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体育祭当日。
早朝の冷たく澄んだ空気を感じながら、僕は百メートル走のスタートラインに立った。
一種目目の競技ということもあってか、心なしかほかの選手も緊張しているように見える。一方誰にも期待されていない僕は結構気楽―ということもなく、普通に緊張していた。こういう空気に慣れていないのもあるだろうが、一番はやはり、この試合を先輩が見てくれているかもしれないからだろう。彼女が登校しているのは現川からすでに聞き及んでいる。青組の応援席のどこかに彼女はきっといるはずだ。あの約束があるため探してはいないけれど。きっとどこかで見ているはずだ。
僕の無様な姿を見るために。
「オンユアマーク」
係の生徒の朗々とした声が会場に響く。僕は慣れない身振りでクラウチングスタートの構えをとる。
「セット」
今にも攣りそうな左足を少しだけ上げる。体を支える両の指が頼りなく震える。
乾いたスタートの合図が大気をかすかに震わせた。
―見事最下位でゴールした僕は、今にも倒れこみそうな体を何とか動かして応援席に向かっていた。着いた瞬間先輩が出迎えて肩を貸してくれる―そういうシチュエーションが待っているかもしれない。別にそうでなくてもただ、居てくれるだけでいいのだ。そして笑ってほしいのだ。願いが叶うのならば。
でも。それはやっぱり、夢物語だ。
応援席に戻る途中。横切った救護テントの中で、僕は見た。
自信なさげに背中を丸めて、ぼんやりと一人で競技を眺めている先輩の姿を。普段の彼女からは想像もできない姿を。
それは僕に、とても、とてもよく似ていた。
視線がかち合う。
僕は目を逸らせなかった。
先輩は目を逸らした。
そして、その日から彼女が部室にくることは無くなった。
僕は結局何者にもなれない惨めな敗者のまま、体育祭を終えた。
先輩はその日を境に、文芸部に来ることは無くなった。
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