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「それじゃさっそく一つ目のゲームやっていきましょー!まずは他学年同士でペアを作ってくださーい!」


 副団長の女子生徒のよく通る声が、狭い第二体育館に響き渡る。途端に列は崩れ、ざわめきが波及していく。空気がどよめくような館内で、僕は一人絶望していた。

 ・・・・やっぱりこうなってしまった。

 どうする?今からでも先輩を探すか?いやしかし約束を破ると後が怖い。というかそもそも先輩に知り合いの後輩なんているのか?同学年にならきっと吐いて捨てるほどいるんだろうが(あの美貌だし)後輩となると―ひょっとして僕くらいしかいないのではないか?中学校時代の後輩がいるとかそういうことはあり得るかもしれないけど。もしかしたら向こうから来てくれるかも・・・・。

 そんな絶望的な希望的観測が脳裏をよぎり始めた時だった。


「君、よかったら私と組まないか?」


 眼前には先ほどまで壇上にいた応援団の一員であろう女子生徒。

 もっとも恐るべきことが起きてしまった。

 応援団の先輩からの勧誘―すなわち、ぼっちへの救済措置である。この行為、気持ちは大変ありがたいのだが、人として称賛されるべき行為なのだが、いかんせん、自意識を肥えに肥えさせまくったぼっちにとっては、有難迷惑以外の何者でもない。ゆえに心情的には苦しいが・・・・背に腹は代えられない。


「・・・・よ、よろしくお願いします」


 こうして、何とかペアは成立した。



「・・・・にしても高校生になってジャンケン列車をすることになるとはな。こんなことで団の結束力が強まるとは到底思えんが。君はどう思うかね?歴木君」


「ごもっともです。現川先輩」


 ジャンケンに負けた僕は現川の肩を掴み、歩調を合わせながら答える。

 ―現川游うつつがわゆう。僕とペアを組んでくれた小柄な先輩はそう名乗った。ちなみに応援団員ではないらしい。じゃあなぜ壇上にいたのかというと。


「この集会の事をすっかり失念してしまっていてね。一応私なりに急いではみたんだが、もう集会は始まっていた。後ろからこそこそ入ってすでに並んでいるクラスメイトの列を乱すのはさすがに気が引けるし、かといって後ろに突っ立っているというのもみっともない。そこで私はひらめいた。応援団員のふりをして壇上に立てば、そのどちらの選択肢も選ばなくていい。堂々としていられる、とね」


 ということらしい。

 ヤバいやつだった。

 窮地を救ってくれた恩人に対する言葉じゃないかもしれないけど、僕の語彙力ではそれ以外の言葉で彼女を端的に表現できない。どこか頭のねじが外れている。あるべき選択肢が欠落している。おそらく彼女は「孤独」ではなく「孤高」なのだろう。そう思わせられるだけの堂に入った雰囲気が彼女にはある。独特の存在感が、確かにあるのだ。


「にしても悪いことをしたね。同輩と組みたかったところを邪魔してしまったようで」


「ああ・・・・ええ、まあ、全然大丈夫です」


「昔から私は友人が少なくてね。皆無というわけでは無いのだが。こういう場面で即座に意思の疎通ができるような気の置ける仲間というのに恵まれたことがないんだ。積極的になればなるほど周りから人が離れていく一方でね。まったくままならないものだよ」


 そういう彼女の口調はしかし、諦観も哀愁もなく、フラットだった。

 僕はひとまず「はは・・・・」と乾いた笑いを返してお茶を濁すことにする。とても「そりゃそうだ」とは返せない。


「しかし最近少しばかり気になっている人がいてね・・・・何というか、私に少し似ている気がするんだよ」


「と、いうと?」


「いつも一人でいるところとか、性別とか・・・・まあ、針が長すぎる私たちは、互いの事を知る前に拒絶しあってしまうだろうがね」


「針?」


「『ヤマアラシのジレンマ』だよ。倫理でやらなかったかい?要復習だね。歴木君」


「・・・・はあ」


 そんな取り留めのない会話の間も、着々とゲームは進行していく。どうやら残りは二組ほどのようだ。どこが先頭なのかも判別がつかないほど長い一列と、現川と僕しかいない一列。

 ・・・・え。


「ふふふ。作戦成功。ジャンケンの回数に制限がないなら、これが勝者になる確率が最も高い方法だ。ひたすらジャンケン(中ボス戦)を避けてラスボスとの一騎打ちに持ち込む。・・・・さあ。ヨルムンガンドの上の座は私のものだ!」


 館内にいる生徒。その全員の意識が二人の手元に注がれる。

 緊張の糸が張りつめ、そして―。



「・・・・惜しかったですね」


「まあね。だから言っただろう?世の中ままならないって」


 集会後の体育館。人もまばらになり始めた館内で、特に行く当てもない僕らは、特に行きつく当てもない会話をぽつぽつ続けていた。


「だがまあ、それなりに楽しめた。話し相手もできた。十分すぎる収穫だ」


「ですかね」


「ああ。・・・・して歴木君。自己紹介の時、たしか君は文芸部に所属していると言ったね?」


「言いましたね」


「ふむ。・・・・では君に一つ頼みごとをしよう。別に難しいことではないよ。そう構えなくていい。―部長に、西上さんによろしく伝えておいてくれ。ああそうそう、『お大事に』も付け加えてくれると助かる。彼女、今日は朝から保健室に行ってそれきりだからな。この集会で親睦を深められれば良かったのだが」


「了解です」


 ・・・・そう答えた後で。僕は何かに気づきそうになって。慌てて思考を止めた。



 部室の鍵は開いていた。それはつまるところ先客がいることを示しているわけで、思い当たる人は一人しかいないわけで。要するに、先輩がそこにいた。いつも通りに背筋をピンと伸ばして、よくできた彫像のようなきれいな姿勢で、分厚い本を手繰っていた。僕がガラガラと建付けの悪い扉を開けて入ってきてもこちらに視線を寄こすことすらしない―うん、いつも通りだ。


「体調はもう良いんですか」


「体調が悪いと申告した覚えはないけれど」


 彼女は黒い文字列から目を離さずに即答する。


「勘です」


「・・・・」


「嘘です。―現川先輩から聞いたんですよ。先輩が今日は朝から保健室に行ってそれきりだ、って。『お大事に』だそうです」


「・・・・そう。現川さんが、ね。彼女、あまり他人に関心がない人なのだと思っていたけど。ま、いいわ。兎にも角にも私はもう大丈夫よ。よくあることだし、無駄な詮索は禁物。よろしい?」


「肝に銘じておきます」


「上等」


 僕はリュックから真新しいノートを一冊取り出し、それからついでにペンケースを机の脇にセットした。ノートを開く。中身は白紙だ。表から開いても裏から開いても白紙。入部してすぐまずはプロットから立ててみたら?と渡されたものだが、一度も何かを書き記したことは無い。そして今から書き記す予定もない。それでも何かを考えている雰囲気だけは出そうと思ってペンなどを回してみる。無機質な罫線を眺めて唸ってみたりする。・・・・やっぱり飽きたので先輩に話しかけてみることにする。


「先輩は体育祭、なんの競技に出るんです?」


「綱引き」


「女子は綱引きありませんよ」


「・・・・競技決めの日は欠席したの。だから、何の競技に出るかは分からない。何らかの競技よ、きっと」


 そりゃそうだろう。


「先輩は体育祭、嫌いですか?」


「あなたよりは好きよ」


「僕も嫌いです」


「そう」


「しかも今年は百メートル走に出ることになりまして。どうしようもないです」


「そう」


「先輩は体育祭、行きますか?」


「分からないわ。未来の事なんて」


「同感です。でも、僕はきっと行くと思います。別に責任感とかそういうもののためじゃないんですけど。でもたぶん行くと思います。・・・・これ以上はみ出し者になるのは嫌ですから」


「そう」


 先輩は活字から目を離し、僕を見た。その視線に促されるように、急かされるように、僕は次の句を紡ぐ。


「でも結果は見えてる。僕は勝てもしない競争を惨めに走るでしょう。そして走り終わった後に気まずそうなクラスメイト達の視線を感じるでしょう。それはいくら僕でも少し、辛いです」


 だから、と僕は続ける。


「体育祭、来てください。それで僕を思いっきり笑ってください。僕は道化でいいんです。そうなるしかないんです。それしか、思いつかないんです」


 継ぐ句はもうない。それを知ってか知らずか、先輩は再び視線を本の中に戻し、それから


「そう。じゃあ『頑張ってね』」


 『』の部分をわざとらしく強調して、僕にそう言った。思えばこれが、先輩に掛けてもらった言葉の中で初めてのプラスな発言かもしれなかった。生産性のある発言かもしれなかった。

 日が沈みかけている。僕はおもむろに席を立った。

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