封印から目覚めた悪鬼にテレビのリモコンを奪われたとしても俺達は前を向いて生きていくしかない、そうだろう

二八 鯉市(にはち りいち)

第1話 悪鬼、目覚める。その時無防備なリモコンは――

 「なあ。晩御飯、何にする?」

「うーん……鍋かな」

「一昨日も鍋じゃなかった? お前鍋好きだよな。俺は毎日鍋とか無理」

「船柱は定期的に怖いお姉ちゃんが食生活チェックしにくるもんね。でも別に言うほど毎日鍋じゃないけどなあ」

「それは正直、お前の自覚が無いだけだぞ」


 学生マンション前の、ゆるやかな上り坂。二人の学生が他愛もない話をしながら歩いている。


「でも確かに最近、スーパーに行くといつものパートのおばさんが向こうから『白ネギ、安くなったよ』って声かけてくるんだよね」

そう言いながら歩道を先に立って歩いている、細身で大きな眼が印象的な青年が山藤。

「いやもうそれお前パートのおばちゃんに『毎日鍋の学生さん』ってあだ名つけられて顔覚えられてんだよ」

その後ろを速足で歩いているのが船柱である。細身でひょろりとした高身長の山藤とつるんでいると、船柱の体格は中学生ぐらいに見える。余談だが、親戚の中で彼だけが小さいらしい。


 「やだなあ。毎日鍋の学生さんならいいけど鍋奉行とかあだ名つけられてたら」

「いーやもうつけられてるね。絶対手遅れだよ」

 山藤と船柱は、同じ大学に通う友人同士だ。元々は保育園での幼馴染で、小学校の時に船柱の方が親の仕事の都合で転校したものの、その後進学した大学で偶然再会した。

そんな縁もあってか、二人はよく食事を共にしたり、学校が終わった後にゲームセンターに行ったり、特に何の理由も無いがお互いのマンションを行き来したりする。


 今日も学校の授業を終えて、一端山藤のマンションに荷物を置き、そこから業務用スーパーに繰り出して食材を揃え、溜め録りしたアニメをイッキ見する予定だった。


 だが、その予定は立ち消える。


「な、なんだ?」


 最初に起きたのは、突然の雷だった。あっという間に墨のような黒い雲が空を覆う。ぴしゃん、というような生易しいものではない、爆発音のような雷が幾重にも鳴り響いた。

「え、天気予報今日晴れじゃなかったっけ?」

船柱が思わず隣の山藤を見ると、彼も驚いた様子で空を見上げていた。

「そう、だったと思うけど――何か」

普通の雷じゃない。そう呟いた山藤の言葉は、さらなる雷でかき消される。


 次の瞬間、目を開けていられないほどの閃光が辺りを切り裂き、そして――

「な、なんだあれっ」

声がうわずる。


 彼らの見上げる上空――10メートルほどの所に、人が浮いていた。いや、よくよく見ればそれは人ではない。

 身の丈は三メートルほど。腕が八本あり、背中からはうねうねと蠢くタコの触手のようなものが生えている。顔は鬼の面のようにごつごつとしていて、目玉は数えられるだけで九つあった。

 その脇にはもう一人、黒い着物を身にまとった女もいる。こちらは比較的人間の姿に近いが、灰色の長い髪は蛇のようにうごめき、おまけに背中から黒い羽根が生えており、先程の化け物の隣にフワリフワリと浮いていた。

「や、山藤ぃ」

逃げよう、と山藤の袖を引く。一体アレがなんなのか、どういう存在なのか分からない。夢でも見ているのかとさえ思う。ただ分かるのは、とにかく明らかに友好的な存在ではなさそうというコトだ。

だが、山藤は凍り付いたように“ソイツ”を見つめたまま動かない。とはいえ、必死で逃げようとしている船柱だって、足が震えてまともに歩けなかった。


 「久しぶりだな。会えて嬉しいぞ、フウジノクサビよ」

化け物の真っ赤な口が耳まで裂け、地面が振動するような低い声音が轟く。

「フウジノクサビ……ってなんだ?」

「はは、前世の名すら忘れたか。だがようやっと今、相対する時が来たのだ」

船柱は、山藤を見る。明らかにあの化け物は、山藤に向けて言葉を発している。

「や、山藤。あいつなんなんだよ」

「俺だって知らないよっ」

「ふっ、はははは」

化け物は哄笑すると、懐からすらりと刀を取り出し、そしてそれを地面に放った。銀色の放物線を描き、それはガシャンと地面に落ちる。

「貴様が施した封印になど、もう効力は無い。――時は来たのだ、分かるな。さあ、共に命削りあう戦いをしようではないか」

「なあ、一体何が起こって」

「泣き叫べ。命乞いをするがいい。だが、我が聞く耳を持つとは思うな」


 ずるり、と触手が蠢く。その内の一本が、目にもとまらぬ速さでこちらへ向かってきた。

「や、山藤っ!」

思わず山藤を庇い、船柱は地面へ倒れ込む。その二人の頭上を、ぬめぬめとした触手が通りすぎ――マンションの中へと入っていく。

「え?」


 見上げれば。触手が伸びた先は、山藤の住んでいる部屋だった。

「え、えっ?」


触手は山藤を直接狙うかと思ったが、その頭上を通り過ぎ、山藤の部屋へと伸びた。バリンッと窓の割れる音。

考えられる事、それは――山藤の部屋にある何かに危害を加える事。


「――もう遅い」


 残酷な声色と共に。

 ずるり、と戻ってきた黒い触手。


 その先端に強く握られていたのは――


 「貴様の命、もらい受けた」


 山藤の部屋の、テレビのリモコンであった。


***


 それは黒いリモコンである。

一番上に赤い電源ボタンがあり、その下にチャンネルを選局する上下のボタンであるとか、音量を調節する上下のボタンがある。真ん中あたりに、再生、一時停止などのボタンもある。

 新品のようにツヤツヤとはしていないが、オンボロというほどくたびれてもいない。

 大学入学の折に一人暮らしを始めて、その時に買ってから2年経った、「使って2年目のリモコン」である。


 それ以上でも、それ以下でもない。


 現代社会に生きていて、「これはなんでしょう」と問われれば、百万人が「え、リモコン?」と答える、何の変哲もないテレビのリモコンである。


 山藤たちの頭上10メートルに浮かぶ怪物が、得意げに触手から受け取ったのが、それであった。

 漆黒の雲、猛り狂う雷と共に現れた化け物が、哄笑しながら奪いとったモノが、それであった。

 リモコンであった。

「あっはははは」

怪物の隣に浮いていた妖艶な女が牙をむき出しにして笑い、灰色の蛇の髪を満足そうに一撫でした。

「なんと呆気ない事! こんなにも簡単に手に入ろうとは!」


化け物たちの笑い声は無情にも響き渡る。

山藤と船柱は――ポカンとしていた。



――続く!

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