第4話 東雲 里見

言葉にはできないけれど伝えたい思いがあるんだ。夜がくるたびに考えてしまう。真夜中の僕は昼とは違って自信に溢れて貴方の扉を躊躇なく叩くことができる。僕には何もないけれど一つわかったことがあるんだ。月のように大きな存在の貴方には届かないかもしれないけれど呆れられてもいいから小さな僕のことを見ていてほしいんだ。夢見てた明日を仕舞い込んで月を眺める。塞ぐ気持ちを星に乗せて届けよう。星に乗らないならビートに乗せよう。いやビートより、習いたてのアルペジオで。


両親の離婚をきっかけに転校することになった。野球チームを辞めなくてはいけない事が離婚よりも転校よりも辛かった。新しい学校では野球よりサッカーが流行っていて母に勧められて体験教室へ行ったが僕に声をかけてくれる人は誰もいなかった。母は僕に打ち込むものがあれば友達もできるからとしきりにサッカーを勧めてきたが楽しいとは思えなかった。ある時テレビを見ていたらたった一人でギターを演奏しながら歌う男の人がいた。とてもきれいな歌声だった。広いステージにたった一人なのに堂々としていて迫力がある。その大きな体からは想像できないような女性のような高い声で悲しくもあり優しい声が好きになった。駅前にギター教室の張り紙を見つけて母に習いたいと言ったらすんなりと受け入れてくれて中古のギターを買ってもらえた。名前も知らないあの歌手のように僕も歌いたい。


 友達ができないまま家でも学校でも一人だった。ある時学校で鼻歌を歌っていたら気持ち悪いと言われクラスの男子に引っ張られて音楽室に閉じ込められた。外では女子が笑っている声が聞こえる。しかし一人っきりで音楽室にいるのは思ったより悪くなかった。誰の顔も見なくて済むところが教室より何十倍も好きだった。白髪の縦巻きカール頭のの知らない外国人やボサボサ頭の外国人が笑いかけてくるのも嫌いじゃない。何度も閉じこめられたが嫌がらないし怖がらない態度がイラつかせたのか、今度は物がなくなるようになった。上履きが見つからなかったり体操着が消えたり教科書が汚されたりした。ある時机がギザギザに傷つけられている事を先生に発見されて、またしても音楽室にくるように言われた。僕がやったわけではない事や今まで起きた事を話すと先生はなぜか僕に謝った。気付かなくてごめんなさいと言った先生の目には涙が溜まって溢れそうだった。淡々話す僕の話はそんなにも悲しい事だったのかと不思議だった。ずっと一人でいることが悲しい事なのか、物がなくなる事が悲しい事なのかよくわからなかった。殴られたり、蹴られたりしていないし無傷で元気だと説明したが心が傷つけられていて先生には僕の傷が見えるらしい。僕は泣かなかったがその代わり先生が泣いてくれた。久しぶりに喋ったせいかこの日はすこし疲れた。音楽室はやはり好きだ。


 次の日にギザギザの机はなくなり新しい机が用意されていた。さらに道徳の時間が二時間もあり思いやりについての作文を書くことになった。それ以来僕は音楽室に閉じ込められることも物が無くなることもなくなった。帰りに先生と毎日音楽室で話しす事が日課になり、テレビで見た歌手の話やギターの練習をしている事を

話した。見えない傷は治らずとも、ずっとずっと奥の方へと仕舞い込まれつつあるのではないかと思った。そんな時に、先生が腕に包帯を巻いていた。何があったか教えてくれなかったが帰宅途中に子供の自転車とすれ違いざまにカッターらしき刃物で切られたという話を女子が話題にしていて望月がカッターを持って公園で遊んでいるという話もでてきた。僕を音楽室に閉じこめ物を盗んでいたのも望月だった。今度はターゲットを僕から先生に替えていたのだった。僕の傷を癒してくれた先生が逆に傷つけられてしまった。たくさん話を聞いてくれて痛みにも気づいてくれた先生を傷つけられてとても腹が立った。涙はでなかったが僕の中で明確に怒りのバロメーターが振り切った事を感じた。


 望月の口から事実を聞き出すことに時間を費やすことにした僕は、休み時間も放課後も望月に近づいて過ごし一カ月もすると毎日一緒にいる友達のような距離になった。僕に気を許すまでは事件の事は一切聞かないと決めていた。しかしその時は突然訪れた。


「俺、美谷野のことムカついてさあ、嫌がらせしようと思ってすれ違うときにカッターを近づけたことがあってさ、そしたら、思ったより近くて切った」


徹底的な瞬間だと思った。望月の自白。一文字一句忘れず漏らさずに聞きとった。やはりあの時の怪我は復讐だった。


「あーだから包帯ねー」


なんとも言えぬ達成感で全身を血液が巡り熱を帯びるのを感じ拳には力が入り震える。復習には復習を。

薄赤い夕日暗澹たる雲行きは望月の前途を指し示している。

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