カレン ~episode 10~

 私は深呼吸を繰り返し、自分の気持ちを落ち着ける。大きく息を吸い、その倍の時間をかけてゆっくりと息を吐きだす。これは真綾に教えてもらった呼吸の仕方だ。試合の前など緊張するときによくやるらしい。息を吐くときに副交感神経が働くことでリラックスできる、ということだ。真綾は練習の前にこれを毎日行っているから、いつもと同じ、と自分に言い聞かせることができ、それで余計に心を落ち着けられるらしい。普段から私もこの呼吸法を心がけておけばよかった、と私は後悔する。

練習はこれでもか、というくらいしてきた。毎日交互に王子役をやってもらったが、二人ともとても役にはまっていた。そんじゃそこらの男子よりよっぽどイケメン。ショートヘアの真綾は勿論のこと、ヘアアレンジ好きの真綾に王子様風に髪をくくられた玲奈は、漫画の中から出てきた異国の王子のようだった。ちなみに、どちらも演技が上手いのだが、王子のタイプは違っていた。真綾が演じると少し茶目っ気のある親しみやすい王子に、玲奈が演じるとチャラくて女性の憧れの的となっていそうな王子になる。二人とも身近にいる自分の好きな男子に影響されているんだろうな、と思う。

「それでは、野獣役を決めたいと思います。」

菫が全体に向かって言う言葉が聞こえて、私は現実に引き戻された。

「やりたい人、いますか?」

橘くんがすっと手を挙げる。皆納得したようにその姿を見つめる。私も同じようにその背中を見つめながら、やっぱり橘くんはかっこいいなぁ、と感心していた。

他にももう一人手を挙げた男の子がいて、菫がノートにメモを取って頷いた。

「最後に、ベル役を決めたいと思います。」

愛莉と橘くん両方の視線を感じたが、私は絶対にそっちを見ないようにした。二人の顔を見たら、余計緊張してしまうに決まっている。

「立候補してくれる方、いますか。」

菫の言葉に、女の子が二人、手を挙げた。二人とも小動物系の可愛い子だ。

やめなさい。私は自分に言い聞かせる。そういうことは考えないって、そう決めたでしょ。

「この二人の中から決定するので良いですか?」

菫が全体に確認をとる声が聞こえた。

頑張れ、私。頑張るのよ。橘くんだって、勇気を出して立候補したんだから―。

私はおずおずと、でも真っ直ぐに手を挙げた。菫の瞳がそれを捉え、一瞬驚いたように見開き、それから満足そうにふっと笑った。

「栗原さんもですね。この三人でいいですか?締め切りますよ。」

私の立候補にクラスが少しざわめき立った。これは覚悟していたことだ。自分でも言っていた通り、私はそういうキャラじゃない。でも思っていたよりも恥ずかしい、というような感情は生まれてこなくて、やった、私!というちょっとした達成感を覚えていた。

教室で手を挙げただけなのにね。私は自分の引っ込み思案度合いに少し呆れつつ苦笑いした。

「それでは、今挙手してくれた人達は順番にオーディションを行いますので、教室の外の廊下に残ってください。それ以外の人は碓氷くんの指示に従って、第四教室でポスターと壁紙作りを行ってください。」

皆がぞろぞろと教室を後にした。その流れに身を任せつつ、ようやく愛莉と目を合わせると、にっこり笑ってこちらにグーサインを送っていた。

「主役、受けてくれるんだね。」

気が付くと、橘くんが私の横に立っていた。私は肩をすくめ、わざとツン、と言い放った。

「一緒に演技したいんだ、なんて、卑怯ですよーだ。」

「ごめん。でも本心だったから。」

橘くんが申し訳なさそうに笑った。だから、それが卑怯なの。私はそう思って橘くんを軽く睨みつけた。素直に謝られて、それにチャーミングな笑顔付きだったら、怒る気がしなくなってしまう。そんな私を見て橘くんが何か言おうと口を開いた。と、菫が教室からひょっこり顔をのぞかせた。

「オーディションを始めます。ベル役を受ける人、集まってください。」

私は橘くんと目を合わせる。

「それでは、行ってまいります。」

ビシッと敬礼をすると、橘くんが笑って敬礼を返してくれた。

「ご健闘をお祈りしております。」

私も笑い返して踵を返した。準備はできている。なんでもかかってこい、だ。私は教室の奥に広がる、透き通った青い空を見つめて大きく頷いた。


 その日の放課後、オーディションの結果が発表された。掲示板に張り出されているのは知っていたけど、すぐに見に行くべきか迷っていた。もうちょっと人が減ってから行くべき?でも他人から知らされるのは嫌だったから、意を決して歩いて行った。掲示板に辿り着くと、その前の人垣がぱっと左右に割れた。これって…どういう意味?でも皆、私が主役を受けたの知ってるから、別に何の意味もなく道を作ってくれただけかも…。どういう意味なのかは、一瞬で分かった。なぜなら、張り出された紙の一番上に、自分の名前が書かれてあったから。

「おめでとう。」

どこからともなく、橘くんが現れて言った。

「そっちこそ、おめでとう。」

私の名前のすぐ下には、橘くんの名前がある。私は橘くんの方を振り向き、じっとその瞳を見つめる。橘くんがん?と少し首を傾げた。

「ありがとう。」

色んな意味を込めて、私は言った。


『美女と野獣』オーディション結果

・ベル…栗原花蓮

・野獣…橘颯真

・ガストン…岡村智也

・ポット夫人…吉村菫

・―…

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