カレン ~episode 15~

 私は少しウキウキしながら、足取り軽く、階段を駆け上がっていた。日直の仕事がある颯真と図書館で待ち合わせる約束だったのだが、教室まで迎えに行こうと思い立ったのだ。教室に人が沢山いる時間に他クラスの彼氏に会いに行くのは勇気がいるけど、今の時間なら皆帰宅なり部活に行くなりしているだろうから、私でもC組に入れるんじゃないかと、思ったのだ。いつもは長く感じる階段を一瞬のうちに上りきって、私はC組の教室についた。こっそり中を確認すると、颯真と愛莉が何やら話し込んでいる。珍しい組み合わせだな、と思いつつこの二人なら、と扉を開けようとすると、『花蓮』という単語が耳に飛び込んできて私はそのまま動きを止めた。

「で、花蓮はそれ知ってんの?」

愛莉が人を威圧する、素の表情で颯真に向かって言った。愛莉が男の子にぶりっ子せずに話しているなんてやっぱり珍しい。

「いや…。」

颯真が決まり悪そうに言う。何か私は隠し事をされているらしい。聞くべきではないと思いつつ、私は身を潜めて耳を凝らした。はあ、と愛莉がため息をつく。

「あんた、『あの子』のこといつから好きなのよ?」

「…中一の秋くらい。」

私の心臓がドクン、と鳴った。二人が話題に出している『あの子』が私でないことは確かだ。だって私と颯真が出会ったのは、高一の春なんだから。

「そんなに前から…。」

「今更言えるわけないんだよ、ずっと前から好きでした、なんて。」

颯真が少し苦しそうに言う。私も息が苦しくなるのを感じた。きっとここは、酸素が薄いんだ。

「なんでもいいけどね」

愛莉が椅子に座ってうなだれている颯真を見下ろして言った。

「花蓮は世界で一番優しくて、可愛くて、最高の親友なの。その花蓮を泣かせたらただじゃおかないってことは、覚えておきなさいよ。」

「分かってるよ…。」

颯真が言う。

「それよりなんか、キャラ変わりすぎじゃない…?」

「当たり前でしょ。なんで私が花蓮の好きな人に色目使わなきゃなんないのよ。花蓮の好きな人を私が好きになることだけは、絶対にないんだから。」

愛莉がさも当然、という風に言った。はは、と颯真が笑う。私はたまらなくなって立ち上がり、音をたてずに階段まで走って行った。


 そのまま階段を駆け下り、校門を飛び出して私は駅に向かって全速力で走った。心臓がどくどくいっていたけど、それは普段の運動量が足りないせいだ、きっと。

一つ目の信号に差し掛かって私は足を止める。颯真の苦しそうな声が頭の中でガンガン響く。『あの子』って誰?その子のことが好きなの?すっごく一途なのね。じゃあなんで私に告白したの?


―別に颯真は、私に告白したわけじゃない。


一瞬呼吸が止まった。同時に、私の中で時も止まった。この世界で私の心臓だけが、相変わらずどくどくと音をたてている。

颯真は冗談で言ったんだ。私のことなんか好きじゃないのに、その場のノリで、友達になった記念にそう言っただけなんだ。まーくんや他の男子と一緒なんだ。私は笑って、バカ言わないでよって、そう返すべきだったんだ。そうすれば、全て上手くいっていたはずだった…。


 颯真は優しいから、私が真面目にいいよって言ったから、引くに引けなくなっちゃったんだ。ほんとは別に好きな人がいるのに。ずっと、想い続けてる人がいるのに。だから今、あんなに苦しんでいる。


私が颯真を、私の好きな人を、苦しませているんだ。


涙が一筋、頬を伝うのが分かった。私は慌てて袖で拭い、カバンからスマホを取り出した。

『用事を思い出したので先に帰ります』

颯真にメッセージを送るとスマホを元の場所に戻す。信号が青になるのを確認して、私はまた駆け出した。走りながら、鼻の頭にぽたっと、しずくが落ちたのを感じた。そういえば今日は雨が降るからって傘を持ってきていたのに、学校に置いて来てしまった。


 それでも私は構わず走り続ける。運動不足のせいで息が苦しかったけど、それも気にせず走った。息が苦しければ胸の痛みまで気が回らないから、私は走る速度を上げた。


 雨が少しずつ強くなる。周りの人が傘を広げる。小学生の男の子が大きなカッパから顔をのぞかせて、無我夢中で走る私を怪訝そうに見つめた。いつもだったら人目を気にする私だけど、今日はただただ走り続けた。


 雨が顔に叩きつける。私はそれがありがたかった。顔がびちょびちょに濡れているのは、私の涙のせいなのか、静かに振り続ける雨のせいなのか、私にはもう、分からなかった。

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