レナ ~episode 17~
日直の仕事を終え、私は一人、教室の中からぼんやりと外を眺めた。無意識のうちに髪に手をやり、くるくると指に巻き付ける。普段はそんな手の届くところに髪の毛がないから、新鮮だった。朝と同じように、大粒の雨がグラウンドに降り注いでいる。
突然電話の着信音が鳴って私はビクッとして現実に引き戻された。スマホを見ると発信者は亮だった。私は一つ、ため息をつく。数秒悩んだ末、応答ボタンを押した。あの人と喧嘩なんて続くはずがないんだ。数えきれないほどの喧嘩を繰り返し、今の私たちの関係があるんだから。
「あ、もしもし?」
少し声が緊張している。それがちょっとだけ私の気分を明るくさせた。そう、それじゃ、自分が悪かったと反省はしているわけね。
「なに」
まだすぐには許す気になれなくて、私は冷たく言い放った。
「あー、うん。えっと、玲奈はまだ教室にいんのか…?」
私は眉をひそめた。面と向かって謝る気なのかしら。こんなのは生まれて初めてだ。
「うん、そうだけど。」
「ふーん。」
一体全体なんなんだ、と思う。
「それで?要件は?」
「あ、そうそう。俺、玲奈に相談したいことがあるんだ。」
「なに?」
「俺に本気で好きな人がいるのは前話したよね?」
私は大きく息を吸い込む。せっかく許そうかと思っていたのに、ここでその話題をぶち込んでくるとは。全く乙女心が分かっていないヤツだ。
「―うん、覚えてるけど。」
私が言うと少し亮が口ごもり、大きくひとつ、咳払いをする。
「ライバルいてそいつが結構強敵、みたいな話もしたと思うんだけど」
「うん、してたね。」
何を言いたいのだろうか。それにこれは、今電話で話さなきゃいけないこと?
「だけど、このままじゃ何もしないうちにそいつにとられちゃうかもしんないし、だから俺―」
鼓動が一気に速くなるのを感じる。やめて、お願い。それを私に言わないで―
「好きな子に、告白しようと思って。」
何かがズドン、と私の心に落ちる。
「それで、それについてどう思うかアドバイスをもらうために、親友に電話してみたってわけだ。」
親友、という言葉を聞いて、私の心がチクリと痛む。
なれたら良かったよ。私は思った。心から、あんたの親友になれたら良かった。そしたら今、大喜びで応援してあげるのに。気の利いた言葉の一つや二つ、かけてあげられたのに。
「頑張んなよ。亮の話聞いてる限りその子良い子そうだし、亮もちゃんと本気みたいだし。」
私は大きく深呼吸する。
「それに、亮なら絶対ふられないよ。いいヤツだもん。ハーゲンダッツを賭けたっていい。」
「あ、言ったな。俺がふられたら絶対奢れよ。」
「はいはい。」
頑張れ、私。私は自分自身にエールを送る。あともうちょっと、あともうちょっとだけ、泣くのは堪えて。
「じゃあ俺は、告白しに行くわ。」
「うん、ファイト。」
「あざす。それじゃ、また。」
プッ、と電話が切れる。切れた瞬間、今まで頑張ってあげていた口角がプルプルと震えて、目から大粒の涙がこぼれ落ちた。私は歩いて行き、教室の窓を開け放った。ザー、と雨の降る音が、私の泣き声をかき消してくれた。
―と、ガタン、と教室の扉の開く音が聞こえて、私は慌てて近くにあった本で顔を隠した。誰かが忘れ物でも取りに来たのだろうか。恐る恐る顔を上げると、息を切らした亮と目が合った。
「亮…?」
「泣いてんの…?え、ちょ、玲奈、どうしたし!?」
亮が慌てて私に駆け寄って言った。告白しに行くんじゃなかったの?好きな人、帰っちゃうよ。私のことは放っておいてくれていいの。
お願いだから、私が一番大事、みたいなことしないで。
「ごめん、ちょっと、感動しちゃって…。なんでもないの。」
私は顔の前で手を横に振る。亮が眉間にしわを寄せた。
「シャーロック・ホームズで…?」
私はさっと本を後ろに隠した。あーあ、これが『私を離さないで』とかだったら良かったのに。
「それより、りょ、亮はなんでここにいるの?告白しに行くんじゃなかったの…?」
心配しきった表情で私を見つめていた亮は、はっとして咳ばらいをした。
「そう、それで俺は今、ここに来たんだ。」
「え?」
私は言って、ひとつしゃくりあげる。
「でもここには、私以外に誰も―」
「今俺の親友に電話して、好きな人に告白しようと思う、と言ったら応援されて、意を決して好きな人のいるところに走ってきたのに、告白する相手がなぜか泣いている。」
私の涙がぴたりと止まった。驚いて顔を上げると、亮が好きな人の特徴を私に教えてくれたときと同様、顔を真っ赤にして横を向いていた。
「え、だって、え?私に色んな女の子の話してたじゃない!」
「それは―」
恥じ入ったように亮が言う。
「小学生のときから玲奈のことを好きだったけど、玲奈は全然俺に興味なくて。少し妬かせてやろうとダメもとで別の女子の話したら、案外反応してくれたから嬉しくなって…。そしたら今度は引き際が分からなくなったというか…。」
「ばっかじゃないの!」
私が涙目で亮を睨みつける。
「亮のバカ!そんなんで私が…、私が―!」
「これに関しては俺も深く反省しているし、バカだとは思ってる。でも、鳴海がシャーロック・ホームズ好きなのは知っててなるべく接点を持たせないようにしようと思ってたのに気がついたら仲良くなってるし、クラスのやつらはローマがどうとか言い出すし、玲奈は彼氏欲しいとか言い出すし…。取られる前に想いは伝えようと思って、玲奈が日直の仕事で遅くなる今日が告白のチャンスだと思ったら、鳴海に言われたからとか言って髪型めっちゃ可愛くして来るし。俺が言ってもしなかったくせに。」
「私が今日髪型変えてきたのは」
私はうつむく亮に向かって言った。
「亮に好きな人が出来たって知って、それがあまりにも自分に当てはまらなかったから、ぎゃふんと言わせてやろうと思ったからなの。一樹くんがそう、アドバイスしてくれて…。一樹くんと仲良くなったのは、私が恋愛相談してたからだし。」
今度は亮が驚いたように顔を上げた。
「え、まじ…?鳴海のこと好きなんじゃないの?」
「ううん」
私は首を横に振った。
「私も亮のこと、小学生の頃から好きだよ。」
亮が信じられない、というように口を手で覆った。私は照れ臭そうに、へへ、と笑う。亮がそんな私を見て、そっとワイシャツの袖で涙を拭った。
「でもなんで、俺の好きな人に自分は当てはまらないって、そんな確信したの?俺、あんときなんて言ったっけ?」
「可愛いって言ったから。」
自分で言っていて恥ずかしくなる。私は顔が赤くなるのを感じた。
「私と可愛いって、対極にあるものだと思ってたから。」
「玲奈は可愛いよ。」
心底びっくりしたように亮が言う。
「自覚ないのか。それでこの可愛さは相当やべえな。」
「別にやばくないよっ!」
私は言って亮の肩を叩いた。
「そんなこと思ってるの、亮だけだもん。」
「絶対違うと思うけど」
亮が確信しているように言う。
「俺としてはその方がいいな。」
それからはっとしたように言った。
「ってことは、俺の彼女になってくれるってことだよな…?」
私は亮の瞳を真っ直ぐに見つめた。
「ちょっと待ってね。」
そう言って、スマホを手に取る。
「え、だって玲奈も今俺のこと好きって―、え?」
亮が慌てたように言うのを見て、私はくすっと笑った。
「大事なことなの。」
私が電話をかけると、亮のズボンのポケットが震えた。訝し気にスマホを取り出し、画面を見て亮が納得したように笑う。
「…もしもし。」
「もしもし、亮?今ちょっと話せるかな?」
「うん、いいよ。」
「今日はちょっと、親友に相談したいことがあって。」
「うん」
「私ね、ずっと好きだった人から告白されたの。それで、その告白受けようかと思ってるんだけど、亮はそのことについてどう思う?」
私と亮の目が合った。亮が真っ直ぐに私を見つめて口を開く。
「玲奈がそいつのこと本気で好きなら、付き合うべきだと思う。そいつもずっと一途に玲奈のこと想ってて、付き合ったら絶対玲奈のこと大切にして、幸せにするよ。」
「そっか。ありがとう。」
「ああ。じゃあ、切るぞ。」
「うん、またね。」
私と亮は同時にスマホを下ろす。
「親友の許可、おりたから。」
私が言うと、亮が頷いた。
「それに私、ハーゲンダッツ奢るお金ないしね。」
「おまえっ、今、めちゃくちゃ良い雰囲気だったのに…!」
私は謝りながら笑った。
「ごめん、ごめん。」
「あ」
亮が教室の窓から外を眺めて言う。
「雨、やんだな。」
私も同じ方を振り返った。
やまない雨が、やんだなら―
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