レナ ~episode 3~
お手洗いを済ませて教室に戻る最中、三人組の女の子たちとすれ違った。私のクラスの近くにある地学室からの帰りだと思われる。小学生みたいな空気感と、キラキラした笑顔。中一だな、と私は思った。
彼女たちは私を見た瞬間はっと息を飲み、お互い顔を見合わせる。
「「玲奈先輩!」」
三人が綺麗に声を揃えて言う。私はにっこり微笑み、彼女たちに向かって少し手を挙げた。
「「キャー!!」」
黄色い声が上がった。その後ろに続く同学年と思われる子達も、声こそかけてこないものの珍しいものを見たような表情で私の横を通り過ぎて行く。
「美人だねー。」
「ね、モデルさんみたい。」
「そんじゃそこらの芸能人よりよっぽどスタイルいいよ。」
ひそひそ噂をする声が聞こえたが、私は顔色一つ変えずに教室に戻った。
自分の席に着き、次の授業を予習したノートを開く。今日はぎりぎり当たる可能性があるから、いつもよりも念入りにやってある。と、また私の耳に噂する声が聞こえてきた。
「え、どの子?」
「ほら、あそこ。廊下から二列目の一番後ろの。」
「ああ、やっぱりあの子か!こないだ見かけてレベチだなと思ってたんだよね。え、ほんとに芸能人じゃないの?」
「うん、なんもやってないって。スカウトとかはめっちゃされてるらしいけど。」
「そりゃそうでしょ。うわでももったいなー。顔ちっさすぎん?バランスおかしいって。」
これには特に反応はしない。別に私に話しかけている訳じゃないし。
こんなのにももう慣れてしまった。陰でひそひそ言われるのはいい気がしないけど、悪口を言われている訳でもないから傷つきもしない。下手に少し可愛い子はカースト上位女子の反感を買ったりするけど、私の場合誰も文句が言えないレベルらしい。別にこんなもの生まれつき持っているものだから、自慢にもならないんだけど。
それに私の見た目がそんなにいいなら、なんであの人は私のことなんて全く気にも留めないの?亮のことを考えると、だんだんイライラしてきた。そうよ、私の日常はこれなのよ。他学年からもキャーキャー言われ、美人と噂されるような女なの。あんたが今まで可愛いって言った人の中に、そんな人いた?少なくとも私は亮から目の前に写真を突き付けられるまで、たったの一人も知らなかった。その後は、ちょっと情報収集とかしたけど。
そんなこんなで不機嫌だったから、私の目の隅に『それ』が映ったとき、私の気分は底辺すれすれのところから一気に飛び上がった。ウソ、『それ』ってだって―
「ねえ」
私は勢いよく右を向いて、隣の席の男の子に声をかけた。相手はびくっとして恐る恐るこちらを向く。私は少し気持ちを落ち着けた。
―玲奈は圧がすごいから―花蓮に言われたのを思い出した。
「そのクリアファイル、それって、渋谷の…?」
男の子、いや、鳴海くんの表情が一気に明るくなった。
「そう、スタンプラリーのやつ!」
「やっぱり!私も同じの持ってる。」
私は鞄の中から鳴海くんとお揃いのファイルを取り出した。
「このスタンプラリー、結構集めるの大変だったでしょう?数量限定だったし。だから本気のファン以外はあんまり参加してないって聞いてたんだけど、鳴海くんも―?」
「うん、俺も大、大、大ファン。『シャーロック・ホームズ』のね。」
鳴海くんがファイルを掲げ、Sherlock Holmesの文字を誇らしげに指さしながら言った。サッカー部とつるんでいるときはいじられキャラといった感じでうるさいイメージだったけど、二人で話すと意外と落ち着いているというか、話しやすいタイプだ。
「うっそ!こんな近くにいたなんて!私も大好きなの、シャーロック・ホームズ!」
「知ってたよ。」
鳴海くんが苦笑いをしながら言った。
「このクラスになってすぐ、皆自己紹介しただろ?そのときに栗原さんがファンです、って言ったのを聞いて話しかけようか俺、本気で迷ったんだ。」
「話しかけてくれれば良かったのに。」
私は残念そうに言った。シャーロック・ホームズ仲間は大歓迎だ。
「うーん、俺なんかが話しかけていいのかなって。ほら、栗原さんってオーラがすごいから。」
私は眉間にしわを寄せた。
「やめてよ。人を外見だけで判断してはダメ。『君はただ眼で見るだけで、観察ということをしない。見るのと観察するのでは大違いなんだ』ワトソン君、私のことを良く知らないのにそんなことを言うのはやめて頂戴。」
私は片方の眉をつり上げて言った。普通の人ならきょとんとした表情になる。でも鳴海くんは私の期待通り、ははは、と声を上げて笑った。
「負けたよ。その通りだ。」
私は満足げに頷いた。それから私は鳴海くんに向かって右手を差し出した。
「えへん、私は栗原玲奈。お友達になってくれる?」
鳴海くんは驚いたように差し出された手を見て、ちょっと迷ってからその手を握った。
「鳴海一樹です。勿論、喜んで。」
二人でもったいぶって握手をして、二人同時に吹き出した。
「このファイルの存在を知ったとき、こりゃあゲットするしかない!って思ったんだ。シャーロック・ホームズグッツってあんまり売ってないし、それにこんな良い物が無料で手に入るなんて。奇跡だよ。」
「私もそう幼馴染に言ったの。そしたら『渋谷までの電車代があるだろ』って。私なんだかシャーロック・ホームズを馬鹿にされた気がして、その日歩いて渋谷まで行ったの。別にお金を払うのが嫌だったわけではないんだけど。」
「家から近いの?」
鳴海くんが聞く。
「片道10km。」
鳴海くんはまたもや吹き出した。
「あれ8月だったよね?よく歩いたね。」
「背に腹は代えられないもの。手に入れたとき、すごい達成感だった。もうファイルがキラキラ輝いて見えて。今から考えると睫毛に乗った汗が、建物内の光を反射していたんだと思うけど。」
あのときの幼馴染とは勿論、亮のことだ。朝早くに出掛けようと外に出ると家の前に亮がいて、どこかその辺の道端で倒れられたら困るから、と結局渋谷までついて来てくれた。そういうところがあるから、どうしても嫌いになれないのだ。
ガラガラ、と教室の前の扉が開く音がして、二階堂先生が教室に入ってきたのと同時に三時間目開始のチャイムが流れた。私と鳴海くんはそれぞれ体の向きを変え、大人しく机の中に足をしまった。
目の端の方で鳴海くんが大切そうにファイルをリュックにしまうのが見えた。私は大満足だった。姉妹以外で私のオタク度合いについてくれるほどの人を見つけたのはこれが初めてだった。イギリスにいる友達は勿論同じく大ファンだけど、英語よりも日本語で話した方がやはり盛り上がる。だからこの出会いは私にとってすごく大きな意味を持つものだ。たかが本一冊にこんなに興奮するなんて、と思われるかもしれないけど、私にとってのシャーロック・ホームズはそれだけ大切なものなのだ。
この席替えは私にとって、とても大きな意味を持つことなのかもしれない。例えば私に、心から仲良くしたいと思える友達が二人もできるとか。
今の私には亮が振り向いてくれないことなんて、大したことじゃないような気がした。
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