マヤ ~episode 16~
昨日のことは完全に失敗だった。私はいつものベンチで掃除中の謙人を待ちながら、ぼんやり考えていた。玲奈にあんなことを言わせて、妹二人に慰められるなんて、姉失格だ。私はいつだっていいお姉ちゃんで、なるべく周りに迷惑はかけず、年下のお手本になるような存在でいなくちゃならないのに―
「真綾、お待たせ。」
謙人の声が聞こえて、私ははっと顔を上げた。マイナスの感情を頭から全て消し去り、にっこりと微笑む。
「お掃除お疲れ様です。」
私はそう言うと立ち上がった。そんな私を少しの間見つめて、謙人は口を開いた。
「今日ね、行きたいところあるんだけど、ついて来てくれないかな?」
「いいけど、どこへ?」
「公園。」
そう言うと謙人は歩きだした。お互いに部活がない日は学校の近くの図書館に行って勉強するのがいつもだから、どこかに行こうと言い出すのは珍しい。
いつもよりのんびりとしたペースで謙人は歩いた。その隣を私ものんびりと歩く。夏になる少し前のこの季節は、散歩するのには丁度良い。他愛もない話をしながら三十分ほど歩くと、緑の生い茂った広い公園に辿り着いた。
「ちょっとここで待ってて。」
謙人はそう言うとベンチに私を座らせ、自分はどこかへ歩いて行った。
お手洗いかな、とかぼんやり考えつつ、私は遠くで遊ぶ子どもたちを見つめた。弓道で切羽詰まっていた私の心が、少しずつ解きほぐされていく。
「はい、どうぞ。」
顔を上げると謙人が手にクレープを二つ持ち、一つを私の方に差し出していた。
「えっ、いいの!?」
「うん」
「ありがとう!」
私はワクワクしながらクレープを受け取った。
「いくらだった?」
「あ、俺の驕りで。」
「お願い、払わせて。私こういうの、ちゃんとしたいの。」
「そっか」
謙人が笑った。
「五百円だった。」
「正確には?」
私が大きな目で謙人を見つめる。数秒見つめ合った後、謙人が折れた。
「五百七十円です…。」
「オッケー…、はい、ありがとう。」
私がぴったり渡すと、また謙人が笑った。何が面白いのかは、よく分からない。
「あっ!」
中身を見て私の表情がほころぶ。
「チョコバナナ!」
「真綾の好きな味は完全に理解していますから。」
謙人がドヤ顔で言った。
「流石です!」
二人でいただきます、と言うと、クレープを口に運んだ。
「おいしい…。」
私は満面の笑みで言った。ダイエットも大切だけど、やっぱりおいしいものの摂取は必要だ。おいしいものは、人を幸せな気持ちにさせられる。
「真綾っていっつも幸せそうな顔で食べるよね。」
謙人が笑いながら言った。
「それ家族にもよく言われる。」
「それ見てると、こっちまで幸せな気持ちになれるよ。」
謙人がさらっと言った。これを聞いて私は顔が少し赤くなるのを感じた。こういうところは、本当に私は子どもっぽいと思う。咄嗟に何も言い返せなくて、私は少しうつむき加減で黙々とクレープを口に運んだ。
「なんか、あった?」
謙人の倍の時間をかけてクレープを食べる私がようやく最後の一口を飲み込んだのを見て、謙人が私を振り返った。私は少しドキッとして、謙人を見つめ返す。と、謙人が小さく吹き出した。
「クリーム、ついてるよ。」
そう言って私の鼻の頭についたクリームをふき取ってくれた。私は今度こそ真っ赤になってうつむいた。
「ありがとう…。」
しばらくして、私は呟いた。
「私って、子どもっぽいかな?」
謙人はちょっと驚いたように目を見開いて、それからふっと笑った。
「たまーにね。」
それを聞いて私はため息をつく。
「最近ね、ダメなの。部活でもね、試合形式の立練で全然結果残せないし。それで昨日ね、感情が爆発しちゃって。私ね、盛大に妹に八つ当たりしたの。信じられる?」
公園の隅で妹を上手に遊ばせている、六歳くらいの女の子を見つめながら私は言った。
「それで妹二人に慰められたの。私が、お姉ちゃんなのに…。」
涙腺が弱くなっている私は、また涙がこみあげてくるのを感じてぐっとこらえた。
「今日ここに連れて来てくれたの、私が元気なかったからでしょ?ごめんね、気使わせて。こんなんじゃ周りの空気も悪くしちゃうよね。ほんと、ごめん。」
そう言って、ちょっと笑った。
「真綾は、いいお姉ちゃんだよ。」
少しふざけたように言ったつもりだったのに、謙人は真面目なトーンで静かに言った。
「付き合う前、妹さん二人が文化祭来てくれたじゃん?あのときに俺、こんなにお姉ちゃん大好きな妹っているんだなって、結構びっくりしたんだよ。うちもさ、兄弟仲良いねってよく言われるけど、どう考えてもうち以上だし。あんだけお姉ちゃんっ子になるのは、真綾がすごくいいお姉ちゃんだからだと思うよ。」
目が潤むのを感じて、私は空を見上げた。ここで泣いてはダメ。余計心配させてしまう。
「妹さんたちが真綾を慰めてくれたのは、二人が真綾のこと大好きで、真綾のこと笑顔にさせたいって、真綾の気持ちに寄り添いたいって思ったからだと思うよ。真綾は一人で抱え込みすぎるから。」
そう言うと、謙人は私に向かって体の向きを変えた。
「一人で一生懸命頑張るのは、真綾の良いところだよ。でも同時に、悪いところでもある。他の人に迷惑をかけないようにって思ってるんだろうけど、それって本当は全然迷惑なことなんかじゃなくて、皆大事な人には頼られたいって、意外と思ってたりするんだよ。」
それから少し拗ねた表情で私を見つめた。
「それにまあ、頼りないかもですけど?一応これでも真綾の彼氏なんで?たまには甘えてくれると嬉しいなーと思います。」
そう言って、わざとらしく腕を組んだ。
「妹にぶつけちゃうくらいなら、先に俺に相談してくれれば良かったのに。弓道のことは分かんないけど愚痴くらいいくらでも聞くし。今悩んでることだって、絶対自分からは言い出さなかったじゃん。真綾は子どもっぽいかなとか心配してるみたいだけど、俺からしたらそんなの可愛いだけだし、もっと甘えてくれればなって、思ってるよ。」
そう言って、私の好きなクシャッとした笑顔で私の顔を覗き込んだ。
「ごめん」
どうして私の周りのは、こんなに良い人しかいないんだろう。
「そうだよね、ごめんね。変な心配かけちゃって。私、上手く自分をコントロールできないの。ごめんね。そうやって、思ってくれて、私、本当に―」
「真綾」
謙人が大きな手で優しく私の頬を包み込んだ。
「真綾の『ごめん』は全部『ありがとう』でいいんだよ。」
そう言って、涙で潤んだ私の目を真っ直ぐに見つめた。
「泣きたいときは思う存分、俺の前でも泣いたらいいんだよ。」
涙が一筋、頬を伝っていくのを感じた。一度あふれ出すと止まらない。次から次へとこぼれ落ちてきて、私は随分長い間、子どもみたいに泣きじゃくった。昨日の今日でこんなに泣いて、体の水分が全部なくなりそうだ。自分でも何が一番悲しいのか、なんで泣いているのかよく分からないまま、私は心がすっきりするまで泣き続けた。その間、謙人はずっと私を優しく抱きしめてくれていた。
家族以外の人の前で人目もはばからず泣きじゃくったのは、混雑した日曜日のデパートで、迷子になった三歳の玲奈を死に物狂いで見つけ出したとき以来だった。
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