カレン ~episode 11~

 私はハッピーだった。自分の殻を破って主役に立候補できたこともハッピー。皆がオーディションで私を主役に選んでくれたこともハッピー。他クラスなのにこうして橘くんと会って文化祭の準備を出来ているのもハッピー。私は顔を上げて、こちらに歩いてくる橘くんの顔を堂々と見つめた。最近、劇の準備で関わることが多くなって、結構仲良くなれた気がする。橘くんは少し困った顔で、私の目の前で立ち止まった。

「今日は美術部が皆休みなんだ。展示会があるとか何とかで…。だから、進めようがないらしい。絵の下書きが完成しないことには、僕たち色塗り隊が出動できないからね。」

「じゃあ、あんまり重要じゃないところをやればいいんじゃない?ほら、町の風景とか。」

私たち三姉妹はお父さんのおかげで、わりと絵が上手い。美術の成績だっていつも5だし。

「え、僕たちが下書きもするってこと?」

「他に誰かいるの?」

「いや、でも…。」

橘くんが頭に手をやりながら言った。

「僕、恐ろしく絵が下手なんだ。」

「うそ」

あの橘くんに苦手なことがあるなんて、信じられない。

「本当だよ。悪夢なんだ、僕の絵は。」

相変わらず疑わしそうな顔をしている私を見て、橘くんはムキになって言った。

「本当なんだよ!最悪なんだ。描く度、自分でもびっくりするよ。」

「分かった分かった、信じるよ。」

私が笑いながら言うと、後ろから菫の声が聞こえた。

「ああ、花蓮、あなたここにいたのね!今日美術部、全員休みなの。一人残らずね。」

菫が私の顔を見てほっとしたように言った。文化的行事委員は大変な仕事なんだろうな、と思う。学校の一大行事だもん、文化祭は。

「うん。橘くんから聞いたよ。」

「信じられる?私、絵は苦手だし…。花蓮なら描けるだろうと思って、探してたのよ。」

そう言って大きな模造紙を私の目の前の机にドサッと置いた。

「これが町の風景のイメージ図。全くこの通りじゃなくってもいいの。好きにやってちょうだい。あ、橘、あなたは花蓮の指示に従って何か手伝いをしてくれれば。」

そう言うと菫は颯爽と教室から出て行った。

ナイス、菫。私は心の中で菫に感謝する。すごく自然な流れで、橘くんと一緒に作業できることになった。やっぱり今日の私はとってもハッピー。

「うーん、そしたらまず、5cm測ってここにその幅の線を引いてくれる?」

「よしきた。任せて。」

橘くんが腕まくりをして頷いた。私はその横で木やパン屋の絵を描く。

少しの間、二人で黙々と作業をしていると(実際のところ、私の心は橘くんから遠く離れて、田舎町で本を読む村娘のベルの気持ちと一緒になっていた)、突然橘くんが口を開いた。

「あー、栗原さん?お願いがあるんだけど。」

「んー?」

私は顔も上げずに言った。今までみたいに恥ずかしいからじゃなく、ただ単に集中していたからだ。でも、橘くんが線を引いていた鉛筆と定規を置いたのを目の端でとらえて、もしかしたら結構大事なお願いかも、と思い直した私は、手を止めて顔を上げた。あら、ついに立場逆転。なぜか橘くんは少し緊張しているように見える。

「あの、嫌ならいいんだ。全然。でも、もし、栗原さんが良かったら―」

そう言ってちらっと私の顔を見る。

「劇の練習、一緒にしてくれないかな…?」

私はやや拍子抜けした。なんだ、そんなこと。

「いいよ、勿論。これを描き終えたらいくらでも付き合うよ。」

「いや、そうじゃなくて。」

橘くんが少し言葉を強めた。

「休みの日に公園とか、どこでもいいけど、に集まってってこと。」

私の心臓がドクン、と跳ねる。

え、何それ。ちょっと、急すぎる。別に普通の高校生にしたらなんでもないことなんだろうけど、私は親戚以外の男の子と休日に二人で出掛けたことがない。亮くんと出掛けるときでさえ、真綾か玲奈が確実に一緒なんだから。学校は制服だから初めて橘くんの私服を見るわけだし、私も見せるわけだし、それに―

「ほんと、嫌ならいいんだ。ごめん、変なこと聞いちゃって。」

私が固まっているのをどう断るか迷っていると勘違いしたのか、橘くんが少ししょんぼりしながら言った。

あの、橘くんが、可愛い…!とか思っている自分を慌てて律し、私は手を自分の前で横に振った。

「違うの!ちょっとびっくりしちゃっただけで…。うん、よろこんで。一緒に練習したい!一緒に…。」

あー、もう、ようやく慣れてきたと思ったのに。自分の頬が赤くなるのを感じてうつむきかけたが、橘くんの表情を見たくてこっそり顔を上げた。心臓が大きくドクン、となる。橘くんが、とびきりのブレーンスマイルをこちらに向けている。

「やった!ありがとう。」

ウキウキした様子で鉛筆をまた手に取り、作業を再開しだした。

「今度の日曜日とか、空いてる?部活がオフなんだ。」

「うん、空いてるよ。」

私もその笑顔につられてにっこり笑って頷いた。

「場所は、そうだな…。野球部の練習で二子玉川の近くの河原に行ったことあるんだけど、結構居心地良くてさ。そことかどうかな?」

「二子玉川ならうちから近いし、私もいいと思う。」

私も作業に取り掛かり始めて言った。今日はもう、ベルの世界に飛んで行けそうにない。自分の世界がまるで物語のようだ。ふわふわした気持ちの中で、私は思った。

今日の私は、サイコーにハッピーだ。

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