第16話 モンスターペアレント

石橋夫妻は突然、学校からの電話で娘の状態を知らされた。今朝、元気に家を出かけて行った娘が十二時間後には集中治療室に運ばれているなんて信じられない、気が狂ってしまう。あれほど楽しみにしていたウインタースクールなのになぜメアリがこんな事に。メアリは体に不安の一つだって持っていない健康そのものなのに。誰かと間違えているのではないかと、そうも願いたくもなる。

運転しているメアリの父親も口数少なく一分でも早く着き、娘に会いたいと感情的にならない様運転に集中している。



「この度は、この様な事になり申し訳ありません」教頭、みこと、羽田、東海林の四人の深々としたお辞儀で石橋夫妻を迎えた。


「どういうことなんですか、娘に何かあったらどう責任とってくれるのよ。クビだけじゃ済まないわよ」


「申し訳ありません」再び頭を下げる四人。


「うちのメアリが何をしたっていうのよ。これだけの大勢の大人がいて安全に旅行もできないなんて教師失格。今すぐ教師辞めなさい」しだいに語尾が強くなってくる。


「早くメアリに会わせて、メアリはどこなの」母の悲痛な叫びに誰も答える事ができない。


古町教頭が口を開く。

「メアリさんは入浴中に体調を崩して倒れました。風呂場担当の羽田がすぐに駆けつけ担任の美谷野と共に救急車で搬送、病院へ参りました。しかし呼吸困難となり意識不明と医師からの説明がありました」


「うっううっ…そんなのいや」両親とも言葉が出ないほどに落胆しメアリの母は涙を流し顔を抑えこんでしまった。悲しみの嗚咽だけが聞こえ、時間が止まった様だ。悲劇のヒロインになってしまった我が子をどうやっても救い出せない苦痛に俯く。待てども集中治療室の扉は開かない。どんな親でも我が子が生死の間を彷徨っていると知ったら、怒り、喚き、途方に暮れ、絶望感で苛まれてしまう。


「あの子には、無限の未来があるんです。これから恋をして青春を楽しんでお洋服や音楽に包まれて好きな事に没頭したり、進学して新しいお友達ができたり、お仕事して結婚して家庭を作って。まだまだ、人生で色々な事を経験して成長を見たいのに。こんな所で独りぼっちで。もっと良い病院に運ばなきゃ、手遅れになったらただじゃおかない、うっ訴えてやる!」


両目に大粒の涙を流しながら、脅すとも悩ましいとも取れる夫人の目つきの先にいたのは担任のみことだ。


「申し訳ございません」それ以外の言葉が見つからず体を折り畳むように頭を下げ続けた。


今年メアリの担任を持ってからというもの石橋夫人に何度も頭を下げている。子供同士の喧嘩でメアリが叩かれた時、メアリが給食をこぼし服を汚した時も学校に乗り込んで逆上していた。宿題や漢字練習帳の指摘にも必ず指摘返しの電話がくる。採点ミスは特に気をつけた。自分の監督不行とどきなのかと何度も悩んだ。教師としての資質を咎められ人間性もこ扱き下ろされ、ハズレクラスだったと言われプライドもズタズタになった。私には教師は務まらないのかもしれないと何度も投げ出したくなる。同僚からの慰めとフォローがなかったらとっくに辞めていたはずだ。羽田先生も東海林先生も毎回親身になってそばに居てくれてる。今もまた、一緒に頭を下げてくれている。


「もう一つお話することがございます」と教頭が切り出す。


「これから医師の診断をお聞きになると思いますが、先程医師の方から中毒症状で呼吸困難に陥っているとの話があり、私どもは倒れた時の状況からアメニティの中に原因があるかもしれないと考えています」


「中毒症状!?」思いもよらぬ話に言葉をなくす。扉が開き白衣の年配男性が話しかけてきた。


「こんばんは、医師の飯山田です。メアリさんは急性中毒の治療中です。活性炭の投与で薬剤の吸着を図りましたが先程警察からの連絡を受け顔の粘膜からの吸収も考えられるとの話だったので更に生理食塩水で洗浄を行いました。ICUにいますのでこちらにどうぞ」両親は医師と共にICUへ入る。


短い面会時間が終わり夫妻がでてくる。落胆した様子で互いに寄り添ってこちらに向かい歩いてくる。再び四人で深々と体を折り畳み一礼する。


「メアリさんの具合はいかがですか?」


「…。」どちらも口を開きそうな様子はなく目も合わせてもらえない。


「明日、旅館に再び刑事さんが来るそうです。近くにホテルを手配しましたので本日はそちらでお休みになって下さい」教頭の事務的な会話を聞き二人は再び歩きだす。病院に居ても何の役にも立たないし、側に居られる訳でもないと頭ではわかっているが足取りは重い。夫人を支える様に裏口へ向かう。みことは意を決して声をかける。


「メアリさんに持たせていたアメニティグッズの色や商品名が分かれば教えて頂けますか?」


「…薄いピンク色のピーチというシャンプーとリンスです。ボディソープも同じピーチの物で色は白です」質問に答えてもらいホッとする気持ちは悲観する思いで一瞬に塗り替えられた。夫妻をタクシーで送り出し四人もバンに乗り、長い一日を終えようと旅館に帰る。しばらくは誰一人も口を開くものはいなかったが、教頭が切り出した。



「今日はお疲れ様でした。こんな事になって心も体もクタクタだね。美谷野先生大丈夫?一生懸命になるのもわかるけど周りを頼っていいからね」


「はい、申し訳ありません」


「美谷野先生のクラスの生徒だったのは、運命でも宿命でもなくただの偶然」


「はい」


「シャンプーが判明したから捜索し易くなるのは一歩前進かな」


それ以降は誰も会話は無くバンのエンジン音のBGMでそれぞれ思いを巡らせていた。

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