第3話

 駅の周りはロータリーになっていて、正面にはちょっとした商店や食堂があった。他にあるのは、損保、生保、塾の看板と郵便局だ。この組み合わせは、どんな田舎でもあるのだろう。まだ人目がある場所だ。ここが人間界最後の場所。いわば門前町で、これから俺は異世界に連れ去られようとしている。貧困という負い目から俺は悪魔に魂を売ってしまったようだった。もう、という心境だった。


 俺なんて棺桶に足を突っ込んでいる状態だ。引き取り手のない歩く遺体。人間いつだって死と隣り合わせじゃないか?遺体なんて怖いものか。明日は自分が冷たくなって、白いシーツの上で横たわっているかもしれないんだから。最後は警察か行政がどうにかしてくれるだろう。何て意味のない人生だったんだろうと、俺は絶望的になる。


 俺が車の中で考えていたのは仕事の段取りよりも、自分の人生についてだった。俺に待っているのはどんどんと転落して行くだけの坂道だ。


 俺の人生のピークは大学時代だった。あの頃は大学名でもてた。かわいい他大の女子たちがちやほやしてくれた。もちろん、俺目当てではない。俺という平凡な学生を踏み台にして、もっとイケメンで条件のいい男子とつながるためだ。俺にも当時は短大生のかわいい彼女がいた。同い年だったけど、あっちが大企業に就職して別れた。俺の就職先が彼女の希望と違ったからだ。転勤が嫌だったらしい。


 俺の就職先も一応は大企業だったし、毎週のように合コンをやっていた。馬鹿みたいだけど、チャラチャラした生活をしていた。


 俺の趣味は学生時代からずっとカメラで、大学でもカメラの同好会に所属していた。友人も写真が好きな人たちだから、今も細い付き合いがある。みんな大企業の管理職か難関試験に合格した後専門職になっている。俺だけ趣味の道に進んだ。みんな写真が好きだったのに、ずるいじゃないか?お前たちの写真に対する思いはそんな中途半端なものだったのか?俺は腹立たしく思う。


 その友人たちが俺に写真の仕事をわざわざ回してくれる。家族写真、七五三、会社のパンフレットの写真とかだ。それが年に一回くらいあるのだが、本当に辛い。交友関係を切りたいのだが、生活のためにはできないから、俺はカツカツだけど職業写真家として生計を立てているふりをする。実際はほとんどの時間をビラ配りや、メール便の配達、コンビニのバイトで過ごしているのに。


 俺は営業が下手だから仕事がない。若い頃は有名大学出身のイケメン写真家として、カルチャースクールで講師をしたり、女性からの依頼があったけど、今はなくなった。似たような人が多すぎて、俺は競争に負けてしまったのだ。若い人の方がセンスのある写真が撮れるし話しやすいという理由もあるだろう。俺みたいなじじが来ても、客も恐縮するだけだ。俺はホームレスみたいな気分だった。拠り所が何もない感じだ。


 普通のホームレスの人は周囲とのつながりがあるんだろうけど、俺には何もない。ただ、ひたすら落ちて行くだけだった。


***


 霊柩車で俺が連れて行かれたのは、平屋の小さな病院だった。こんなところで亡くなったのかと、ちょっとびっくりする。俺は田舎の出身だけど、それでも総合病院はあった。病院って言うのは、正確に言うと20床の規模の所になるから、それ以下は診療所と呼ばれる。今時の言い方をすればクリニックだろうけど、そこはいかにも古い診療所という感じだった。

 

 正面に門があって、自宅と診療所が一つの敷地にあった。ここ以外に病院はないだろうから、標榜している診療科も内科・小児科・外科・整形外科・皮膚科・精神科といくつも書かれていた。確か厚労省のルール改正で一人でいろいろな科を標榜することができなくなったと思うから、古い看板のままだったのだろう。もしくは、田舎なら許されるんだろうか。


 ところどころペンキが剥げていて、病院の建物もかなり古かった。きっと、高齢の医師が昔から診察をしているのだろう。こんな病院に担ぎ込まれたら、治る病気も治らないという気がした。生きて帰って来れない病院の見本みたいな感じだ。


 俺に仕事を回してきた葬儀会社は、東京の◎◎区にあった。なぜこんな辺鄙な場所に住む人と接点があったんだろうか。人の紹介などだろうか。フリーランスだと思いがけない繋がりがあるのはわかるが、やはり不可解ではあった。

 車の中は終始無言だったから、俺は何も尋ねることができなかった。俺がぼーっとしていると、運転席の方からいきなり声がした。


「じゃあ、今から撮り始めてくれる?」偉そうな態度で俺はむっとした。

「車の中からですか?」

「細かいことはいいからさ…。後で見て、明らかに要らない所だけ編集して納品してくれればいいから」

「はあ。でも、動画撮ってさらに写真ともなると…なかなか、割り振りが難しいんですが…どうしたらいいですか」

「じゃあ、動画中心で行って。でも、しくじったら、報酬払えないかもしれないから気をつけろよ。取り直しきかねえからな」


 ああ、そういうことか。俺はショックを受けていた。もしかしたら、報酬ゼロかもしれないのだ。社会通念上、そんなことが許されるわけはないのだが、零細企業相手に訴訟を起こしたところで、金を払って貰えるかどうかはわからない。事前に契約書を交わしてはいたが、そんなものはただの落書きと大差ない。資力のない人相手に勝訴しても、結局、何も貰えないのだ。


 断りたいが、こんな田舎に放り出されても、帰るすべがなかった。最悪の場合、暴力を振るわれかねないような雰囲気でもあった。これが、大卒とよくわからない経歴の人たちの差だと思う。辻褄の合わないことは恫喝と暴力でねじ伏せるのだ。俺はフリーになってそういう人と初めて会った。


 


 

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