マヤ ~episode 13~

 何かがおかしい、とここ最近感じていた。射込み練習のときは何の問題もないものの、立練になった途端、中らなくなってしまうのだ。気持ちをコントロールしなきゃいけない。緊張を感じないようにしなきゃいけない。そんなの自分が一番良く分かっているけど、インターハイという単語が頭に浮かんだ瞬間体がこわばり、この緊張という心の重荷から早く解放されたいと、早気になってしまうのだ。駄目だ、これでは駄目だと自分を律するうちに、今度は離れなくなってしまった。


 会に入る。今までは三秒から五秒の会の伸び合いの時間が、どんどん伸びていく。その間にどんどん弽が締まっていって、今度こそ本当に離れなくなる。早気もダメ、長すぎるのもダメ。練習時間中は、ここだ!と思ったタイミングで綺麗に離れが出て的中するのに、立練になると、自分の頭がいらないことまで考えだすのだ。


 今日の立練もそうだった。都総体予選が近いというプレッシャーが、私に焦りをもたらす。皆私に期待してくれてるの。三中以上は確実にしないと。私は引き終わると道場の外に出て、一旦気持ちを落ち着ける。


 問題は分かっている。気持ちのコントロールだ。朝練や昼練のような人が少ない時間帯に二手持って的前に入り、一人で立練を行う練習もしているがそのときは中る。ただ、メンバーで並んで引くと精神を上手くコントロール出来なくなってしまうのだ。


 私は遠くに見える富士山を見つめて大きく息をはいた。大丈夫、私なら出来る。私なら乗り越えられる。私なら―


 瞼の裏に涙がスタンバイしているのを感じる。タッキーに言われた言葉を思い出した。

『泣いたらスッキリして悔しさが薄れてしまうから、その苦しみを乗り越えられるまでは泣くな。』

泣いたらダメ。この苦しみを糧に、もっと練習すればいいの。ただそれだけ。私には全然努力とか、やる気とか、根性とかが足りていないんだから。だから今、こんな絶望的な的中率なの。


 この苦しみを誰にも相談できないのが私には一番辛かった。弓道部のメンバーは皆それぞれ自分のことで精一杯だし、選手に選ばれていない子達にとったら、この期待される苦しみにいる立場にいるだけで十分羨ましいのに、と良い思いをされないのは確実だ。だからって家族に相談したって、イライラするばかりなのだ。

「早気って、なんでそういう症状が起こるの?」

玲奈は言う。

「弓が重くて耐えられないってわけじゃないんでしょ?」

「離れないってどういうこと?」

花蓮は言った。

「離せばいいじゃん。親指をはじけばいいんでしょ。それの何が難しいの?」

説明したところで弓道をやっていない人には理解できない感覚だということは私もよく分かっている。別に二人が悪いわけじゃない。私だって空手の難しさをどれだけ丁寧に説明されたって、自分が実際やってみないことにはぴんと来ないに違いない。


 大きく息をはき、気持ちを整える。頭の中でさっきの立をもう一度再現した。まず一本目は弓手の伸びが足りなかった。いざとなったら弓手で押し込む、くらいの勢いでいかなきゃならないのに、弓手の力が抜けていたら話にならない。次は二本目。二本目は―


 一度落ち着けたはずの悔し涙がまた体の奥底から体外に出たがって、私を苦しめる。私は呼吸を繰り返す。大きく吸って、その倍の長さで息をはく。


 お手洗いに行くのか、奈々子先輩が外に出てきた。ぺこりとお辞儀をし、なるべく顔を見合わせないように後ろを向いた。私の後ろを通り過ぎるとき、奈々子先輩が私に言った。

「イライラすると、余計下手になるわよ。」

そのまま私の返事を待たずに階段を駆け下りて行く。

分かってる。そんなの私だって分かってる。

いつもは心地良いはずの率直な弓道部員の言葉が、私の胸にグサッと刺さった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る