第7話 伯爵領が少し困った事になる話
マリウスを追放した翌月。ベルーナ伯爵領では、まず些細な事から変化が始まった。
「最近化粧品の質が落ちたのではなくって?」
侍女達に化粧を施されながら、ミレディアは不機嫌そうに告げた。
「申し訳ありません。実は例の魔術師からの献上品がなくなってしまいまして。市販のものはやはり質が劣るようです」
「ああ、そういえば、あれはそういった物を作るのが上手かったものね」
ミレディアは、最初にマリウスから送られた化粧品を、ものの試しに使ってみてその質の良さに驚いたことを思い出していた。
「でも、改めて考えてみたらあんな男が作ったものを使っていたなんて気色が悪いわね。早く他の魔術師から上質のものを入手なさい。
来月にはレオナルド様がおいでになるのに、見苦しい姿をお見せするわけにはいかないでしょう?」
そう指示したミレディアは、マリウスの事など直ぐに忘れ、レオナルドとの楽しい未来を想像していた。
そんな事があった数日後、ベルーナ伯爵は財務を担当する家臣から緊急の報告を受け、驚きの声を上げた。
「魔石の売り上げが3分の1以下になるだと!?」
「は、はい。そのような見通しです」
魔石の売却益は伯爵領の重要な収入源だ。それが3分の1以下とは領全体の財政に与える影響は甚大なものがある。
「なぜだ。何でそんな事になるのだ」
「供出される魔石の量も質も大幅に下がっておりまして、3分の1で済むかどうかも怪しい状態です」
「だから、なぜ質や量が下がる!」
「それは、その、魔術師のマリウスがいなくなったからです。
マリウスは魔術の一撃で迷宮の魔物のほとんどを討ち取り、その魔物から得られるほぼ最上の魔石を採って来ていました。そして我々はその全てを供出させていました。
他の冒険者に全て供出しろと要求するなど不可能ですし、そもそも彼らにはマリウスが採るほどの上質の魔石を採ることは出来ません」
「とは言っても、たかが1人の魔術師がいなくなっただけで3分の1以下はないだろうが」
「ですが、伯爵様。マリウスが来る前はその程度の収入でしたので、彼がいなくなって元に戻るのは道理というものかと」
「……そうか、確かにそうだったな」
ベルーナ伯爵はそのことを思い出していた。
彼は3年と数ヶ月の間にすっかり今の収入を当たり前と思うようになり、それ以前のことを意識しなくなってしまっていたのだ。
「まあ、今だけのことだ。来月からブレンテス侯爵の軍事支援を受けることが出来る。迷宮対策も行ってもらう予定だ。そうすれば今まで以上の収入が得られるはずだ。それまでは何とかやりくりしろ」
「かしこまりました……」
3分の1以下といわれて驚いたが、マリウスが居なくなったことで、一時的に魔石の供出量が減るのは予め分かっていた事だ。
ブレンテス侯爵の支援で直ぐに取り返せるようになる。何の問題もない。
この時ベルーナ伯爵は、マリウス追放の悪影響をこの程度にしか考えていなかった。
ベローナ伯爵領の南の境を守る砦。
その砦の隊長室で、伝令役の兵から緊急の報告を受けた隊長のジロンドが声を上げた。
「また、妖魔の襲撃か!?」
「は、はい。コボルドが20体くらいで攻めて来ました。城壁の上から弓矢を放ったら直ぐに退きましたが、まだ弓の射程圏外で騒いでいます」
「コボルド程度お前らで何とかなるだろう。適当な隊で出撃して蹴散らして来い」
「了解しました」
「いや、私が行こう」
ジロンドの隣に居たヴェルナがそう告げた。
「わざわざお前が出るまでもあるまい」
そう言って難色を示すジロンドにヴェルナが言葉を続ける。
「肩慣らしに丁度いい。ちょっと妖魔共の様子も調べてみたいしな」
「お前がそう言うなら、まあ構わんが」
ジロンドはそう言ってヴェルナの出撃を認めた。
それを受けヴェルナは伝令役の兵に指示を与える。
「私の隊の連中に出撃準備をするように伝えろ」
「了解しました」
そう答えて、伝令役の兵は退出した。
兵がいなくなった後、ヴェルナが改めてジロンドに話しかけた。
「このところコボルドの襲撃が多い。どこか近くにコボルドの集落が出来たんだろう」
「だろうな。あの盗人魔術師がいなくなってから駆除作業をしていなかったからな。そういうこともあるだろう。盗人も盗人なりに役に立っていたって事だな」
盗人魔術師というのはマリウスのことだ。ジロンド達はマリウスのことをそう呼んでいた。
ジロンドとヴェルナは、マリウスに自分達の手柄を掠め取られたと思っていた。
自分達でもやろうと思えばマリウスと同じくらいの功績は挙げられたと思い込んでいるからだ。
彼らは元々、魔術師という連中は大げさな事をする割りに役に立たないペテン師だと認識していた。
いくらマリウスが自分の強力な魔術を披露しても、彼らは頑なに見かけ倒しだと決め付けた。
ところが、その魔術師がたった一人でオークの集落を攻略してしまった。
その結果を受けた彼らは、マリウスの力を認めるのではなく、見掛け倒しの魔術師に出来たのだから、自分達でもやろうと思えば出来たのだ、と思い込んだ。
そして更に、マリウスは自分たちが挙げようと思えば挙げられた功績を、後から来て掻っ攫っていったと認識した。
だから、彼らにとってマリウスは盗人魔術師なのだ。
ヴェルナはジロンドに同調して告げた。
「そういうことだな。盗人魔術師がいなくなったのだから、代わりに私達で駆除するしかない。そのためにも一度戦ってコボルド共の様子を確認したい」
「……そうだな。とりあえずはコボルドの巣がどの辺にあるのか、調査隊を送って調べる必要があるな」
ジロンドもそのことを理解した。
そして、ジロンドとヴェルナはようやく自分達で妖魔狩りを行う算段をつけ始めた。
だが彼らは、妖魔との戦いの最前線の砦を守る者としては、致命的なまでに妖魔の生態に疎かった。
本質的に臆病で卑怯なコボルドが、20体やそこらで100人近い兵士が守る砦に攻め寄せて来るなどありえない。
コボルドは間違いなく何者かに強制されてそのようなことを行っているのだ。
そしてその何者かは、コボルドに自殺的な行為を決行させるほどの力を持っている。
ジロンドとヴェルナは、そのことに全く気付いていなかった。
迷宮都市トレアの迷宮管理部局。
そこではメリサが事務仕事を行っていた。
(先月から今日までで死者が3人。重傷者の数も明らかに増えている。やっぱり、どう考えても多すぎるわ)
迷宮管理部局の長への報告書を作りながら、メリサは改めてそう考えた。
元々迷宮探索は危険な行為だ。
今までも重傷を負う冒険者はいたし、死者も偶に出ている。
だが、最近はその頻度が明らかに高い。
そして、メリサにはそんな事になっている理由も分かっていた。被害の大半はスライムによるものだったからだ。
スライムを積極的に退治していたマリウスがいなくなったせいで間違いない。
(伯爵様はあの男を追放なんてしないで、上手く使うべきだったのよ)
メリサはそう思った。
彼女はマリウスの実力をある程度認めていたのだ。
メリサは元々、王都の賢者の学院で学ぶ事を志していた。
しかし、王国内でも最も田舎といえるベルーナ伯爵領に住んでいることは、彼女にとって不利に作用した。
良い学問の師を得るのも難しいし、書籍や資料をみるのも困難だ。単純に王都まで行くだけでもお金と時間がかかる。
そしてメリサには、それらの不利を覆すほどの能力はなかった。
メリサがマリウスにきつく当たったのは、賢者の学院で優れた功績を挙げていたという彼への妬みという理由もあった。
だが、彼が学院出と言うだけの能力があることも知っていた。
それは、かつてこの街の冒険者だけでは倒すのに相当苦労していたフュージ・スライムを、マリウスがたった一人で、それもほとんど即座に退治していたことでも証明されている。
それほどの能力を持つマリウスを追放するなんてもったいない。上手く使うべきだった。というのがメリサの意見だった。
(実際、そのうちフュージ・スライムが発生するのだから頭が痛いわ)
メリサはそのことに頭を悩ませていた。そしてフュージ・スライムを倒す作戦を検討していた。
今作っている報告書も部局の長に彼女の考えた作戦を認めさせる為のものだ。
ただメリサは、その自分の考えた作戦に自信を持ってもいた。
(あの男がやるほど効率は良くないかも知れない。でも、私だって組織や冒険者達を上手く使えば、同じほどの結果を出せる。私だってあの男と比べて劣っているわけじゃあない)
その考えは彼女の自尊心を満足させるものだった。
事実、彼女の作戦は奇をてらうことなく堅実で、成功する可能性も相当に高いものだと言えた。
だがそれは、あくまでも戦う相手がフュージ・スライムだった場合の話に過ぎない。
メリサは、自分が致命的な間違いを犯していることに全く気付いていなかった。
そしてその間違いに気付かないうちに、メリサの下に「フュージ・スライム」出現の報がもたらされた。
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