第42話 利潤率の傾向的低下と価値からの人間疎外

 利潤率とは資本に対して、そのもたらす剰余価値(前述の⊿G)の比率である。


 下品な言い方をするならば、目標とする剰余価値を生み出すために剰余価値の何倍の資本が必要になるのかという倍率の逆数である。


 傾向的低下の話をする前に、まずは定義それ自体を変形させて眺めてみよう。


剰余価値=資本✕利潤率

利潤率=剰余価値÷資本

資本=剰余価値÷利潤率


 おわかりのように、オームの法則における電流、抵抗、電圧の関係と同じ。


 ここで生産における資本投下を固定資本と流動資本に分ける。別に他の分け方をしても良いが、固定と流動に分けるというのは昔からそうするものだという一種のお約束でありなんでそのようにするのかはよくわからないが、そこの切口を変えることで、剰余価値と投資との関係を多角的に見ることができるので是非マスターしておきたい。


資本投下を固定と流動に分けると、利潤率は


利潤率=剰余価値÷(固定資本+流動資本)


と表記出来る。ここまではなんの抵抗もないだろう。そう呼ぶという定義の一部を分割したものの合計で置き換えただけだ。


ここで固定資本と流動資本をもとに資本家になったつもりで式を眺めてみよう。


剰余価値=利潤率✕(固定資本+流動資本)


……これを大きくしたいという動機がある。剰余価値マイナスは死を意味する命懸けであるから。


 資本の構成は固定と流動にわけられているが合計を上げればどっちでもいい。

 しかし資本家が人間である以上、流動資本よりも固定資本への投資を好む傾向が見受けられる。文字通り流動資本は流動でき、産業がオワコンになったら手放すことができるという側面と、そもそも流動資本の最たる「人間」は裏切るものであるからだ。

 しかし資本家がよく選ぶ固定資本への投資を好むというポリシーには大きな見落としがありしばしば誤った判断である。それは⊿G(剰余価値)は常にプラスであり一定であるという妄想だ。現実には⊿Gを生み出すこと自体が命懸けの飛躍であり変動するものであり、コモディティ化により誰が作っても同じになったとき単純な価格競争に陥り、敗者は負になった⊿Gを受け入れ滅びるしかないからだ。

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