第2話

 有名な写真ってのは限りなくたくさんあるのだが、俺は昔の写真が好きだった。写真集は何冊も持っていたけど、その中でも割と好きだったのは「死後写真」だ。知っている人も多いかもしれないが、「死後写真」というのは、亡くなったばかりの人を写真に残すという習慣だ。特にビクトリア時代のイギリスで流行したようだ。写真館のようなところで、わざと椅子に座らせ、目を開かせて、生きているかのうような格好で写真館で撮ったようなものも多いが、自宅で寝ている状態で撮られたものも存在する。遺体を何人も並べて撮ったものも見たことがある。伝染病が流行っていたのだろうか。


 当時は写真が貴重だったから、最後の記念品として大切にされたと言われている。その理由を聞くとしっくり行く。


 最近、「死後写真」という映画が公開されたように、何度か映画になっている興味深いテーマなのだ。現代社会の価値観からすると異常な風習は、我々の興味を掻き立てて止まない。愛する人の遺体でもいいから見ていたい。魂のないその人の最後の姿だ。


 イタリアなんかでも、遺体にエンバーミングを施し、ミイラにして葬られたケースもある。


 日本人は亡くなった人の写真を撮ったりはしないと思うし、遺体をミイラにして保存し、会いに行ったりなどという習慣は聞いたことがない。


 こういうのに近い行為として俺が見たことがあるのは、位牌をダイヤモンドにしたり、ペンダントトップに入れて身に着けるくらいだ。それでも、滅多にいないらしい。

 

 俺は葬式の写真を頼まれることがあり、その時は遺族の希望があれば遺体と一緒に記念写真を撮ることもある。こういうのは家族葬に多い。または、親族以外の参列者がいない時にすかさず撮ってしまうかだ。


 日本では一般的に亡くなった人の姿を写真に撮ることを不謹慎だと思う人が多いようだ。俺は仕事で遺体に慣れてしまったから何とも思わなくなっていた。それどころか、むしろTwitterで『死後写真屋さん』として宣伝もしていた。葬儀会社に営業にも出向いた。中には俺のことを気に入ってくれたり、キックバックを当てにして仕事を振ってくれる会社もあった。


 それでも、写真屋としての稼働は毎日ではないから、何もない日は糞みたいなやっつけ仕事をしたり、夜間はコンビニのバイトをして食いつないでいた。


 俺がやっている「死後写真」の撮影は別に悪いことではない。それなのに、なぜか後ろめたい気がしていた。最近は、好きなことを仕事にしてしまったことを、心底後悔していた。高校や大学の同窓生は管理職や公務員になって、そろそろ定年が見えている。やめる時には二千万から三千万の退職金があるのに、俺は貯金すらあまりない状態なのだ。築二十年のマンションは自己所有だが、建て替えの時の費用を出せそうにないから、俺は出て行かなくてはいけないと思う。その後はどうすればいいのか…公営住宅に住んで、身寄りもなく、生活保護か。多分、100%そうなる。


 ある時、葬儀会社を通じて動画と写真撮影を頼まれた。ここ数年、滅多にないような高額オファーだった。金額は7日間の拘束で100万円だった。俺はすぐに飛びついた。場所は自宅からそう遠くない関東近郊の田舎で、JRの駅から先は葬儀会社の人が送迎をしてくれるということだった。無論自宅からは通えないから、宿泊を伴うものだった。


 しかし、気になることがあった。その内容というのは、病院から納骨までのすべての場面を動画と写真で残して欲しいというものだった。こんなことを頼む人は聞いたことがない。依頼客っていうのは、頭がおかしい人なんだろうと足がすくんだ。しかも、俺に依頼をくれた葬儀会社とは、それが初仕事だったのだ。俺以外、他に引き受けてくれる人がいなかったに違いない。俺がと答えると、あちらは「ああ!よかった!」と安堵している様子が感じられた。


 俺は最近、特に生活が苦しく、自宅マンションですら売ろうか迷っているくらいだった。もう、犯罪以外は何でもやる気でいた。


 ***


 俺はその日、着慣れた喪服を着て出かけた。一週間の着替えをトランクに詰め、背中のリュックにはカメラが入っているから、なかなかのボリュームになってしまった。それにしても、こんなに楽しくない旅行は初めてだった。これなら、フリースクールの修学旅行に同行した時の方がよほどましだった。


 俺は取り敢えず指定された駅に向かうことにした。都心から離れるにつれて、人家がまばらになり、森が深くなって行った。地方の人は、東京はどこでも都会だと思うだろうけど、2時間くらい電車に乗ったら周囲は森だ。日本は山国だから、平地のちょっと先はもう森だ。都会に住んでいるということは、在来線で都会にアクセスできるというだけなのだ。普段、アスファルトの道路とビルに囲まれた暮らしから、いきなり大自然の中に放り込まれて、俺は次第に不安になって来た。空き時間には本でも読みたいところだが、そんな気も起きず、ただ不安だけが高まって行った。


 これから何が待っているのか。

 俺には想像もつかなかった。


 行けども、行けども、森が続き、その深い緑の色彩が俺の脳内に焼き付いた。

 最近はこの辺りもクマが出てるかもしれないなと感じたし、とてもじゃないが、楽しいハイキングにはならないし、キャンプでもきついだろう。


 それにしても、依頼者はどうしてこんな田舎に住んでいるんだろうか。林業でもやっているのか。田舎からやって来たお上りさんの一人である俺には、不思議で仕方がない。田舎に固執する理由って何だろうか。俺は田舎が大嫌いだった。


 ***


 約束の場所は、◎◎線の◎◎駅。詳しい住所はここには書けない。◎◎県というだけでもNGだ。あの場所のことはもう思い出したくもないし、この文章もそのうち非公開にするかもしれない。


 俺が電車を降りて駅の入り口で待っていると、すぐに白い大型のバンがやって来た。俺はぎょっとした。俺はてっきり業務用のバンで来ると思ったのだが、それは複数人が乗れる霊きゅう車だったのだ。最近の霊きゅう車は多様になっていて、リムジンのような高級車、昔からある仏壇のような宮型、バン型があり、田舎ではさらに大人数が乗れるバスのようなタイプまである。


 確かに、葬儀会社の人たちも何度も往復できる距離ではなかった。俺は諦めて、運転席の人に声を掛けた。


 車に乗っていたのは、明らかに柄の悪い男たちだった。一応喪服を着ているが怪しい人たちだ。葬儀会社で働いている人たちは、今まで何をやっていた人なのかイマイチよくわからない面子ばかりだ。特に小さい会社はそう感じる。転職率が高く、ブラックの所が多いらしい。


 しかし、俺は取引先だと思って愛想よくしていた。何といっても100万円もらうためなのだ。


 「どうも、こんにちは。江田です。よろしくお願いします」


 俺は頭を下げた。車の運転席と助手席に座っている人たちは、俺より明らかに若い。三十代くらいだろうか。こういう人たちに頭を下げるのはなかなか厳しいものがあるが、俺がそういう人生を選んだんだから仕方がない。二人ともまったく愛想がなかい。


 俺の声掛けに対して、助手席の男はにこりともせず、後ろの席を指さして「そこ乗っといて」とだけ言った。


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