第2話 気高き炎の使い手よ、今、何を語る

 山藤と船柱は、そろってポカンと口を開けている。そんな二人を見下ろし、化け物はクックッと愉快そうに喉を鳴らした。

「言葉も無いようだな」

「いや言葉も無いっていうかそりゃ無いよ。コメントしようがないよ」

船柱が言った。化け物は得意げに、リモコンを巨大な手の中で転がす。

「命と同様の価値ある宝を奪われた気分はどうだ、フウジノクサビよ」

「命だと思ってる? テレビのリモコンのこと命だと思ってる? え、山藤お前アレ命と同じぐらい大事にしてるの?」

山藤は怪物を見上げたまま答えた。

「な、無いと困る、けど……」

けど、別に命ほどってわけじゃ。そう続くであろう言葉は、化け物自身が地響きのような笑い声で遮った。

「やはりそうだろう。これは、お前にとって無くてはならないものだ。だが、今これは俺様の手中にある」

「アイツさっき一人称我とかじゃなかった? テンション上がりすぎて俺様になってるじゃん」

「返してほしいか、フウジノクサビよ」

「あ、いえあの」

「そう簡単には返してやれぬな!」

「まだ何も言ってない」

「ククク……」

怪物は、手の上で見せつけるようにリモコンを転がした。

「だが俺様にも情けはある。貴様が一人で黄泉の国の穴へと来るのであれば、この貴様の命、返してやらないこともない」

「おい山藤なんかあのリモコンを握ったことで勝手に交渉に分があると思われてるぞ」

「フウジノクサビよ……」

化け物は黄色い瞳孔を細めた。

「今回ばかりはかつてのように助けは来ぬのだ」

「いや助けとか別に要らなくない!?」

思わず叫ぶ船柱の声は完全に無視されている。化け物には山藤しか見えていないようである。

 化け物はさも嬉しそうに笑った後、言った。

「では一時間後。俺様との決闘を選ぶか、この貴様の命よりも大事なモノを粉々にされるか。答えを聞きに来てやろう」

「え、また来るの?」


 化け物は空中で身を翻し、だが、僅かに身をひねり振り返った。

「貴様が、此れを無くしてどのように生きていられるか、見物だな」

後に続く女が、自身の紅い唇をなぞる。

「何故あなたの弱点が分かったかって? ――あなたを監視する目はそれだけ鋭いってコト。残念だったわね!」


 そして化け物は黒い雲の切れ間へと飛んで消えていった。


 嵐が去った静けさ、とはこの事であった。


 「え、何。結局あのなんかすごいやばい化け物がやってきて、奪われたのテレビのリモコン?」

船柱が茫然と言う。

「一体どういうことなんだろう……あっ」

スマホを見ていた山藤が声をあげた。

「どうしたんだよ」

「ヒトトセ電器の店舗で、あのリモコンと同じ奴普通に在庫あって売ってそう。よかったぁー」

「おう、まあそうだろうな」

「しかも安い」

「そりゃリモコン何万もしないからな」


――その時だった。


 地面の一部が、真っ赤に燃えた。炎は龍のような形を描いて立ち上り、やがて現れた炎の渦の中心に――男が立っていた。

「今度は何!?」

炎を描いた紅い着物を纏い、真っ黒な長い髪をポニーテールにしている。片目を札で塞がれた、大男だった。銀縁の眼鏡越しの燃えるような紅い目が、山藤を真っすぐに見ている。

「遅かった、か……」

「えっなんかまた新しいの来た! あいつらの仲間か!?」

大男は、山藤に向けて大股一歩で距離を詰めた。慌てて船柱が庇おうと飛び出すより先に、紅い大男はダァンッと地面に膝をついた。

「一番弟子のワタクシとしたことが不甲斐なく、申し訳ない。此度はあなた様を助けることができなかった事を、お許し頂きたい」

力強くもどこかに謙虚さを感じさせる声で詫びながら、男は深々と頭を下げた。山藤は「えーっと」と困った顔をして言った。

「あの、別にいいよリモコンだし」

「だがワタクシが来たからには安心してほしい。必ずや、あなた様を――あなた様の命を守ってみせよう。一番弟子であるがゆえに」

「いやあのごめんなさい。あなた誰ですか?」

「一番弟子だが?」

「あ、はい」


***


 燃えるような紅い着物を纏った黒髪長髪ポニテの大男。さすがに表で立ち話は憚られるため、一同はひとまず山藤の部屋へと戻った。学生マンションの他の住民は、この騒動に気づいていないのか、触れようとしていないのかは不明である。

「うーわ、窓割れてる」

「破片気をつけろよ、山藤」

「うん」

「あぁっ、フウジ様ッ」

大男が突如、上着をバサァッと脱いだ。ほっそりした顔立ちからはちょっと意外にも思える筋骨隆々の身体が蛍光灯に照らされてぴかりんと光る。

「び、びっくりした。何?」

「硝子の破片は危ない物! だが! このワタクシの着物を破片に被せれば、もう安心! あなた様が足を怪我することは無い!」

「いやあのいいよ窓から離れたところ座るから」

山藤にあっけなくそう言われた大男は。

「……」

ちょっとしょげていた。しょげながら、脱いだ上着を筋骨隆々の身体に再び纏った。


***


 ひとまず、いつもの卓を囲む。一般的なワンルームを背景にすると、紅色の大男は初対面の印象よりもさらに大きく見えた。


 「あの、それで貴方は誰なんですか」

「ワタクシの名はホムラノアラシ」

「は、はぁ」

「炎を司る異能者。あまねく土と炎はワタクシの管轄」

山藤はうなずく。

「そうか、だから傍にいるとぽかぽか暖かいんだねぇ」

「のんきだな山藤。とはいえまあ、確かに」

目の前の男からは、なにか妙に懐かしいようなふんわりと暖かいぬくもりを感じる。薪の暖炉の傍にいるとこんな気持ちになるのだろうか。

「……っ」

ホムラノアラシが、山藤を睨みつける。

「え、何? ごめんね、何か気に障る様な事」

「もう、良い。気にするな」

ホムラノアラシはぷいと視線を切った。そしておもむろに話し始めた。


「あなた様とワタクシは六百年前、共に悪鬼キリサメキキョウと戦ったのだ」

「キリサメキキョウ……」

山藤は、まるで言葉の感触を舌で確かめるように、何度かその名前を呟いた。隣で、船柱が尋ねた。

「それがさっきのあの化け物の名前?」

「そうだ」


ホムラノアラシは、銀淵の眼鏡越しに、紅い目を山藤に向けた。

「やはりあなた様は……何も覚えては、いないのか」

「いやすいません全然」

「戦の神と呼ばれたあなた様でさえ、生まれ変わればそのような一般人になってしまうのか。無情よ……」

船柱が手をあげた。

「あのさー話聞いてると、六百年前の事に詳しいみたいだけど。もしかしてあんた六百年以上生きてるとか言わないよな」

「いかにもワタクシの年齢は七百を越える。超越した修行を行ったものにとっては年齢など些細な事――と想っていたが、キリサメキキョウのこの度の蛮行に気づくのが遅れた。ワタクシも年をとったということか」

はて、と山藤が首をかしげる。

「超越した修行、っていうのは」

「ほかならぬあなた様に弟子入りしたものが手ほどきをしてもらえた修行の事。ほ……ほか、ほかならぬ、ゥウ……」

ぐっ、とホムラノアラシの肩が震える。

「えっ、どうしたの」


 ぼろぼろ。

 ホムラノアラシの目から、ぼろぼろと大粒の涙がこぼれる。


「え、なになになに」

「あなた様に認めてもらう為にィっ! ワタクシは修行を積んだァッ! なのにあなた様は悪鬼を封じるためェ! その命を犠牲にされっ! オ、オォオ、ワタクシたちを、ワタクシを置いて行ったァッ!」

「え、あーなんかごめんね」

「山藤軽すぎるってそれはさすがに」

「んぁあっワタクシはァあなた様のっ」

銀縁の眼鏡を外して卓に置くと真っ赤な袖に顔をうずめ、おぉおお、とホムラノアラシは慟哭した。

「ワタクシこそがァッ、フウジ様の一番弟子であったのにィッ」

「あのーなんか一番弟子にこだわるんだね」

山藤の反応に、ホムラノアラシは朱色の目をカッと開いた。

「無論! 誰になにを言われようともォ! ンゥウウッ、ワタクシこそがフウジ様の一番弟子であった! い! ち! ば! ん! で! し! ンうわあぁああああっゲホッゴホッンンッ」

「いやなんかこれ多分昔色々あったんだよ一番弟子の序列にまつわるトラブル。触れちゃいけない何かだったんだよセンシティブだったんだよ……って待って」

船柱は叫んだ。

「部屋の中あつっ!」

ホムラノアラシの黒髪ポニーテールが朱色に染まり、昂った感情のままに燃え上がる。それと共に、ホムラノアラシの纏っていた空気が熱を持ち、部屋の中は突如サウナのような灼熱にさらされた。

「あっつ! すごいあつい! ホムラさん、ホムラさんひとまず落ち着こ!」

「くぅううっワタクシの情熱を、あなた様は分かってくださるのか!」

「うん分かるすっごい分かるめちゃくちゃ分かるよ! 分かるからはい一緒に深呼吸!吸ってー吐いてー!」


暫し、間。

船柱はそっと席を立ち、勝手知ったる山藤の台所を漁り、湯飲みにペットボトルの茶を淹れて戻ってきた。

「あ、ありがと船柱。あのーホムラさん。とりあえずティッシュどうぞ」

山藤がやんわりと差し出したティッシュを見て、ホムラノアラシは「くぅっ」と絞り出すような声をあげた。

「あなた様はァ! いつだってそうやってェ! ンァアッ! 誰にでも優しくなさるぅううっ! 民草にもォ! いっそ虫ケラにもォ! それで気づけば弟子が増えていくのだっ! うわぁああぁっ」

「あっつ! おい山藤、この人お前のそういうとこ気になってたんだってさ!」

「なんか、悪いって思った方がいいのかな」



――続く!

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