マヤ ~episode 8~
道場にいつもより緊張感のある空気が流れている。部員全員がそれを感じ取っていた。射位で順立ちを行う部員の射を、皆で見つめる。
パンッと気持ちの良い音がして、看的小屋から中りのサインが出る。私は〇のハンコを取り出すと、的中表に印をつけた。
「これで最後の立か。」
タッキーが小さな声で私に尋ねる。
「はい」
「終わったやつらの的中率は。」
「それはもう全て計算して、ここに順位ごとに並べてあります。」
私はそう言って全員分の的中表をタッキーに手渡した。
『パンッ』
また的中のサインが出て、私は手にしたハンコをそのまま押す。
「ん」
タッキーが受け取ってぺらぺらと紙をめくった。私は先輩の射に注意を戻す。三番的の先輩が皆中で、道場にいる全員が一斉に拍手する。
最後の一人が外したのを見届けて、私は看的にまで届くよう、声を張り上げた。
「確認お願いします!」
「はい!」
「三」「はい」
「二」「はい」
「四」「はい」
「三」「はい」
「矢取りお願いします!」
最後の四人の的中率を計算し、それもタッキーに手渡した。
「ご苦労。」
「先生、競射はどうしますか。」
部長がタッキーに聞いた。
「うーん」
タッキーが的中表を見ながら少しうなって、それから首を横に振った。
「いや、必要ない。」
「分かりました。」
部長は頷くと、道場全体に向かって声を張り上げた。
「挨拶します。並んでください。」
「「はい」」
「姿勢を正して。何か連絡のある人はいますか。」
部長がぐるりと全体を見渡す。誰も挙手していないことを確認して、タッキーに視線を移す。
「滝沢先生。」
「ん」
タッキーが言って、的中表を取り出した。
「今からインターハイ予選、東京都総体の選手を発表する。」
部員全員が気を引き締めたのを感じる。私も心の中で祈った。
「今回の選考基準は以前から言っていた通り、的中率と日頃の練習の様子どちらも加味して決めた。だから、若干前後するところがあると思うが、理解してほしい。」
私の学年の女子だけでも六人いて、先輩に関しては八人だ。その上、どの先輩もとても上手い。後輩だって楓を含め上手な子ばかりだし。それなのに、試合に出られるのは五人だけで、補欠を含めたら六人。選手選考に入っている自信はあるけど、自分が絶対選ばれる自信はない。
「えー、まず男子から。大前から順に、飯沼、村上、笹島、関川、近藤。そして補欠は桐島。」
流石まーくん、選手に選ばれている。凛くんも補欠とはいえ、先輩を押しのけて選ばれているんだから大したものだ。
「続いて、女子。」
鼓動がいつもよりも速く波打つのを感じる。お願い、試合に出させて。お願い…。
「大前から順に、北川、栗原、遠藤、向井、坂下。そして補欠は筒香。」
私は大きく息を吐いた。視線を上げると、部長の隣、副部長のポジションに座る美鈴先輩と目が合う。先輩は他の人には分からない程度ににこっと笑ってみせた。
「以上の十二人は後で話があるから前に集まるように。以上。」
「「はい」」
皆が一斉に体の向きを正面に戻す。
「姿勢を正して。これで、今日の稽古を終わります。礼。ありがとうございました。」
「「ありがとうございました。」」
皆が自分の片づけや掃除に取り掛かる中、名前を呼ばれたメンバーは前に集まった。
「やったね。」
真央が隣に来て言う。向井真央は私と同じく高二の選手だ。それ以外は全員高三。頷いて後ろを振り返ると、楓が満面の笑みで駆け寄ってきた。
「えー、男女共に言えることだが」
全員が集まったのを見てタッキーが口を開いた。
「羽分けを下回ったときのみ選手交代とするが、補欠は基本的に出場させる気はない。高一の最有力候補に『インターハイ』とはどういったものかを見せてやるため、遠征に連れ出すために選んだだけだ。つまり、正規メンバーだけで都総体優勝を勝ち取る前提でこのチームは組まれている。」
タッキーがぎろり、とメンバーの顔を見渡した。
「男子の立順だがこれは基本的な並び方通りだ。大前と落ちは的中率の高い二人。部長は皆中する前提だ。」
「「はい」」
そう言ってタッキーは部長を振り返る。タッキーと目が合って近藤先輩は大きく頷いた。
「そして、一番プレッシャーのかからない二番に村上、おまえだ。それ以外の選手は村上が安心して引けるよう、高い的中率を保つこと、そして村上、おまえは変に緊張せず、伸び伸びと引け。」
「「はい」」
男子の選手が頷いた。まーくんがちらりとこちらに視線を向けてきて、アイコンタクトを交わす。
「次に女子の立順だが、これは色々考えた結果、男子とは違った作戦でいく。こっちは、前三人で十二射皆中する気で引け。最低十中だ。そして後ろの二人は前の三人の足を引っ張らないように。それを心がけろ。あんまり気負いすぎるな。逆に前の三人は三人立ちで他校の五人立ちに対抗する気でいけ。おまえらならできる。こないだの関東大会のイメージを忘れるな。」
「「はい」」
顔を上げると最初にタッキーと目があい、それから少し横を見ると先輩二人がこちらを見ていた。私は小さく頷いてみせる。
「もうすぐ特別延長許可が出て遅くまで練習できるし、近くの広い道場の予約も取ってあるから五人立ちの練習も積極的に行う予定だ。以上、皆頑張るように。」
「「はい、ありがとうございます。」」
メンバー全員が声を揃えて言う。そのまま、なんとなく女子は女子、男子は男子のチームで円になった。
「皆、よろしくね。」
奈々子先輩が私たちを順々に見て言った。
「こんな風に思っちゃダメなのかもだけど、タッキーがあの作戦を説明してくれてほっとしちゃった、みたいなとこはある。」
芽衣先輩こと坂下先輩が私たち三人の方を向いて言った。
「それ、すごく分かります。」
真央も大きく頷いて言う。三人はこれを聞いて顔を見合わせた。
「まあそうね。安心して伸び伸び引いてくれたらいいよ。多分十中はいけるから。」
「おっとぉ?」
美鈴先輩が自信満々な奈々子先輩の発言に驚いた表情をしてみせた。
「するしかない、そうでしょ?」
奈々子先輩が鋭い視線を美鈴先輩に投げかける。美鈴先輩は大きく息を吸い、小さく吐き出した。
「そう、ね。」
「楓ちゃんも、タッキーはああ言ってたけど本番どうなるか分からないから、気を抜かずに練習よろしくね。あと本番は、介添えもお願いすることになると思う。」
「はい、分かりました!先輩たちと一緒に練習できるのとても嬉しいです!」
楓がキラキラした表情で言った。
「ありがとう。じゃあ皆、あと二週間、頑張りましょ。」
「「はい!」」「「はーい」」
それぞれに奈々子先輩の言葉に返事をし、先輩に背を向けた。
「真綾ちゃん。」
真央に続いて更衣室に入ろうとすると、奈々子先輩に呼び止められた。
「ありがとう。」
「こちらこそ、ありがとうございます。」
私は答える。
「プレッシャーかかりすぎてない?大丈夫?」
美鈴先輩が少しおどけたように言った。
「大丈夫、だと思います。」
私は少し緊張しながら言う。
「タッキーは一人一人のこと良く分かってる。だからこそのこの立順なんだと思うし、私はこのメンバー最強だと思ってるから。」
「奈々子のその性格、私も最強だと思ってる。」
奈々子先輩が物言いたげに美鈴先輩を見て、美鈴先輩がちろりと舌を出した。
「ごめんごめん、私浮かれてるの。」
「なんでもいいけど、練習は真面目にやってよね。私はこのメンバーで絶対に遠征に行きたいの。」
「分かってるって。私もおんなじ気持ちよ。」
美鈴先輩がそう言って、ねえ、と私に相槌を求めた。私は大きくそれに応える。
「私も練習頑張ります。」
「よし」
それを聞いて奈々子先輩が満足そうに頷いた。
「じゃあ、それだけ。」
それを言うと、奈々子先輩は私を追い越して先に更衣室に入った。
「真綾ちゃん、勝つことも大事だけど、楽しんで!」
美鈴先輩はそう言ってにっこり笑い、奈々子先輩の後に続いた。私は一人、頷いて、同じように美鈴先輩に続いて更衣室に向かって歩いて行った。
「「ひゃっほう!」」
玄関を開けた瞬間、花蓮と玲奈が飛び出さんばかりの勢いで顔をのぞかせてきていて、私は度肝を抜かれた。私が正選手に選ばれたという報告を受け、どんちゃん騒ぎが始まる。
「でもさ、それってすごいプレッシャーじゃない?」
二人が疲れ果ててもうこれ以上喜びの舞を舞えなくなった頃、花蓮がソファーに座り込んで聞いた。
「真綾はまだ高二で選ばれただけでも快挙なのに、その上中って当然!みたいな扱い受けるなんて。」
「うーん、確かにね、プレッシャーではあるよ。」
私は弓道ノートから顔を上げた。
「でもね、皆が私を信じてくれてるっていうのも、同時にすごく伝わってくるの。」
私はそう言ってふっと笑う。あのタッキーに何もかも見透かされていると思うと、少し可笑しかった。
「それが私にエネルギーを与えてくれるんだよね。」
「にしてもさ、真綾の学校の弓道部の人って、皆良い人だよね。」
玲奈が床に寝そべりながら言った。
「普通さ、自分より年下の子が自分を差し置いて先生からも自分の同学年の子からも期待されてたら、その子のこと嫌いになりそうなもんじゃない?ちょっと冷たくあしらっちゃったりとかさ。でもそんなの全然ないもんね。」
「そうなの。」
私は大きく頷いた。
「ほんっとに良い人たちばかりなの。私の周りって。」
「前も言った気がするけど、その部活真綾と性格似てる人多い気がする。」
花蓮が少し考えながら言う。
「素直っていうか、ある意味他人に興味がなくて自分しか見えてないというか。人と自分を比べるってことをしないんだろうね、みんな。自分は自分、他人は他人。自分が上手くいくのもいかないのも、他の人には関係ないって、割り切れてるというか。」
「あんまいないタイプな気がするけど。」
玲奈が面白そうに言う。
「弓道部変人ばっかだもん。」
私は苦笑いして言った。
「私としては居心地良いんだけど。素が出せるしね。」
「「でしょうね。」」
見事にはもった。三人で顔を見合わせ、同時に吹き出す。
「とにかく真綾、絶対インターハイ行ってね。私広島って行ったことないから、楽しみにしてるの。」
花蓮がワクワクしながら言った。
「私も友達に自慢するんだ。あ、勿論、亮にもね。」
「まーたシスコンって言われるよ?」
花蓮が呆れたように言う。
「あなたに言われたくありませんよーだ。」
玲奈が花蓮に舌を突き出した。
「二人ともね、私のこと好きでいてくれるのは嬉しいんだけど、あんまり大げさなことは言わないで…。」
「別に嘘はついてないもの。」
玲奈が当然、といった風に言った。
「玲奈…。」
「あんたたち、相変わらず仲良いわねぇ。」
お母さんがリビングに入ってきて言った。
「ご飯できたって。冷めないうちに、食べちゃいましょ。」
「「はーい」」
私たちは同時に立ち上がって、順々に席に向かった。
「あー!」
食卓に並んだメニューを見て私は歓声をあげる。
「ハンバーグだ!私、お父さんの作るハンバーグ大好き。」
「今日はきっと朗報が待ってるだろうなと思って、お祝いメニューにしたんだ。」
お父さんが満足そうに頷いた。
「ねえ真綾、これからは絶対毎回トップチームに入って、全試合で優勝してね。私たちの夕飯のためにも。」
玲奈が真面目な顔で言って、皆が笑った。
「それじゃ、真綾、おめでとう、そしてお疲れ様。といっても、これからの方が忙しくなるんだろうけど。」
お母さんが言って、私は笑いながら頷いた。
「いただきます」
「「いただきます」」
お母さんの声にあわせて、他の四人が声を合わせる。
私は大好きなハンバーグを頬張りながら、世界でいちばんと言っても過言はないほどの幸せを噛みしめていた。
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