カレン ~episode 8~

 私は今、自分のロッカーの中を睨みつけて仁王立ちをしている。また愛莉だ。私は教科書をきちんと科目ごとにすっきり並べておきたいのに、いつだって教科書を忘れた愛莉が勝手に持って行って適当なところに戻すのだ。ちゃんと並べてって言ってるのに、全く聞く耳を持たない。私は一つため息をついていつも通りロッカーを整理し直しながら、文化祭の劇のことを考えていた。

愛莉が言っていたことは間違いなんかじゃない。私は姉妹の中でも一番お姫様に憧れを抱いていて、夢見がちだ。大きくなった今でもドレスを着て踊ってみたいな、と思うし、そんなことよりも何よりも、私は演技をするのが好きなのだ。人前で発言するのは苦手だけど、何故か演じるのだけは好き。そしてそれの何が問題かって、それを家族以外の誰も知らない、ということだ。真綾や玲奈のように人目を気にせずやりたいことに突き進める勇気があったらいいんだけど、と思う。ベルの役は無理でも、他の人気のない役にいつもみたいに『配役が決まらず皆困ってるから仕方なく手を挙げました』みたいな顔して立候補してみようかしら。それとも―

「やあ」

私はロッカーをあさる手を止めた。心の中で大きく深呼吸をする。この声は最近よく聞くようになった声だ。

「ハイ」

振り向くと橘くんが立っていた。やっぱりいつ見てもかっこいい。

「劇のオーディション、何役受けるか決めた?」

脈拍数が少し上がるのを感じる。

「うーん、とくには…。」

私はなんでもなさそうに肩をすくめてみせた。

「でも栗原さん歌上手いんでしょ?お姫様にも憧れてるって…。ごめん、昨日の二人の会話、聞こえちゃったんだ。」

私は赤面してうつむいた。愛莉のバカ。あの人はなんだって考えなしに思ったことぺらぺら喋っちゃうのよ。

「まあ、そうなんだけど…。」

「それなら主人公、ベルの役受けるべきだよ。沢村が主役が音痴じゃなければミュージカル風にしたいと思ってるって言ってたし。」

橘くんがきっぱりと言った。私は咄嗟に下を向く。

「私に主役なんて務まらないよ。人前に立ったらすぐに赤くなっちゃうし。」

「でも一ノ瀬から小学校の学芸会で栗原さんが主役をやったとき、皆大号泣してたって聞いたよ。赤くなるのは練習すれば慣れると思うし、演技力も歌唱力もあるなら絶対にやるべきだよ。」

あー、もう!あのおバカ姉妹!愛莉が家に遊びに来たとき、どっちか、もしくは二人で愛莉に話したんだ。しかもあの二人はシスコンだから、誇張して話したに決まってる。愛莉も愛莉だ。私に許可なくなんでも話さないでよ。

でもまあ、事実ではある。それは私が小学五年生のときの話だ。私の学年は『戦争』に関する話を学芸会で演じることになったのだ(勿論、この題材を選んだのは先生だ)。爆撃から逃げているうちに家族と離れ離れになった女の子の話。その女の子役というのがとても難しい役だった。まだ幼い設定だからあまり台詞がなくて、でもどの場面でも主役としての存在感を出していなくてはならなくて、悲しみや辛さを表情や動きで表現しなければならない。小学五年生にそんなことを求めるなんてどうかしている。演劇学校でもないのに。だから誰も主役に立候補しなくて、困り果てた先生が『先生たちで話し合って主役を決めます』と言った。で、選ばれたのが私。一番真面目に練習して、先生の話をきちんと聞いて、努力してそうなのが私だったということだ。責任感の強い私は先生の期待以上に練習し、見事に演じきったのだ。劇が無事終わって観に来てくれた家族の元へ向かうと、元々涙腺の緩いお母さんと真綾は目と鼻を真っ赤にしていて、滅多に泣かないお父さんでさえも目を潤ませていた。先生は大号泣で私たちの方へ飛んで来て、ずっと感謝し続けていた(『こんな短時間で、しかもプロに教わったわけでもないのにこれだけ完成した演技を見せてくれるなんて!本当に素晴らしいお子さんです。これだけ呑み込みの早い小学五年生は日本広しと言えども、栗原さんだけでしょう!』)。だけどそれは五年前の話だし、私の演技が別に特別上手かったわけではない。マッケナ・グレイスとかノア・ジュープみたいな天才子役だったわけじゃない。ただ、『真剣に』やっていただけだ。自分の育ててきた子どもが頑張って可哀そうな子どもの役を演じていたら、親も先生も泣くに決まっている。『一生懸命』やっているのを見たら(真綾は論外だ。あの人は本屋の立ち読みで涙を流すほどの変人だ)。それを説明しようとして口を開いた瞬間、橘くんに遮られてしまった。

「あのね、それは―」

「とにかく、栗原さんは主役のオーディションを受けるべきだ。というか、受けてほしい。なぜなら、僕は主人公の相手役、野獣の役を受けようと思っているから。」

橘くんは大きく息を吸ってはくと、自分の耳を疑ってぼんやりしている私の目を見つめて続けた。

「僕は栗原さんと一緒に演技をしたいんだ。良かったら、考えておいてほしい。」

そう言って少し微笑むと、C組の方へ歩き去って行った。

 うそ、橘くん、私と演技したいって、そう言ったの?自分は野獣役をやるから、私にベル役をやってって?確かに、橘くんは王子役に申し分ない。体格が結構がっしりしているから野獣のときも様になるだろうし、ブレーンスマイル、あれは確実に王子様がやるものだ。でも、私にできる?あんなに魅力的な人の相手役を、何もかもが平凡な私に務まる?私は小さくため息をついた。あーあ、『一緒に演技したい』だなんて、絶対に反則だ、そんな台詞。

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