カレン ~episode 12~

 私が橘くんに学校外で劇の練習をしよう、と言われたことを二人に話すと、祭りが始まった。まず二人はお母さんのところにすっ飛んで行き、『今日はお赤飯!』と叫んでお母さんを困惑させた。それから二日後の真綾の部活が休みの日にはファッションショーが行われ、ああでもない、こうでもないと白熱した議論が繰り広げられた結果、私は今、ひまわり色のワンピースを着て大井町線に揺られている(手先は器用だけど自分の見た目に比較的無頓着な真綾は、家に髪を巻くためのコテがないことに気が付いてパニックに陥り、家を飛び出して電気屋さんに向かおうとしたので私は慌てて引き留めた。なんとかなだめて交渉した末に、ななちゃんに借りるということで決着がついた)。

車内は随分涼しいはずなのに、私は体中の毛穴という毛穴から汗が湧き出ているのを感じていた。せっかく真綾が綺麗にセットしてくれた髪も、汗でぺったんこになってしまいそうだ。

「二子玉川。二子玉川でございます。」

車内アナウンスが聞こえて、私は電車を降りる。大きく深呼吸をしてエスカレーターを下り、改札に向かった。平日とはいえ夏休み中だからか改札前は混雑していて、私は橘くんの姿を探して周りを見渡した。

「栗原さん!」

橘くんの声が聞こえた気がして振り返ると、橘くんが建物の入り口付近からこちらに手を振って歩いてきた。私も小さく手を振り返す。

「今日は比較的涼しくて良かったよ。」

橘くんがにっこり笑って言った。

「これなら外で練習できそうだ。」

私は頷きながら彼の私服を観察した。襟が付いた白色の少しオシャレなシャツにストレートジーンズというシンプルな出で立ち。誰に見せたって文句を言われなさそうな、流石ブレーン、といった格好だった。

「あ」

何に気が付いたのか、橘くんがにっこり笑って言った。

「ベルのドレスの色だ。」

気が付いてくれた!私は心の中で小躍りする。家に帰って二人に報告したら、泣いて喜ぶに違いない。

「そうなの。」

私は少し声を弾ませて言った。

「これ、ほんとは妹のなんだけど、貸してくれて。髪型もね、お姉ちゃんがやってくれたの。」

くるりと振り返って髪型も見せつける。

「素敵な姉妹だね。」

橘くんがにっこり微笑んで言った。私たちは河原に向かって歩き出す。

「三姉妹?」

「そう、皆女の子。橘くんは?兄弟とかいるの?」

「僕には妹が一人、三つ下にいるよ。」

橘くんが頷いた。だから、こんなに女の子に優しいんだ。

「そんな感じする。」

「そう?」

橘くんが笑った。

「下に妹か弟いそう、とはよく言われる。」

「うん、やっぱり。」

私が頷くと、橘くんがこちらを見つめた。

「栗原さんも、妹居るだろうなって思ってたよ。」

「そんな感じする?」

「うん」

橘くんが微笑んだ。

「一ノ瀬との接し方見てると、そんな感じする。」

私はそれを聞いて笑った。確かに愛莉と玲奈は似ているところがある。

そうこう言っているうちに河原に辿り着いた。丁度よさそうな日陰で腰を下ろす。

爽やかな青空の下、私たちは台本を広げた。


 それから二時間真面目に練習して、私たちは一息つくことにした。近くのコーヒー屋でそれぞれ好きな飲み物を買ってくる。今日判明したのは、橘くんが甘党、ということだ。コーヒーはブラックでは飲めないらしく、今回はチョコ味のフラペチーノを頼んでいた。少し恥ずかしそうに打ち明ける橘くんを見て、やっぱり可愛いな、と思っている私がいたりする。

「よくそんなの飲めるね。」

橘くんが私の飲み物を難しい顔で見つめて言った。私が頼んだのはアイスアメリカーノの水無し。うちではお父さんが毎朝晩、食後にコーヒー豆を挽いて淹れてくれるから、皆苦いコーヒーに慣れている。

「おいしいのに。」

私は笑って言った。橘くんが肩をすくめる。少しの間、二人は黙ってそれぞれの飲み物を飲んだ。遠くの方から子どもたちの遊ぶ声と、大人たちの談笑する声が聞こえる。

「今日、誘ってくれてありがと。」

私は橘くんに向かって言った。

「主役やろうって言ってくれたのも嬉しかった。橘くんがいなかったら、勇気を出せてなかったと思うの。」

「ううん」

橘くんがあおむけに寝転んで笑った。

「僕は思ったことを言っただけさ。それに、立候補したのも主役を勝ち取ったのも栗原さんだよ。僕じゃない。僕がこの役に立候補しようと思ったのも、一ノ瀬から栗原さんのことを聞いたからだし。」

橘くんは本当に良い人だ。こんなに良く出来た高校一年生が、この世に存在して良いのかしら。私は改めて自分の恋心を自覚した。逆に、こんな素敵な人を好きにならない人がいるだろうか?

「橘くんって本当にすごい人よね。かっこよくて、優しくて、文武両道で…。」

私はそう言ってほっと息をついた。隣で橘くんが起き上がる気配を感じる。

「そんな僕と、付き合いたくない?」

私は原っぱの向こうの多摩川を見つめたまま固まった。え、今、なんて…?

あり得ないほど速く脈打つ心臓を落ち着かせながら、私は頭をフル回転させた。えっと、今あの橘くんが、ブレーンくんが、私に付き合ってって言った、んだよね…?ああでもそうか、男の子って良く言うんだっけ、冗談で付き合ってって。真綾の友達のまーくんとか、亮くんだって玲奈によく可愛い女の子の話してるみたいだし。そういうノリなのよ、ね…?

「うん、付き合いたい…。」

決して嘘は言ってない。というよりむしろ、こんなことがなければ一生本人に言えなかったであろう台詞だから、言わせてくれてありがとう、まである。冗談だよって言われたら、そんなこと知ってるよーって、流せば良いだけの話だ。

そんなことを考えながら顔を横に向けて、私は橘くんの表情を見て度肝を抜かれた。あろうことか、少し下をうつむいて『真っ赤な顔』を片手で覆っていた。え、何、どういう感情?

「ほんとに?」

橘くんが意を決したように顔を上げて言った。これまで見たことがないほど、真剣な表情をしている。

「え、うん…。」

私は咄嗟にそう答えていた。噓じゃない、嘘じゃないけども…

「よっしゃあ!」

橘くんがブレーンの笑顔でそう言って、拳を天に突き上げた。

「すっごく嬉しい。ありがとう。」

そう言ってその笑顔のまま、私の顔を覗き込んだ。太陽みたいなその笑顔に照らされて、私は自分の顔も真っ赤になるのを感じた。

「私で、いいの…?」

やっとのことで、私が言う。橘くんが大きく頷いた。

「栗原さんが、いいんだよ。」

そう言ってから、少し考えてまた口を開いた。

「恋人になったんだし、名前で呼んでもいいかな?」

私は小さく頷く。きっとこれは夢だ。とっても素敵な夢。夢の中でなら何をしたって大丈夫。

「じゃあ、花蓮?」

橘くんが照れ臭そうに言う。名前を呼ばれるだけで心臓が大きく跳ねる。妙に感覚がリアルな夢だ。

「僕のことも、颯真って呼んでくれると嬉しいな。」

私は口を開いて、それからまた閉じ、また開いてみては諦めた。

「ごめんなさい。恥ずかしくて…。ちょっと練習が必要かも…。」

両手で顔を覆って私は言った。ただ名前を呼ぶだけでこんなに緊張するとは思わなかった。

「かわい」

橘くんが独り言のように言う声が上の方から聞こえた。これでは余計顔を上げられなくなってしまう。

「じゃあこれから、改めてよろしく。」

両手を離すと、橘くんがこちらに右手を差し出していた。私はおずおずとその手を握り返す。想像していたよりもずっと大きくて、分厚い手だった。その手を握りながら、いつになったら目が覚めるんだろう、と私はぼんやり考えていた。

こんな夢なら一生覚めなくったっていいのに、とまでも考えていた。

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