私の左眼

間宮 透

私の左眼

私は幼稚園から小学校の途中まで、眼鏡をかけていた。高学年の頃に視力が良くなったので、それからずっと裸眼だ。


視力って治るの?とよく聞かれるが、私は視力が低下したから眼鏡をかけていたのではない。左眼に視神経低形成による先天的な弱視があり、それに対する治療用メガネをかけていたから「治った」のだ。説明が難しいので、興味があったら調べてみてほしい。


眼鏡をかけていると、当然からかいのネタになる。なかなか不本意なあだ名を授けられたりもした。

とはいえいつかは外せるとわかっていたのであまり気にしなかったし、からかったやつを追いかけて楽しんでいたくらいなので、そこは問題なかったと言える。




私が一番気にしていたのは弱視でも眼鏡でもなく、斜視だ。

小さい頃はわからなかったが、小学生くらいには写真やビデオに映る自分の左眼が右眼と違う動きをしていることに気づいた。厳密には内斜視と呼ばれるものである。眼鏡はその症状を緩和するものでもあると言われ、ますますしっかりかけておかねば、と思うようになった。


左眼が気になってきたころ。目だけでなく、顔ごと右を向くように、母が言った。確かにそれはいい、と、私は右を「見る」ことが減り、右を「向く」ようになった。しかし自分の右に人がいること、右側から写真を撮られること、写真でカメラのレンズを左から見ること(若干視線を右に送ること)は避けられず、悩みの種だった。その時はまだ身長が高く、同級生を見下ろすばかりだったけれど、数年後私は背を抜いた異性たちから斜視が気づかれぬよう必死になる。しかしこれはまた別の話。





四年生(もしかしたら三年生)のある日、私たちは校内の畑に植えた野菜たちの面倒を見に外へ出た。暑かった。桃太郎トマトとかいう大ぶりの実がなる予定のそれに水をやったり、土へ斜めに突き刺さるネームプレートを直したりしていると、担任が彼を呼んだ。


「これ、忘れ物。お家の人が届けてくれたよ」

照れたような笑みを浮かべて受け取ったのは、青っぽいメタリックで四角いフレームの頭が良さそうな眼鏡。いい子、とはほど遠く、ガキ大将という言葉がぴったりで、怒らせたらちょっとやばいようなキャラをしていた彼に眼鏡はあんまり似合わなかった。


入学してから私の眼鏡を散々からかってきた彼が、四年の時を経て同族になったことを心の中で嘲ったのが今は申し訳ない。彼が眼鏡をかけ始めたのは、ゲームが原因の弱視だったはずだ。しかし運動神経がよく、ハンドボール投げで彼に敵う生徒はいなかった。得意の野球に支障がないといいな、とだけ願った。




私にとって彼は、仲の良い男子だった。掃除をふざけて先生に怒られたり、喧嘩っ早かったりするけど、ノリが合って、話すのが楽しくて、結構大事な友達だった。確か、鼻から牛乳を実演してくれたこともある。


私は畑で眼鏡をかけた彼に、いつものように話しかけた。


「眼鏡慣れた?」

「いや。邪魔」

まあそうだろうな、と思っていた。

「かけて過ごしてれば慣れるよ。これ以上悪くならないと良いね」

うん、とかなんとか言いながらレンズ越しの景色に馴染もうとしているのを見て、眼鏡の度を変えた時の自分を思い出す。


「あのさ、私、左目普通じゃないの」

今思えばなんであそこでそのことをガキ大将に話す気になったのか不思議でならない。だが私は湿った土の上で、生い茂る野菜の隣で、彼に自分の隠し事を打ち明けた。


「右の方見ると、左目が勝手に斜め見ちゃうの。それもあるから眼鏡してるの」


定かではないけど、右に視線を送り、ほらね、と実演してみせた気がする。他の子は水やりを終えて、畑にはもうほとんど人がいなかったから。

気味悪がられるかもしれないし、いつもみたいに揶揄われて、追いかけっこになるかもしれないけど、毎日四方八方へストレートすぎる言動を放つ彼になら、そうされてもいいやと思っていた。



「逆にすごくね?」



は?と思った。


「俺、それやろうと思ってもできねぇよ」


拍子抜けしてしまうような反応に、当時の私は、そう、としか言えなかった。




その後のことはよく覚えてないけれど、その瞬間だけは今も鮮明に覚えている。

本心で言ったのか、彼なりの気遣いだったのかはわからない。斬新な考え方にも、小学四年生の精一杯のフォローにも聞こえる。どっちにしても私は嬉しかった。そして、なんだか心強かった。





結局彼とは6年間同じクラスだった。校外学習や班活動では同じグループになることが多く、なつかしい写真が残っている。やはり高学年になってからの私は裸眼だ。

未熟だったお互いにいろいろなことがあって、いろいろな時にこっそり助け合った。普段は別々に遊んでてもどちらかが仲間外れにされたら一緒に遊んだし、ちゃちなリンチまがいの計画を知ればこっそり伝えて行かせなかった。守ったり、守られたり。…彼はもうそんなことを覚えていないんじゃないかと思う。一つ後悔があるとすれば、木登りの誘いを断ってしまったこと。足の置き場も教えてくれたのに、先生の目を気にして登らなかった。いい景色だよ。来いよ。そんなことを言われたような気がする。

私の左眼は今も、その景色を見たがっている。



残念ながら住所の関係で別々の中学へと進み、たった一度テスト期間の図書館で会った以外は顔を合わせていない。もちろん連絡先もない。前髪を切りたくなかった中学の頃、あいつがいたらよかったのに、と何度も思った。

その後私はずっと行きたかった高校へ進み、夏頃になってやっと彼の進学先を知った。お互いの校舎が自転車で5分ほどの距離しか離れていないのがおもしろかった。どうせ会えないのなら、実際の距離なんて何でもないと思った。



私が部活を引退した夕方、彼の進学先のグラウンドの脇を自転車で通った。何人もの野球部員の中に1人、左投げのプレイヤーがいた。彼は筆記も食事もスポーツも左利きだった。



私の前髪は今も長い。こまめに切って、目にかかるくらいの長さを保っている。自分の右に人がいるのはちょっと嫌だし、写真は撮られたくないから撮影係を買って出る。

しかし、全てを避けることはできない。案外、斜視を他人に見られるタイミングは定期的に訪れる。

そんな時、あの日の彼の言葉を思い出すと、なんだかちょっと勇気が出て、私は顔を上げることができている。


彼は今日も、元気だろうか。








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