迷宮攻略と領土防衛と特産品作りを一手に担っていた魔術師を追放した伯爵家の話

ギルマン

第1話 魔術師が迷宮で魔物を討伐する話

 アースマニス大陸の西方地域南部に領土を持つラベルナ王国。その王国内でも最南端に位置する場所にベルーナ伯爵という貴族の領地がある。

 そのベルーナ伯爵領に含まれる迷宮都市トレアの迷宮管理部局で、魔術師のマリウスは担当の女性官吏に叱責されていた。

「遅いですよ、マリウスさん。呼ばれたら直ぐに来るように言っておいたでしょう。どこで油を売っていたんですか」


「すみません。出来るだけ急いだんですが、領都でも仕事中だったので急に投げだす訳にも行かず……」

 マリウスはそう答えた。

 彼は現在25歳。標準的な身長の人間の男性だ。

 いかにも真面目そうだが他に特筆する事のない容貌で、栗色の髪を短く切りそろえていた。

 ソフトレザーアーマーを身に着けたその体格も標準的だ。だが、良く見れば魔術師としては鍛えられた体つきをしている。

 だだ、全体的にくたびれた雰囲気で、顔色もよくなかった。


 マリウスの言葉は全くの事実だ。

 迷宮管理部局の使いから、直ぐにトレアに行くように指示されたのは本日の早朝だったが、その時既に、マリウスは領都ベルーナの醸造所で魔術を用いて醸造作業を手伝っていた。


 そこで作られる酒は、今やベルーナ領の大事な特産品になっており、この作業も疎かにはできない。

 マリウスは作業に支障が出ないように最低限の工程まで進める必要があった。

 そして、迷宮管理部局の使いからは「ぐずぐずするな」と怒鳴られ、醸造所の者達からは「無責任だ」と詰られながらその場を離れ、自ら馬を飛ばし数時間かけてこの場所に駆けつけて来たのだ。

 その間彼は全く休んでおらず、既に相当の疲労が溜まっていた。


「言い訳は止めなさい」

 だが担当官吏はにべもなかった。


 その担当官吏はメリサという名で、年の頃は20歳くらい。眼鏡が良く似合う知的な雰囲気の美女だった。

 黒髪を耳が隠れる程度の長さでそろえ、神官服に似た雰囲気の制服に身を包んでいる。

 その姿はとても魅力的で、この街の迷宮にもぐる冒険者の中には、彼女を信奉するような態度をとる者すらいた。

 だが、その彼女は、今は明らかにマリウスを見下した態度を示している。


 メリサは続けてマリウスに指示を与えた。

「使いの者からも聞いたと思いますが、またフュージ・スライムが発生しました。直ぐに駆除してください」

「分かりました」

 マリウスはそう答えると、魔術の行使に欠かせない発動体でもある愛用の杖を手に、迷宮の入り口へと向かった。




 古代の魔術師達が作り上げ、今も各地に相当数残っている“迷宮”は、現代においてとても重要な施設となっている。

 迷宮では、魔石と呼ばれるマナを宿した結晶石が得られるからだ。


 魔法を行使する際、術師は己自身の身に宿るマナを消費する代わりに、魔石に宿ったマナを使う事が出来る。

 また、魔石は多くの魔術器具の動力源にも使用されており、社会の維持に欠かせない。


 そして、迷宮ではスライムやガスト、ゴーレムなどの魔物が自然発生するのだが、それらの魔物の多くはその身に魔石を宿しており、倒せばその魔石を獲得できる。

 迷宮以外に存在する魔物の中にも魔石を身に宿すものは存在するが、そんな魔物を探し歩くよりも迷宮の魔物を倒す方が遥かに効率が良い。

 更に、迷宮内には“宝箱”が設置されており、その中にも自然に魔石などが発生する事がある。

 つまり迷宮は、魔石を産出する鉱山のような存在なのだ。


 必然的にそれなりの規模の迷宮には、魔石を得ようとする冒険者などが集まる。更にその冒険者を当て込んだ商人なども集まり、都市を形成することもある。

 そうやって成立した都市が迷宮都市と呼ばれる存在だ。


 トレアの街もそうやって出来た迷宮都市の一つで、迷宮の入り口を囲むように市街が広がっていた。

 当然トレアの街の迷宮は魔石鉱山として活用されており、領主であるベルーナ伯爵によって管理され、伯爵領の重要な収入源となっていた。

 だが、その迷宮には一つ問題があった。フュージ・スライムという強力な魔物が時折出現するのだ。


 フュージ・スライムは、巨大なスライムで迷宮の深部に行くために必ず通らなければならない大部屋に出現する。

 質の良い魔石を身に宿す魔物は深部にしかいないし、宝箱も深部にしか設置されていない。その為、その部屋にフュージ・スライムに居座られてしまうと、魔石の採集に支障が生じる。

 そして、そのフュージ・スライムを倒すのはマリウスの役目とされていた。




 マリウスは、時折姿を現す魔物を魔術の一撃で倒しつつフュージ・スライムの部屋にたどり着いた。そして、そこに居た魔物を見て深く嘆息した。

(やっぱり、またこいつか……)

 それは直径7m高さ2mほどの巨大なゼリー状の魔物だった。

 全体に黄色がかった半透明の物質で出来ており、ゆっくりと蠢動している。知性を感じさせる要素は何もない。


 その見た目は、確かに巨大なスライムだ。だが、その魔物はフュージ・スライムではなかった。

 ―――スライム・インペラトール

 それはスライムの中でも最強といわれる種だ。


(最初は確かにフュージ・スライムだったけど、出現する端から倒しているうちにだんだん強いスライムが出現するようになって行ったんだよな。

 そして、ここ1年間くらい出現するのはずっとインペラトールだ。メリサさんたちは全く信じてくれないけど……)

 マリウスは暗澹たる気持ちでそんな事を思い起こした。


 と、スライム・インペラトールがマリウスの方に向かって動き出した。生物の気配を感じ取ったのだろう。

 マリウスはすかさず呪文を唱えた。

 そして、その複雑で長大な呪文の詠唱を、一切のよどみなくすばやく終わらせる。

 すると部屋の温度が急激に下がり、スライム・インペラトールの動きが止まった。

 良く見ると、その体の床に接する部分が凍り付いている。


 それは、足元を凍りつかせて対象の動きを止め、且つ継続的に冷気によるダメージを与える“凍土の獄”という非常に高度な魔術だった。

 その継続時間は通常なら数十秒というところだが、マリウスはマナを余分に消費して継続時間を引き延ばしていた。


 これで、普通なら勝負はついてしまっている。

 スライム・インペラトールは上級の冒険者パーティでも苦戦を免れない強大な魔物だ。特にその生命力の強さは桁違いで容易に倒しきれるものではない。

 しかし、その攻撃手段は体当たりしてそのまま押しつぶすか、体内に取り込み消化してしまうかのどちらかしかない。

 “凍土の獄”で動きを止めて継続ダメージを与えていればいずれは倒せる。


 だがそれは、スライム・インペラトール単体だけが相手ならばの話だ。

 スライム・インペラトールがその体を小刻みに震わせた。人には感じられない振動を周囲に発しているのである。そして、それを感じとった迷宮中のスライムが、この部屋に向かって動き始める。

 広範囲のスライムを自在に操る。この能力があるからこそ、この魔物は 絶対指揮官インペラトール と呼ばれるのだ。

 マリウスは覚悟を決めて、続けざまに魔術を使う準備を始めた。




 しばらくして、マリウスは全てのスライムを倒すことに成功した。

 だが、楽な戦いではなかった。

 朝から醸造所でも魔術を行使していたマリウスのマナは既に相当消耗しており、禁断の魔道具を用いて生命力をマナに変換して魔術を使わざるを得なかった。

 マリウスは生命力を消耗したせいで全身を襲う、鈍痛と倦怠感に耐えかねて座りこんでしまっていた。

(日頃からスライムを狩っていたおかげでどうにか勝てた……)

 そしてそう考えていた。


 通常のスライムを狩る事もマリウスに割りあてられていた。

 通常のスライムは魔石を落とさない事もあり、魔石狙いの冒険者は積極的に狩ろうとしない。だが、放っておくと人ひとりを飲み込むほどに成長し、相応に危険な存在となってしまう。

 そうならないうちに狩る事もマリウスの仕事とされていたのだ。


 マリウスはスライム・インペラトールが出現するようになると、一層積極的にスライムを狩るようにしていた。操るスライムの数が多くなれば、その分スライム・インペラトールの脅威が大きくなってしまうからだ。

 その行為が功を奏して、今回もスライム・インペラトールとスライムの群れを倒す事ができた。


 やがて呼吸を整えたマリウスは緩慢な動きで立ち上がり、周りに散らばる魔石を集め始める。

 スライム・インペラトールからは流石にかなり上質の魔石が採れたが、通常のスライムから取れた魔石はまばらだった。




 迷宮管理部局の建物に戻ってきたマリウスに、メリサがまた厳しい言葉を浴びせた。

「魔石を全て提出なさい。すぐに」


 この迷宮では、一般の冒険者は得られた魔石の1割を迷宮管理部局に供出することとされていた。そして、魔石以外の獲得物は基本的に冒険者のものに出来る。

 そのくらいの供出率でなければ、こんな片田舎の迷宮にまで多くの冒険者はやってこない。

 だが、マリウスは全てを供出するように求められていた。


 マリウスはその言葉に逆らうつもりはなかったが、やはりもう一度忠告する事にした。

「この魔石を良く調べてください。フュージ・スライムから採れるものではないと分かるはずです。

 前も言った通り、迷宮ではスライム・インペラトールという、とても危険な魔物が発生するようになっています」

「あなたの世迷言に付き合う暇はありません」

 だが、メリサはそう言い放った。


 そしてメリサがマリウスの後ろに立つ冒険者に目配せをすると、その冒険者がマリウスを突き飛ばした。

 疲労困憊のマリウスは避けることが出来ず、倒れた拍子に提出しようとしていた魔石を床にばら撒いてしまう。


「ぐずぐずしてんじゃねぇ! のろま!」

 その冒険者はマリウスを罵る。


「さっさと集めなさい」

 メリサもそう続けた。


 マリウスは黙って魔石を拾い集めて、それを提出した。

 メリサは更にマリウスに指示を与える。

「今月の魔石供出量にはまだ全然足りていませんよ。

 時間が出来たら直ぐに迷宮に篭りなさい。

 分かっていると思いますが、他の冒険者の皆さんの邪魔にならないように、スライムや屑魔石を落とす魔物だけを狙うんですよ。

 間違っても宝箱には手を出さないように」

「頼むぞ、屑処理係」

 近くに居た冒険者がそう声をかけ、周りの冒険者たちは一斉に笑い声を上げた。


 冒険者達にはマリウスに対する敬意は全く見られない。

 マリウスの行動によって、多いに助けられているにもかかわらず、である。


 マリウスがこのベルーナ伯爵領にやってくる前まで、フュージ・スライムが発生するたびに冒険者達はその対応に苦慮し、時には数ヶ月も討伐できないことすらあった。

 ところが、マリウスは発生したその日の内に確実に倒してしまう。これによって冒険者達はそれ以前に比べ、遥かに効率的に迷宮で魔石を求める事ができるようになっていた。


 また、このことはマリウスが他の冒険者達より遥かに強いということも明白に証明している。

 にもかかわらず、冒険者達はマリウスを侮辱する言動をとっていた。

 冒険者に限らず、一般民衆も皆マリウスを蔑んでいた。

 ベルーナ伯爵領では、マリウスの事はどんなに蔑んでもいいという風潮が出来上がっていたのだ。


 マリウスは冒険者達の笑い声を背に建物を出て、領都への帰途についた。

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