……あなた様の一番弟子であった」
「あーちょっとそのだからあんまり仲良くなかったんだ」
「あのような愚か者をっ! 一番弟子とは認めない! ワタクシの方が究極一番弟子!」
「あ、うんそうなんですよねきっとね」
ごしごし。目元が赤くなるまで拭いてから、ホムラノアラシはちょっと勝ち誇ったように鼻を鳴らした。
「何せ、奴は破門されたのだ。ほかならぬフウジ様、あなた自身によって」
「破門?」
いかにも、とやはり勝ち誇ったような声色で頷き、ホムラノアラシは先程外した眼鏡をかけ、語った。
「奴は力を追い求めすぎたのだ。あなた様に手ほどき頂いた修行で得た力だけでは満足できず、人間の域を越えることを目標とし、禁術に手を出し、人間を捨てて悪鬼となり果てた」
山藤は頷きながらも顔をしかめる。
「なるほど。俺の前世でそんなことが」
「いや山藤ちょっと待てよ。違うんだよ。百歩譲ってそこまでは納得したとしてサ、なんであいつリモコン奪っていったの。言っちゃなんだけどお前の命狙われるところのはずじゃん。なんで命狙わないの。リモコンなの。もっと違う何かあるだろ」
「フウジ様……キリサメキキョウが本格的に封印を解き、その身体を得て復活したのは今日の事。だが、奴の第一の眷属の女、カサネは……」
「あ、あの傍にいた女か」
灰色の髪の妖艶な女が記憶の中に一瞬だけ甦る。ホムラノアラシは頷いた。銀縁の眼鏡を押し上げる。
「奴の復活の準備の為、あなた様の周辺に探りを入れていた……」
「周辺に、探り?」
「そして奴らの眷属は、見たのだ……」
ホムラノアラシが、ぐわりと目を見開く。
「あなた様が先日、飲み屋『ぶーむぶーむどんどんのん兵衛』で学友たちとおまかせ鍋セットを囲み歓談していた際、『毎晩リモコン抱いて寝ちゃうんだよねぇ』と話をしていた事を!」
山藤もまたぐわりと目を見開く。
「あ、あの話を聞かれていたのか!」
「いや聞かれていたのかじゃないよ。あれだろお前が『毎晩テレビ見ながら寝落ちしてるから、無意識に毎晩リモコン抱いて寝ちゃってるんだよね~もうリモコンが恋人同然だよ~』っていう、お前が飲み会で話題に困ったときに話す小ネタの話。え、待って。あいつがリモコン奪ってったのってそれが理由?」
ホムラノアラシが、グゥッと奥歯を噛み締める。
「あのカサネという女は――飲み屋の店員に扮していたのだ。そしてあなた様にこまめにお冷を運んでいた! 卑劣な監視よッッ!」
「いや確かにやたらと水つぎに来る店員居たな!? えっ、あの女が言ってた監視ってそれ!? もっと違う作戦あっただろうがよ!」
「ワタクシがワタクシの眷属によりこの事を知ったのは本日コトが起きてからであった……クゥッ、一番弟子ともあろうものがッ! ンンッ、不甲斐なしっ」
「あ、うん気にしないで」
ホムラノアラシは、カチャリと眼鏡を押し上げた。するり、とつややかな横髪を肩によける。
「さてフウジ様……かの奪われたリモコン――いかにする」
「いやいかにするもなにもなくない?」
船柱の言葉に合わせ、山藤は頷いた。
「あ、うん。キリサメ……なんとかのことはよく分からないけど、多分返してくれないと思うから新しいの買いに行こうと思います」
「なんと……許容の広いお心っ……!」
「いや大多数の人そうすると思う。わざわざリモコン取り戻しにその黄泉の穴とかいう場所行かないと思う」
***
「でも一つ気になるんだよね。なんであいつは目覚めたの?」
山藤が聞くと、ホムラノアラシは首を振った。
「封印には限度があった……六百年という期限を設けなければ奴は封じられなかった、と聞いている」
「封印っていうのは……」
山藤は、一応拾って持ってきていた刀を、卓の上に置いた。
「これのこと、ですか?」
「いかにも。それは六百年前、あなた様があの悪鬼を封印した尊き刀。キリサメキキョウは刀に貫かれ、封じの山にこもることとなった……とあなた様は言っていた」
「この刀が……」
しげしげと眺める山藤。船柱が首を傾げた。
「なあ。なんか記憶甦ってきたとか無いの?」
「うーん見覚えがあるような無いような……あったとして決定打じゃないような……もっと決定打があるような」
ホムラノアラシは頷いた。
「致し方なし、いずれ封印は溶けるもの、とあなた様は儚く笑ったのだ。だが、策はあるのだとあなた様は言った。ただその策は、ごく身内にしか打ち明けなかった」
「あれ、でも、じゃあ一番弟子の貴方にも伝えてなかったんですか」
「むぅ。確かにワタクシはフウジ様の一番弟子。ゆえに。ワタクシにもどうか作戦を話してほしいと懇願した。だがあの方には『あ、うん』と微笑まれるだけだったのだ」
「ホムラノアラシさんもしかして口が軽い人認定だったんじゃ」
「いいやワタクシはただ負けただけ!」
「え、負けたって誰に?」
船柱に問われ、ホムラノアラシは「ぐぅっ」と鳩尾を殴られたような声をあげた。彼自身は何か違う話題を探していたようだったが、山藤の目を見ることができず、やがて観念したように語った。
「六百年前のフウジ様の隣には、あの方の寵愛の全てをもって微笑みかけられる者がいた。二人の絆は特別で、いかにワタクシがフウジ様の一番弟子であると言えど、到底入り込めなかった」
「ほほー六百年前ながら、そんなモテ男だったんだなぁオイ」
山藤の小腹をこづくと、
「うーんなんだか思い出せるような思い出せないような」
「六百年前のことなんて思い出せる方がおかしいんだって。俺だってあの黒い手と化け物に襲撃されてなかったら完全にヘンなドッキリか詐欺に巻き込まれてるって思うし」
***
散らばった窓ガラスは大抵が集まった。山藤はため息をつく。
「ところで、あのキリサメなんとかがもう1回やってきたらどうしよう」
「っていうかあいつ一時間後来るって言ってたじゃん。悪鬼が時間守るか知らないけど」
ホムラノアラシが静かに首を振る。
「フウジ様よ。人質となったあのリモコンを破壊されるかもしれない。――いかに強靭なあなた様と言えど、耐えられようか?」
「いや耐えられるかじゃないよ耐えられるよ。仮に悪鬼悪霊に目の前でリモコンをバキャッてされたとして、イヤな気持ちになるだけだよ」
ぎりっ、と。ホムラノアラシの鋭い目が船柱に向けられた。
「貴様、フウジ様の事を知ったような口を。一体フウジ様のなんなのだ。言っておくが一番弟子の座は渡さぬぞ」
「いや別にいいよ一番弟子の座は。それに、なんなのだも何も、普通に友達だよ。幼馴染みで一度は引っ越して離れ離れになったのに、なんの悪運か大学で再会しただけのダチだよ」
「うん、船柱とは保育園からの仲だよね。結構衝撃的な出会いだったし」
「そうだっけ?」
「うん。だって……あ」
「どうした?」
山藤の透き通った目に、一筋の光が走る。
「なんか今、ちょっと思い出した気がする。俺達は」
その時、地面が揺れた。
「うっわ待って黒い雲来た! これってあれじゃねーの」
「ど、どうすんだよ山藤ぃ」
先程はトンチンカンな理由でリモコンを奪われたが、今度こそ山藤自身に何か危害が加えられるかもしれない。船柱は山藤の袖をぐっと掴んだ。
「なあ、逃げるなら今なんじゃ」
「大丈夫だよ」
「え?」
「多分、なんとかできるから」
――続く!
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