レナ ~episode 7~

 私たちは教室の隅で数学の公式の復習をする。今はテスト期間で、次は代数のテストだ。

「なあ、鳴海。」

突然、亮が言った。

「ん?」

「俺、便所行きたい。」

「あっそう。」

「しかも、大のほう。」

「それ、言う必要あった?」

私は眉をしかめて言った。

「いやまあやっぱ?皆俺の腸の調子を知りたいかなと思って?」

「いいえ、全く興味ありません。」

私はばっさり切り捨てる。亮が私の肩を軽くパシパシ叩いた。

「ちょいちょい、ダジャレをスルーすんなって。腸のちょ・う・し。」

「おまえ、見た目とのギャップやばすぎん?」

一樹くんが呆れたように言った。

「あ、ギャップ萌え?しちゃう?」

「ギャップ萎えの間違えじゃなくて?」

麗華が教科書から顔も上げずに言った。私と一樹くんが盛大に吹き出す。

「如月さん、いいよ!もっと言ってれ!」

「そうよ、ビシッと言ってやって。」

「うわー、俺傷ついた。」

亮が泣きまねをする。これには誰もツッコまずに、それぞれなんとなく自分の勉強に戻っていく。

「ねえねえ」

「今度は何よ。」

私はまたもや口を開く亮を睨みつけた。

「俺、漏れそうなんだけど。」

「おまえ、まだトイレ行ってなかったのかよ。はやく行って来いよ!?」

一樹くんが言うと、亮が大人しく頷いた。

「うん、そうするー。」

私たちに背を向けトイレに向かって歩き去ろうとする亮の腕を、何を思ったか一樹くんががしっと掴んだ。

「やっぱ、行くな。」

「はい?なんで?」

私は驚いて突っ込む。

「俺、今思ったんだけど、ちょっと我慢してテスト開始十分後ぐらいにトイレ行けよ。」

「一回教室出たら、テスト中は戻ってこれないんじゃなかったっけ?」

ようやく麗華も顔を上げて言った。

「そうだよ。」

「どうすんのよ。」

「それまでに解き終えんだよ。」

これ以上ないドヤ顔で一樹くんが言う。

「で、挙手して、『先生、俺、大のほう出そうっす』って爽やかに言ってトイレ行くの。それで満点取ったらかっこよくね?」

「ああ、それいいな!」

驚くべきことに亮がキラキラした顔で賛同した。

「『あれ、兼城くん、トイレ行って解く時間少なかったのに満点取ったの?スゴイ!』ってなるな!」

「そうそう。で、『まあちょっと我慢できなくってさ。でもま、問題が簡単で助かったわ』ってクールに答える。」

一樹くんが頷きながら続ける。私は呆れて目をぐるりと回した。

「あのさ、教室中の人に向かってトイレ行きたいって宣言してる時点で、もう相当かっこ悪いんじゃないかって思うのは、私だけなの?」

「大丈夫、私もそう思うから。」

麗華が私の肩にそっと手を置いて言った。

「玲奈、そんなこと言ってていいのか?来週俺が学年一のモテ男になってても知らないぞ?」

「ああ、そう、どうぞご勝手に。」

私はツン、と言い放つ。学年一のモテ男って、現状と何ら変わりないじゃないの。亮がモテるのは今に始まったことじゃない。

皆がまたなんとなく、数学の教科書を確認しだす。暫くして、また亮が口を開いた。

「なあなあ」

「あー、もう、うるさい人ね?」

「どした、兼城。」

「俺、まじで漏れそう。」

結構ガチのトーンで亮が言った。私はまだお手洗いに言っていなかったという事実にあきれ果てた。

「そんな、やばいのか…?」

一樹くんが芝居がかった調子で言う。

「ああ」

「自分の名声を捨ててまで、行きたいのか。」

「ああ」

「よし、行ってこい!」

「最初からさっさと行けばよかったのよ。」

私が首を横に振りながら言う。踵を返した亮の腕を、一樹くんがまたもや掴む。

「やっぱり―」

「行かせなさいよ!ここでこの人が漏らしたら、教室中の皆が迷惑すんのよ!?」

ついに私がキレた。

「でも―」

「よせ、鳴海。」

亮がそっと一樹くんの手を握った。

「俺のことは、もういいんだ。皆に迷惑をかけるくらいだったら、俺のちっぽけな栄光など、どうでも良いことだ。」

「兼城、おまえ…」

一樹くんが眩しそうに亮を見上げる。

「いいヤツだな…。」

「いや、当たり前のことだから。」

私が突っ込むと、麗華が考え深げに言った。

「トイレに行くのも、いちいち大変なのね…。」

亮が胸を張り、私たちに向かって敬礼した。

「それでは諸君、俺は今、旅だ―」

『キーンコーンカーンコーン』

予鈴がなって、クラスの皆が教科書やらノートやらをリュックにしまう音が聞こえる。

「よし、皆、席に着けー。」

監督の先生がクラス全体に聞こえような声で言った。

「漏らすくらいなら、代数赤点取りなさいよ。」

私は呆然としている亮の肩をぽん、と叩いて言った。

「なあ、おい鳴海!どうしてくれんだよぉ!?」

「俺のせいか!?」

「今回はどっちもどっちね。」

麗華が冷静にそう言って、出席番号順の自分の席に戻って行った。

「あー、くそ!結構本気で漏れそうなんだって!」

麗華に続いて席に向かう私の背中に亮の声が響いて、私は小さく吹き出した。

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