マヤ ~episode 19~
「雨か。」
電車の窓から外を眺めて奈々子先輩が呟いた。
「嫌だけど、皆同じ条件だから仕方ないよね。」
美鈴先輩が肩をすくめて言った。
「大丈夫。お昼に差し掛かるころには皆で、広島で何食べたいか、なんて話してるよ。」
私は頷いて、奈々子先輩の隣で同じように外を眺めた。電車が川の上に差し掛かる。もう少しで綾瀬駅に着くということだ。試合が行われるのは東京武道館で、綾瀬が最寄り駅だ。私はポケットに手を入れ、お守りのネックレスを握りしめる。大丈夫。呼吸を忘れず、仲間を信じて―
自分でも何故だか分からないけれど、私はふっと微笑んだ。練習試合でまーくんと個人戦をしたときと同じく、謎の自信が体の奥底から湧き上がってくるのを感じた。私は大きく息をはきだす。だって今日までこんなに頑張ってきたんだもの。当然じゃない。
駅について電車を降りると傘を差した。弓と傘の両方を持つのは結構大変だ。私たちは無言で武道館の方まで歩いて行く。それぞれが頭の中で、何度も完璧な射をイメージし続けている。
入口付近で他校の女の子と目が合った。和風美人といったその女の子は、私に向かって小さく会釈する。私もお辞儀を返した。
「お互い頑張りましょ。」
その子が私にだけ聞こえる程度の小さな声で言った。私は頷く。女の子はそれを見ると、私に背を向けて颯爽と歩き去って行った。彼女は中学生の頃から一位の座を奪い合っている、同級生の女の子だ。彼女の通う学校も有力な優勝候補だ。
今回ばかりは譲ってあげられそうもないけど。私は心の中で彼女に言う。
控えに向かうと、私たちはそれぞれ体をほぐすようストレッチや肩まわしを行った。どこかの学校に皆中が出たのか、拍手の音が聞こえる。先に引いた学校の生徒が、笑い、泣いて後ろに戻ってくる。
「あの嬉し泣き、私たちの的中数知ったら悔し泣きに変わるよ。」
美鈴先輩が私にウインクして言った。私も先輩に微笑み返した。間違いない。
「よし、おまえら。」
タッキーが仕事を一旦抜け出してきて私たちに向かって言った。
「これまでの練習通りなら、全く問題はない。おまえらなら出来る。最後まで気を抜くな。伸び伸び引け。」
「「はい」」
私たちは小声で返事をする。
「後ろで見てるからな。筒香も、介添え頼んだぞ。」
「「はい」」
タッキーは頷くと、慌ただしく戻って行った。
「皆、集まって。」
奈々子先輩が私たちに声をかける。弽をつけた拳を皆が中央に出し、円を描いた。
「とにかく落ち着いて。そうすれば大丈夫。美鈴は最後まで弓手の気を抜かない。真央ちゃんは早気にならないように。芽衣は左右均等に引き分けてきて、伸び合いのときもそれを意識して。真綾ちゃんは―」
奈々子先輩が私を真っ直ぐに見つめた。
「メンバーを信じて。私たちは真綾ちゃんのすぐそばにいるから。じゃあ皆、頑張りましょう。」
「「おー!」」
私たちは小声でそう言い、足を真ん中に踏み出す代わりに拳を少し下に下げた。
「入場します。並んでください。」
係りの人が私たちに声をかける。私たちはお互いを見て頷いた。
美鈴先輩に続いて入場する。椅子に座ると半眼で的を見つめ、いつもの呼吸を繰り返す。
「起立っ!」
先生の声に、皆が一斉に立ち上がる。
「始めっ!」
礼をして的前に入った。美鈴先輩の背中を見つめ、最後に気持ちを整える。大丈夫。私ならきっと―
数分後、私は皆の拍手を背中で聞きながら退場していた。既に退場済みの美鈴先輩が、こちらに満開の笑顔を向けていた。
「おかえり、真綾ちゃん。」
先輩が言う。私はにっこり微笑んだ。
「ただいま戻りました。」
全員が戻って来てみると、楓が一人、大号泣していた。
「なんであんたが泣いてるのよ。」
奈々子先輩が困ったように言う。
「だって、先輩方皆、かっこよくて…。」
「まだ終わってないんだから。」
美鈴先輩も笑った。
「おまえら、よくやった。」
タッキーが早歩きでこちらに向かってきて言った。
「あともう一回で決まるからな。今のところの的中は―」
「先生、言わないでください。」
美鈴先輩がタッキーを遮る。隣で奈々子先輩も頷いた。
「聞いたら気になっちゃうので、最後まで自分たちの的中数さえも計算しないことにしたんです。」
いいよね、という風に先輩が振り返る。私たちは大きく頷いた。
「私たちの性格的に、絶対その方が上手くいくんです。」
タッキーが納得したように頷いた。
「分かった。おまえら、次も今と同じ感じでいけ。そうすれば全く問題ない。今俺が言いたいのは、それだけだ。」
「「はい」」
私たちが声を揃える。タッキーが私たちに背を向け、去って行った。
「雨、少し弱くなったんじゃない?」
美鈴先輩が言う。これを聞いて、奈々子先輩は握り皮の調子を確認しながら言った。
「今日は一日中やまないって言ってたけどね。」
「そっか。」
私たちは道具の点検をし、また控えに向かう。今の私には、雨だろうが晴れだろうが、何も関係なかった。
二立目が終わって退場すると、私は美鈴先輩とハイタッチして他のメンバーが戻ってくるのを待つ。八射皆の奈々子先輩は退場するなりわっと泣き出した。真央も私の顔を見てにっこり笑う。皆で邪魔にならないところに捌けて奈々子先輩の背中をさすり、タッキーを待った。タッキーが神妙な面持ちでこちらに歩いてくる。
「うちの学校が最後の立だったから今結果が出たわけだが」
アイパッドを見てタッキーが言う。
「おまえらのチームは」
皆が息を飲む。ちゃんとは数えてないけど、これだけ中っていれば例年なら優勝も夢では―
「一本差で―」
タッキーが私たちの顔を順々に見る。
「優勝だ。」
わあっ、と他のチームには聞こえない声量で歓声をあげる。奈々子先輩の泣き声が一段と大きくなった。私の視界も涙で曇るのを感じる。真央や楓を見ると、彼女たちも一緒だった。
「おまえら泣いてるとこ申し訳ないんだが」
タッキーが美鈴先輩と奈々子先輩に言う。
「遠藤は一位二位決定のための一本競射、北川は三位から八位までの遠近競射があるから、準備しとけよ。」
奈々子先輩と美鈴先輩がこれを聞いて泣きながら笑った。
「一位と三位のトロフィーと賞状、待ってます!」
私は笑いながら言った。
「もちろん、任しておいて。」
美鈴先輩が茶目っ気たっぷりに言う。
「先輩、見てください。」
楓が涙を拭きながら、窓の外を指さして言った。
「天気も私たちのこと、良く分かってますよ。」
いつの間にやら雨はやんでいて、青空が続いている。
「ほんとだ。」
私は空を見上げてにっこり微笑んだ。
やまない雨が、やんだなら―
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